人物相関図

徳川四天王の一人。流れるような髪型と紫のコートが特徴的。

徳川四天王。酒井氏に仕える陪臣の次男で、当初は小平太を名乗ったが、家康から諱の一字を与えられて康政に改める。同い年の本多忠勝はライバル関係にあり、19歳で旗本に昇格したのも一緒だった。康政の武功で有名なのは1万5千の朝倉軍に5千の徳川軍が対峙した姉川の戦い。徳川軍は一方的に押しまくられるが、康政率いる別働隊が姉川を迂回して側面を衝くと朝倉軍は総崩れになった。以後、康政は中入りの名手と呼ばれる。小牧長久手の戦いでも豊臣秀次の軍勢を徹底的に打ち破り、秀吉は激怒して康政の首に10万石の賞金を賭けたという。徳川幕府の成立後は官僚派の本多正信に冷遇され、領地の上野館林に籠もって江戸に出仕しなくなった。