人物相関図

徳川四天王の一人。女性の様な美しい顔立ちが特徴的。

徳川四天王。東三河衆を束ねる一方の旗頭で、駿府時代の家康に従う小姓の中で最年長。家康の叔母を正室に迎えた縁戚関係でもある。忠次は一隊の指揮官以外に筆頭家老の功績も多く、徳川が惨敗した三方ケ原では撤退する味方を鼓舞するため、浜松城の太鼓を打ち鳴らし続けたという。必要なら宴席で笑われるのも厭わず、泥鰌すくいに似た海老すくいが得意の持ち芸だった。その忠次に悔いがあるのは家康の嫡男信康に謀反の疑いが掛かった際に、使者として安土城に赴きながら、信長の前で十分に弁明できず切腹に追い込まれたことだ。後に忠次は自らの隠居と長男の家督相続を申し出たとき、家康からおまえでも子が可愛いかと嫌味を言われている。