アナウンサーズマガジン

画面では決して見ることの出来ないアナの表情が満載!番組への意気込みや裏話も アナ本人の文章で紹介。

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かつて高校野球中継等で出会った選手に、再び巡り会えた時は「スポーツ中継を担当してよかったなあ...」 と感じる瞬間の一つです。

先日、中日ドラゴンズのルーキー石井裕也投手が阪神戦でリリーフ登板してプロ初勝利!続く広島戦でも勝ち投手になりました。 ...6年前石井投手は横浜商工(現在の横浜創学館)のエースとして夏の神奈川大会のマウンドに。140km/hを超えるストレートと切れのあるスライダーで三振の山を築きました。

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石井投手は生まれたときから感音性難聴のため、左耳は聞こえず右耳から補聴器を通してわずかな音を感じ取っています。 高校時代チームのキャプテンだった宇田川捕手は大きなゼスチャーを交え、口元を読み取りながらの会話。「コミュニケーションの取り方は慣れています。それよりも、高校野球で石井という素晴らしいピッチャーに会えて本当によかった。」と言うキャプテン。準々決勝で横浜高校に敗れ、甲子園出場はなりませんでしたが、石井投手は爽やかな表情で保土ヶ谷球場を後にしました。

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当時、宇田川キャプテンに付き添ってもらいながら石井投手を取材したメモには、

  「将来はプロ野球選手になりたい。
   好きな投手は石井一久さん(現ニューヨーク・メッツ)。 でもベイスターズファンです。」

  「野球をしている時は、自分の聴力がハンデと思った事はありません。
   もし自分と同じ悩みを持つ子がいたら、『大丈夫だから!』 と言ってあげたい。」

という言葉が記してありました。

卒業後は三菱重工横浜でプレー。
2001年にはチームがクラブ化する中、環境の変化に負けずに力をつけ、今シーズン中日入りを果たしました。今年2月、中日の沖縄北谷キャンプを取材し、久しぶりに石井投手に出会えました。ちゃんと高校時代の事を覚えてくれています。

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6年前と比べ当然体は逞しくなりましたが、輝いた表情は高校時代のまま。何より驚いたのが(失礼かも知れませんが)会話が上手になった事。補聴器の性能が良くなった要因もあると思いますが、石井投手自身も相当な努力をしたはずです。

「コミュニケーションは周りの人達が理解してくれるので、とてもとり易い。 自分はどんな場面でもマウンドに立つつもり。 横浜スタジアムでの登板を楽しみにしています。」と話してくれました。

ブルペンでボールを受けていた谷繁捕手は、大きく分かり易い動作を使ってアドバイス。担当記者達は、少しだけゆっくり言葉を操りながらスムーズに石井投手への取材を行っています。この日は石井投手の高校時代の恩師、森田監督から預かった「怪我だけは気をつける様に。」 という一言を伝えて、横浜スタジアムでの再会を誓いました。 ...層の厚い中日投手陣の中から頭角を現し、連日ヒーローインタビューを受ける石井投手の姿は今、一段と逞しく見えます。「野球をしている時は、聴力をハンデと思った事はない。」実力が頼りの厳しいプロの世界で、石井投手は見事に証明してくれました。