アナウンサーズマガジン

画面では決して見ることの出来ないアナの表情が満載!番組への意気込みや裏話も アナ本人の文章で紹介。

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img_06_1.jpg30歳を過ぎた頃から、アナウンサー何年目という数字があやふやになり始めましたが、あらためて数えたら、2004年度で18年目になります。 もっとも、tvkに勤めてからは、9年目。社会人生活の前半は、IBC岩手放送で過ごしました。
(写真は、入社5年目雪の中で)
初めての1人暮しをスタートした盛岡は、日本海側ほどの雪は降りませんが、とにかく冬は寒い。一度降った雪を道端に片付けると、一晩で氷の塊に豹変。 春が来るまで、よほどの暖かい日がないと、塊のまま残ります。 底にすべり止めのない靴では、歩道を歩けません。毎日スキー場にいるような気分でした。

お世話になった 『佐々木アパート』 の大家さんから、「水道の水に気を付けて。」 と言われた事が、最初は何を意味するのか、分かりませんでしたが、実は大問題。
盛岡市内でも、翌朝の気温が、マイナス5度以下の予想の日は、水道管の水が凍る恐れがあります。そんな日は、夜の内に、水道の元栓 (私のアパートでは、玄関の外にありました。) を締めて、水道管の水を抜いておきます。
もしも、水抜きを忘れてしまったら・・・。 朝、蛇口をひねっても水は出て来ません。顔も洗えず、仕方なく、洗面道具一式を持って会社に行くしかありませんでした。 先輩の中には、とりあえず、冷蔵庫にあった牛乳で歯を磨いた方もいましたが・・・。

img_06_2.jpg早朝のニュースやラジオ番組を担当する日は、5時半の出社。最低気温がマイナス10度以下の日は車の、フロントガラスがびっしり凍って前が見えません。ため息とともに部屋に戻り、お湯を沸かして、フロントガラスに注ぎ、運転ができる状態になるまで氷を溶かし続けました。1日のエネルギーの半分は、仕事前に使い果たしてしまう日もあります。

家から、車で45分も走れば、安比高原、雫石といった日本有数のスキー場という抜群のロケーション。おいしい鍋料理。 何よりも、優しくて暖かい人の心。 盛岡で過ごした9度の冬は、楽しい思い出とともに、厳しい寒さの中で前向きに生きる術 (大げさですが) を私に与えてくれました。

横浜で過ごす冬も、今年で9度目。 この春、tvkの社屋が移転します。2004年に迎える新しい環境は、自分にとって2度目の、初心に返るチャンスかと思っています。