アナウンサーズマガジン

画面では決して見ることの出来ないアナの表情が満載!番組への意気込みや裏話も アナ本人の文章で紹介。

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img_08_1.jpgプロ野球、メジャーリーグ、高校野球・・・気付いたら、「一日中野球を観ていた」 と、振り返る日が増えてきました。今は、野球中継を仕事としている身。 野球に対しては、多少なりとも真摯な気持と緊張感を持って接していますが、「野球が好きだ!」 という思いは、小学生の頃から、さほど変わっていないと思います。

趣味の欄に 『旅行』 とありますが、独身時代の10年~17年程前、まとまった休みの度に、格安航空券を買って1人旅立ち、折あらば各国の野球場に出掛けていた時期がありました。

初めてメジャーリーグの試合を観たのは1990年9月(今は、もう無くなってしまいました)
エンゼルスの本拠地アナハイムスタジアム。この時の相手、レンジャーズの先発ピッチャーがノーラン・ライアン(メジャー最多の通算5,714奪三振、46歳まで速球王として活躍)。当時43歳だったライアンは、ストレートと外角低目の切れ味鋭い変化球で、三振や内野ゴロにエンゼルス打線を退けていきます。 スタンドには、ライアンが三振を取る度に 「Kボード」 が掲げられました。

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残念ながら、不運な失点で敗戦投手になってしまいましたが、憧れのライアンの投球を目の当たりにした、約2時間20分のテンポが速いゲームは、正に至福の時でした。

続いては、ベネズエラの首都カラカス、1994年の1月でした。
国内ナンバー1を決める試合(日本シリーズの様なゲーム) が行われている真っ最中...ところが、試合の内容はあまり覚えていません。少々、身の危険を感じながらの観戦でした。一応カラカスを本拠地とするチームの応援グッズを身に付けて、場内へ。 すると、日本人が珍しかったのか(確かに他の日本人とは出会いませんでした)、すぐにビール片手の陽気な人達に囲まれ記念撮影。写真では楽しそうですが、求めに応じて、20枚近くも撮り続けるのは大変なエネルギーでした。

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いざ、試合が始まると、大歓声の中、上空から応援道具やビールの栓、はたまたビールそのものが降ってきて、もみくちゃにされます。(もしかしたら、この時の経験は、1998年ベイスターズ優勝時のビールかけ中継に生きたかもしれません)観客席を仕切る金網の上が有刺鉄線になっていたり、物々しい警備体制になっている訳も理解できました。現在日本で活躍中の、ペタジーニやカブレラの故郷での野球観戦には、莫大なパワーが必要です。

最後は、1988年9月、ソウル五輪野球の決勝戦。
野茂、古田らの日本は、隻腕投手アボット擁する米国に5対3で敗れ銀メダルでした。この時、ネット裏の米国放送席が気になり、こっそり回り込んで、実況の様子を見ていました。 アナウンサーになって2年目。 放送席は、特殊な空間としか思えていなかった自分にとって、目の前の雰囲気はカルチャーショックでした。アナウンサーもディレクターも信じ難い程ラフなムード。メモ用紙を片手に必要な情報を伝え、得点時は、喋りながらお互いにハイタッチ。歓喜の瞬間は、スタッフ全員が体中で喜びを表現していました・・・

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「いつの日か、感動の瞬間を、素直に体一杯に、見る人達と共感できる実況をしたい。」 と、当時から思いながら、あまりにも多い課題に悪戦苦闘し、今に至っています。

今シーズンは、どんな瞬間に出会えるのか、しっかりと大切にお伝えします。