人物相関図

南奥の卒業生で顕現の力を持っており、かつては南奥のトップを張っていた。妻を病気で亡くしており、5人の子供を1人で育てている。
顕現の力を活かして建設作業員として働いていたが顕現狩りにあい顕現を失ってしまう。

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伊達の重臣。左月斎は隠居後の号で本名は良通である。先祖は斉藤氏だったが、初代が流浪先の陸奧国信夫郡茂庭で住民を悩ませていた大蛇を斬り殺し、鬼のように強いという意味の鬼庭に改姓。同地の領主に迎えられた。鬼庭は早くから奥州の実力者たる伊達に仕え、その勢力拡大に従って出羽方面に進出した。左月斎は反伊達連合と人取橋で衝突した際、撤退中の主君政宗を逃がすため、74歳の老身にもかかわらず自ら敵陣に突っ込んで岩城常隆の家臣に討たれた。甲冑代わりに黄色の頭巾を着用していたと伝えられる。鬼庭一族は代々長命の家系で、左月斎は武運に恵まれず戦場で果てたが、伊達三功臣の一人と呼ばれる嫡男の綱元は92歳まで長生きした。