人物相関図

三芦(みよし)工業高校3年。五家同盟のメンバー。
佐竹、蘆名に続く五家同盟三強の一人。
顕現した小十郎に敗れる。

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伊達15代当主晴宗の四男に生まれ、長兄は岩城を継いだ親隆、次兄は16代当主の輝宗。伊達政宗や岩城常隆は甥にあたる。14歳で石川晴光の養子になり、 3年後に家督を継いで三芦城主になった。京の将軍義昭に謁見するなど期待の若武者だったが、甥の政宗が伊達当主の座に就くと状況は一変した。縁戚関係の佐竹や蘆名に戦いを仕掛け、敵とはいえ女子供まで皆殺しにする政宗のやり方に反発。伊達を離脱して佐竹に走った昭光は、反伊達連合の一員として数々の合戦に加わるが、摺上原の戦いで蘆名が敗走すると政宗に頭を下げて伊達に復帰した。小田原に参陣しなかったのは政宗の意向といわれ、改易後は伊達の一門筆頭として家中に重きをなした。

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