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神奈川ビジネスUp To Date

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10月31日放送分
「オートバイのアフターパーツを手がけるメーカー」

ゲスト
ヨシムラジャパン 代表取締役社長
吉村不二雄さん


【プロフィール】
1948年福岡県出身
1968年 ヨシムラコンペティションモータース入社
1975 年 ヨシムラR&Dオブアメリカ 代表取締役社長就任
1989年 ヨシムラジャパン 代表取締役社長就任


戦後復興の進む1954年、「ポップ吉村」こと天才チューニング技術者・吉村秀雄さんが創業した「ヨシムラ」は、アメリカ兵からオートバイのチューニング依頼が殺到するなど、独自の高い技術で注目を浴びました。国内外のオートバイレースで優勝するマシンを次々と開発、オートバイのアフターパーツメーカーとしても世界トップクラスの製品を開発・製造・販売してきた「ヨシムラジャパン」が考える、「モノづくり」「ブランディング」とは。

内田
私、バイクに全く素人でして、全く分からないのですけども、今日はいろいろと持って来ていただきました。これは全部作っている商品、製品ということですね?

吉村
そうですね。正面にある長いものは、バイクの消音機です。通常、我々は業界用語で「サレンサー」というのですけど。

内田
音を消す?

吉村
そうですね。

内田
他は…こちらは何ですか?

吉村
それも同じです。ただ、デザインが違う。ですから、車種によって、そういったショートのものが似合う車種とか、使い道によって、やはり分かれてくるのですね。

内田
バイクの種類によっても、合うもの、合わないものがあるので、いろいろと作っていると?

吉村
そうです、そういうことです。

内田
自前で作っている、ということなのですけど、大体こういったパーツを何点くらい作っているのですか?

吉村
細かいものも入れると…やはり1000点近くにはなるのではないですかね。

内田
自分の工場で1,000点近くを何人くらいで作っているのですか?

吉村
従業員が80人弱。その人数でやっています。

内田
皆さん、モノづくりが出来るのですか?

吉村
そうですね。一部が「レースの専門部隊」といった形ではありますけども。

内田
レース用の物凄いものを作っている部隊がいて、一方、皆さんに買っていただける商品を作っている、ということなのですね。

吉村
そうですね。

内田
そもそもですね…皆さん、バイクを買われます。そうすると、もう既にその時に部品は付いているわけですよね?

吉村
その通り。はい、そうです。

内田
それをわざわざ付け替える、ということで、ヨシムラさんを皆さんが必要とするわけなのですけども、何故、皆さん替えるのですか?

吉村
バイクに乗る人というのは、やはり「自分のバイク」にしたい。性能面でも、それからルックスの面でも、それから乗りやすさの面にしても、そういう傾向があるのですね。これは、四輪のお客さんでも同じですよ。

内田
バイク乗りの性質ですか?

吉村
もうその通りですね。

内田
何かこう、手を入れずにはいられないと?

吉村
そういうことです。

内田
でも、結構、安くないですよね?

吉村
高いですよ。僕が言うのもなんですけど。造りが凝っている、ということなのですね。ですから、趣味性が高いということは、やはりルックス、音、デザイン、そういうものが、顔としてお客さんに合わないと、もちろん商品にもならないわけです。ですから、その辺りが我々の一番難しいところですよね。我々が一番重要としているのは、バイクのレース。鈴鹿の「8時間耐久レース」、それから「世界グランプリ」。ああいうので優勝する。そうしたら皆さん、やはりそこに注目するわけですよ。「あのバイクにはこういうものが付いていた」「あのライダーはこういうものを着ていた」。やはりそれが…

内田
憧れになる?

吉村
そういうことなのです。

内田
自分のバイクも同じ様にしたい、という目標の様なものになるわけですね。

吉村
そうですね。

内田
では、バイクのレースに出て勝つ、ということと一体になってくるビジネスなわけですね。

吉村
その通りです。それは、もうヨシムラの歴史が証明していますので。

内田
敢えて聞くのですけども、バイクメーカーもバイクメーカーなりに一生懸命、自分たちのバイクを完成品として出してくるわけですよね? それを、パカパカっと変えられるというのは、メーカーとしてはどんな風な気持ちなのですか?

吉村
例えばキャンピングカーとかがあるではないですか。ああいうものもメーカーさんが今は出していますけども、それまではほとんど、プライベートの趣味性の高い工場がやっていますよね。それでメーカーとしては「そういう風なユーザーの志向があるのだ」と。そうすると、メーカーオプションにして。ですから我々はある意味、メーカーさんの数歩前を常に走っている、ということなのですよね。走っていなければならない、ということです。我々がやっていることは非常にシンプルで、とにかくレース活動をして…

内田
まずは「レース」があるのですね?

吉村
そうです。それが全部の発火点なのですよ。

内田
「発火点」ですね。

吉村
結局、レースをすれば「あ、エンジンいいね。ルックスもいいね。」という。やはりそういった形でじゃんじゃん繋がって、お客さんが勝手に夢を膨らませてくれるのですよ、ある意味。


集合マフラー、チタンマフラー、異形型マフラー。「オートバイ業界で一番はじめに開発・製造・販売をする」ということに力を注ぐヨシムラジャパン・一歩先を行く、そのわけとは。

内田
「一歩先にやっていく」「先手を打ってやっていく」ということなのですけども、これはどの様な狙いがありますか?

吉村
我々としては、「老舗の自負」という部分も大いにありますね。我々がやはりフロンティア、ということで先にやることによって、注目を一番集めやすい。それはいわゆる「付加価値」に繋がるよね、という、そういう考えですよね。

内田
やはり皆さん、「ヨシムラが何を出してくるか」という動向を、レースなどに行くと皆見ている、ということですね。

吉村
そうです、そういうことです。

内田
レースで勝つくらいのもの、というのは、大変クオリティの高いものになってくるわけですよね。でも、それをそのまま出すというのはなかなか難しいし、皆手が出ない。それを、いかに手が届きやすいものに仕上げていくか、というところに、何か技術があるのかな、と思うのですけど。

吉村
そうですね。それが我々のある意味でのノウハウになるし、どういう作り方をするか、どういう機械を使うか、どういう手順でその部品を仕上げていくかというのは、我々のノウハウですよね。

内田
いろいろなレースを「発火点」として、パーツをお作りになっている。皆さん、そういうものを「自分のバイクをもっと良くしたい」と思って、ヨシムラさんにすぐ辿り着くのですか?どこで皆さん、それをお買い求めになるのですか?

吉村
当然、商品は我々のホームページにも全部載っています。値段から何から。ですから、そういった形でコンタクト出来る場合もありますし、普通の部品屋さん、バイク屋さんに置いてある場合もあります。それはもう、いろいろですよね。やはりバイクに乗る方というのは、ほとんど土日は何がしかの、ツーリングを含めて、回られるわけですよ。ツーリングに行く人も一人ではなくて、何人かで行くではないですか。当然、そんな話になるわけですよね。「あそこの店でこういうものがあったよ」「いくらだったよ」とかね。それと面白いのが、周りの仲間が、全部自分と同じ仕様になっても面白くないのです。

内田
そうですね。

吉村
全部同じになってしまったら、それはもう面白くない。そうしたら、その人はまた違う方向にまた進むわけですよ。その仲間同士の、そういう風なある意味での葛藤というのが、この業界の面白いところで。

内田
なるほど。

吉村
それと、お客さんにアンケートとかする場合、どういう内容、カラーリング、とか。確かに、そういうのも参考にはなるのですけども、それと同じものを提供した時には、もう遅いのですね。やはり、一歩二歩進んでいないと、ブランドも維持できない。結局、「あのブランドだったら何かやってくれる」、そういう風な期待感を持たせる様に、当然なっていくわけですね。

内田
いいものを作っていく、ということは、非常に「匠」の世界ですよね。そういう「モノづくりのプロフェッショナル」たちがヨシムラにはいる、ということだと思うのですけども、匠をどう進化させていくのか、というのも経営者の腕にかかっていると思うのです。どういうことをされているのですか?

吉村
それも「レース」がベースになりますね。「ワークスマシン」、要するにメーカー直属のマシンも出てくるわけですよ。そういったマシンというのは、お金に糸目がついていない様なものも、バンバン付いてくるわけですね。そういったものを我々も参考にさせてもらって、「オッケー、では我々はこういう風な方向で。ここを少し変えて、こういう風な形にオリジナリティを出そう」と。そういった連続ですよね。

内田
究極のプロたちが集まる場にいて、そこで磨かれていって、いいものは参考にし、更にそれを進化させ、匠が作っていく。それでトライアンドエラーも許すと。

吉村
そういうことです。

内田
やはり、失敗を許さないと、トライというのは出来ませんからね。

吉村
ですから、当然売値も高くなる訳ですね。そういったエラーの部分もある意味では含んでいる、ということです。

内田
でも「バイク乗り」というのは、私の印象からすると、決して増えてはいないイメージです。どうしていきますか?

吉村
もう2年くらいになりますけども、アジアに工場を建てたのですよ。

内田
アジアのどちらですか?

吉村
タイです。バンコクの郊外なのですけども。やはり、主なマーケットはアジアになるのは間違いないです。ただ、マーケットの内容は30年くらい遅れていますから、この30年のアドバンテージというのは、我々は全部経験しているわけです。日本のマーケットが、どういう形で今のマーケットになったか。それをそのまま、踏襲できるわけです。そうすると、リスクが少ない。

内田
他に市場として注目している、注力しているところはありますか?

吉村
もちろん、アメリカも1975年からやっています。やはり国は大きい。マーケットも大きいです。

内田
アメリカにも「ヨシムラファン」というのはかなりいる?

吉村
もうかなりいますよ。

内田
どのくらいの規模でイメージすればいいですか?

吉村
ちょっと想像がつかないですけども、まず、アメリカ人でバイクに乗っている人で、このカタカナの「ヨシムラ」、これを読めない人はいないです。

内田
それくらい知名度はもう十分ある。それも、「レース」の影響ということですか?

吉村
そうです。ですから活動は同じなのです。アメリカもレース活動をやって、そういったものを作って。ただ、テイストは違います。味付けはね。

内田
これからもアメリカ市場はその根強いファンをずっと守っていく、そういう活動になりますね。

吉村
はい。


10月8日、栃木県那須塩原市で開催された「ファンミーティング」。あいにくの雨空の中行われたイベントでは、ヨシムラジャパンの製品を使用したオートバイの体験試乗会を始め、商品の展示・販売、鈴鹿8時間耐久ロードレースのピットを再現した「ヨシムラピット」などが企画されました。

内田
この「ファンミーティング」、随分熱心に、皆さん参加されていましたね。

吉村
残念ながら、雨で出足は少なかったのですけども。

内田
これは、どういった目的でされているのですか?

吉村
我々はレース活動もやる。ただし、製造メーカーです。製造メーカーとなると、なかなかダイレクトにユーザーさんと接するチャンスが少ないのですね。ですから、こういうミーティングというのは、唯一それが出来るところなのです。なので、うちの製造スタッフもかなりの人数が行かされ、実際に「お前ね、作っている商品で、お客さんどう?って、聞いてみな」と。やはり、そういったことを常にやっておかないと、従業員の危機感というかモチベーションも湧いてこないのですよね。自分がそういった場面に行くと、お客さんと話をしなければいけない。話もしたい。そういった時にそうしたことが出てくるわけです。「あ、俺の作ったものはやっぱり好まれているのだな」とか。「俺の作ったものはケチつけられたな」とか逆も当然あるのですけども。やはりそういった意味でのモチベーションになりますね。

内田
そういうところから吸い上げてくる情報というのは、結構大切ですよね。

吉村
本当に、市場に近いニーズがそこにあるわけですから。それをまた肥やしに、味付けをして、新しい商品に繋げていると。こういうことですよね。

内田
例えば「よく出来たな」という風に吉村社長が思う様な「良さ」、「価値」というのは、言葉にするとどういうものになってくるのですか?

吉村
言葉にするとなかなか難しいけども。我々がよく使うのは「ハマったね」とか。

内田
「ハマったね」?

吉村
我々の想像する中でも、本当にてっぺんの部分に「ハマったね」という、そういう意味ですけどね。ですから、やはり常にいろいろなものを視野に、アンテナを広げておかないと、なかなかそういう風なアイディアは出てこないですよ。海外の同じ様な製品がどういうデザインなのか、メーカー自体はどうなのか。やはり、いろいろな思惑で商品というのは出来ていますから。

内田
今後の展開をお聞きしたいのですけども、これからのヨシムラというのは一体、どの様な会社になっていくのでしょうか?

吉村
基本的に、やっていることは変わらないと思います。やはりどの業界でもそうなのですけども、例えばオリンピックなんかでもやはり目指すのは金メダルですよね。やはり、ターゲットはいつもそこに置いていますね、もちろん。

内田
まず、レースでしっかり勝っていく?

吉村
そういうことですね。とにかく「レース」の影響がやはり、ものすごく大きい。ですからそれをベースに、我々がそれを材料にどう展開していくか。それはもう、変わらないですね。どの企業でもそうなのですけども、変えなくてはいけない部分と、変えてもいい部分と、当然あるではないですか。そういうことだと思うのです。全部変えてしまったら会社そのものの意味がなくなる、ということです。なので、根本は変えない。

内田
そのヨシムラの「変えてはいけない部分」というのは何ですか?

吉村
やはり「レース活動」、それと「モノづくり」。モノづくりの精度と言いますか、同じ溶接でも、機械でやった溶接と、人間でやった溶接と、やはり表情が変わるのですね。そういったことが、非常にこれから重要になると思います。

内田
モノづくりの部分は、徹底していいものを手作り、本当にきちんと作っていくということは、変えてはいけないところ。では一方で、変えていくこと、変化していくこと、というのはどの様なところですか?

吉村
作っているものの内容というか、作り方、それから使う材料。やはり、いろいろ出てきます。でも、その中にも「最低でもこのままキープしたいね」というのは当然ありますよね。



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10月24日放送分
「本当の共生社会を目指す チョコレート工房の挑戦」

ゲスト
一般社団法AOH「ショコラボ」会長
伊藤紀幸さん


【プロフィール】
1965年 東京都出身
1988年 慶應義塾大学経済学部卒業後、三井信託銀行(当時)入社
JCR(日本格付研究所)、ムーディーズ・ジャパンを経て、
2002年 不動産投資研究所設立
2012年 一般社団法人AOH設立、ショコラボをオープン


一般社団法人AOHが運営するチョコレート工房「ショコラボ」は、福祉事業所としてオープンし、現在25名ほどのメンバーが働いています。「健常者と障がい者の本当の意味のノーマライゼーション」をコンセプトに、有名店のパティシエが監修した本格スイーツを、障害のある人と健常者のスタッフで手作りで生産し、百貨店や催事、オンラインショップでの販売を展開しています。

内田

ショコラボのコンセプトは「健常者と障がい者の本当の意味のノーマライゼーション」ということですけども、これはどういう想いを込めて付けたのですか?

伊藤
ショコラボを作った、起業したそもそもの想いに行きつくかと思うのですけれども、私が30歳の時に障がいを持つ息子を授かりまして、それが契機でこのショコラボを作ったわけです。彼が小学校、養護学校に上がった時に、エスカレーター式で高校生までいける学校だったのですが、「ご入学おめでとうございます。お父様方には現状をお知りいただきたいと思います、基本的に12年間しっかりとお預かりをしますけども、なかなか就職は難しいです。就職が出来たとしても、3,000円です」という風に言われました。3,000円とは何の単位だろう?ということで「それは何ですか?」と聞いたら、「月給です」と「それは何時間働いた月給ですか?」と聞きましたら、「基本的には朝から夕方までです」と。それでびっくりしてしまいまして、「それは何をやっている対価なのでしょうか?」と。「缶を拾ってきて、皆で足で踏みつけて、廃品回収へ出すことで、3,000円のお給金をいただける」ということを教えていただきまして。そもそも就職が出来なくて、出来ても月給3,000円という、衝撃的な数字をいただいて、愕然としたと同時に、世の中に対する怒りも覚えました。障がいを持っている方々はもっとやれる、潜在能力をもっと健常者側の経営者が引き出せる様にして欲しい、そんな気持ちも持ったわけですね。

内田

どういうものをやればいいのか、ということもずっと考えて?

伊藤
障がい者の働く場所を作ったけれども、何らかの事由で会社がなくなってしまいました、皆さんごめんなさい、というのは絶対したくない。ゴーイング・コンサーン企業として永続性を保つためにはどうしたらいいのか、ということをいろいろ悩みまして。

内田

例えば、どういうものを?

伊藤
最初は利益率の高い「粉商売」であるとか、まずは頭で考えたのです。もんじゃ焼き屋さんであるとか、うどん屋さんであるとか、ラーメン屋さんであるとか、いろいろなことを考えたのですけども、どうしても踏み切れないのですね。こういうメリットもあるけど、こういうデメリットもある。となると、万が一失敗した時に継続性が保てないのではないか、と不安になってしまった。なかなか踏み切れなかった。

内田

そこを吹っ切れたのは、何故だったのですか?

伊藤
それはですね、「頭」で考えるから決められなかったのだと。そうこうしている中で、うちの家内から「お父さんはチョコレートが好きだから、チョコレートがいいのではないか」と言われまして。4年間悩んだ割には、最後は好きなことを選んだ、そういうことです。

内田

伊藤会長が4年間ショコラボを経営して、気付いたことはありますか?

伊藤
「コーチング」ということについて、深く私も気付きを得ました。当時なかなか売り場を確保できない中で、「中華街で売ってもいいよ」という会社さんにお声かけをいただいて、3連休でチョコレートを販売していたのですね。ところがレジに行ってPOSを通す度に、返品で返ってくるのです。返品で返ってくる理由が、お恥ずかしいのですけど、既定の本数が入っていなかったりとか、品質表示ラベルが貼っていなかったりとか。「チェックしてくれているのかな?」と正直不満に思ったのです。丁度その頃、プロの有名なアスリートの方にお話を聞く機会がございまして、プロのアスリートの世界では、選手たちが全て正解、「解」を持っていると。「自分があの試合で負けた理由は何故なのか、皆が一番分かっている」とおっしゃっていたのです。プロのコーチの方々は、選手に対して「コーチング」という形で、選手に気付かせる様に指導するという様なお話がございまして。3連休で返品がいくつも、やっと売れたのが返ってきて、正直イラっとしていたのですけれども、3連休明けの朝礼の時にクイズを出しました。「今日はクイズがあります。皆さんが一生懸命働いたお金で、大切なものを買いに行った時に、こんなことがあったら嫌だな、と思うことがあったら会長に教えてください。3分時間をあげます、考えてください」と。皆が手を挙げ出しまして、「既定の本数が入っていなかったら嫌です」「シーラーが斜めになっていたら嫌です」いろいろな人たちが手を挙げて、その度に発表した人を皆で拍手をして。拍手喝采の中で、「じゃあ今日からそうやって作ろう、エイ、エイ、オー!」と皆でやって、朝礼が終わったのです。私も、現実にそれに触れまして、コーチング能力、ないしは、彼らもそこまで分かっているのだ、ということを体験した、非常に印象的なトピックでした。

内田

やはり「信じる」というところですかね?

伊藤
そういう意味では「信念」なのでしょうね。「一緒にやる」という意味での信念だと思うのですけども、途中ではめげることもいっぱいあります。何度言っても、どうして分かってもらえないのかとか。でもそれが「障がいなのだ」という風に、自分を、まずは心を落ち着かせて、ならばどうしたらいいのだろうか、というのを皆で考える。毎日毎日、試行錯誤しています。


「障がい者が働く場の提供」と「工賃のアップ」の目的を実現するため、これまでにない就労支援の形を整えてきたAOHの文字に込められたのは、「Assist of〜(アシスト・オブ)」のコンセプト。健常者スタッフはあくまでアシストする立場で、メインプレーヤーは障がい者自身です。マーケットを意識した、付加価値の高いスイーツの生産・販売により、現在の工賃は、約2万円弱と、高い水準を実現しています。

ショコラボは「一つ一つ違っていい」というコンセプトの下、個性を生かした働き方を実現するため、通常は一人でこなせる様な工程も細分化。生産から販売までジョブ・ローテーションを実施し、個人のリズムや感性にマッチするものを任せています。持続的な生産体制とやりがいを生み出すショコラボを巣立ったメンバーは、大手食品会社やIT企業など、それぞれが活躍の場を手にしています。

内田

ショコラボの様な会社がたくさん増えてくれば良いと思うのですけども、現状として、障がい者支援というのは、どの様な状況になっているのですか?

伊藤
障がい者支援については、いろいろな意味で改善されている、という方向にあろうかと思います。障がい者を「措置」という形で行政側が決めるのではなくて、自らの本人の意思の中で、社会で支援していこう、という形に変わってきています。ただ基本的に今の日本の障がい福祉に関する大きな流れは、大手企業さんを含めて、「CSR」という言葉で捉えられていることが多いのですね。「CSR」というのは、社会的企業責任ということで、ある意味、「社会的貢献」という観点を交えながら企業が共に障がい者と一緒にやっていく、という形なのですけども、西洋の方ではもう一歩進んで、「Creating Shared Value(CSV)」という形で、社会的課題を障がい者と共に解決していく。要するに、「貢献」という形の中で自らの余裕を持ちながら障がい者雇用を考えていく、ということではなくて、社会的課題を障がい者と共に共通の価値を作って、それを発展させていく、という風になってきている様なのです。

内田

いいですね。

伊藤
そういう、新たなShared Valueをクリエイトするのだ、という感覚で、いろいろな企業さんが障がい者と共に「共生する、共に生きる」という形で、「共働する、共に働く」という形で物事を考えていただければ、より発展し、日本の本質的な課題にも役立つのではないかな、という風には思います。

内田

企業が、「義務」というところから、それを乗り越えて障がい者の方たちと接点を持つというためには、どうしたらいいのでしょうかね?

伊藤
障がいを持っている方々と一緒に働くと良いことがあるよ、というのを実感していただくことだと思うのですね。それは、経営者の方もそうでしょうし、その会社さんの社員さんもそうだと思うのですけれども、「いいこと」、例えば「他責」から「自責」に思考過程が自然に変わるということがまず一つあると思うのです。大きな企業さんであろうと、いろいろな企業の中で、障がいをお持ちの方が一人、二人いる。毎日楽しく一緒に働こう、という共通理念さえ持てるのであれば、「Aさんに伝えられない、どうしたら伝わるのだろう」「Bさんにはこれが理解できない、では、こうして絵を描いたら理解できるかもしれない」と、常に肯定的な解釈で、他人を責めるのではなくて、伝わらないのは自分が悪いのだと。これを通常の社員に、人事管理マネジメントですれば、とてもいい会社になると思うのですね。

内田

そうですよね。

伊藤
そういう観点で、障がい者と一緒に、共に生きることによって、今までにない部分を作れたらいいのではないか。要は、一緒に付き合ってみて、彼らの価値に気付いていただければ、義務感はなく、いろいろな価値が生まれると思うのです。

内田

気になるのは、彼らの経済力を上げたい、と思うところで、どうしてもまだまだ「月給」と言う意味では一般の人とは程遠いというところの中で、「経済的自立」というのはとても大きな目標になると思うのですけども、どうしたらそれが実現に近づいていくのでしょうか?

伊藤
やはり付加価値の高い仕事、環境づくりを経営者の人が真剣に考える、ということだと思うのです。障がいを持っている人たちを雇用はしたけれども、「雇用すること」が重要であって、そこからの生産性だとか、いわゆる「付加価値の創造」には、あまり注力をなさらない企業さんもかつてはいたかと思うのです。そうすると、障がい者が「お客様」になってしまう。彼らに低採算性のものをやらせていたら、プロフィット、利益は小さくしかならないです。でも彼らが、チームを組み合わせることで、もっと付加価値の高い仕事に一緒に取り組んでいくのだ、という気持ちになっていただいて、私を含めて経営者はそこに気概を持って接することかとは思いますけれども。

内田

そういう「ショコラボ」の未来の姿、これは一体どうなっていくのでしょうか?

伊藤
「世界一、日本一のチョコレート工場を作ること」ではなくて、「働く場と工賃アップ」がテーマですので、それがものづくりでもいいし、スイーツ作りでもいい。そういう気持ちで「ショコラボ」「AOH」を捉えていきたいと思っているので、幅広く物事を見ながら、彼らが働く場所を作れる様に改善していきたい。その中には、CSVではないですけれども、社会的な問題解決が出来るような新事業、イノベーションが出来る様に、いろいろな企業の人たちのお力を借りて、「シェアしていく」という様な形でやっていけたらと思います。もちろん、身の丈の資本力とかいろいろなこともございますので、一人で、一社では出来ないことを、大手の企業さん、中堅の企業さんにお力を借りて、社会的課題、例えば老人ホームであるとか、空き家対策であるとか、そういうことを皆さんの力を借りて、シェアをしながら、何か新事業を起こせたらな、という風に思っております。



tvkのYouTube公式チャンネルの「見逃し配信」では取材VTRも含め、インタビュー全篇をご覧いただけます。(視聴無料です)

特徴ある製品・サービスを紹介
「ビジネスのヒゲ」

横浜港の景観を陸と海から楽しめる観光用の水陸両用バス
横浜・水陸両用バス(横浜市西区)

10月17日放送分
「無添加にこだわる化粧品メーカー ファンケル化粧品」

ゲスト
ファンケル化粧品 代表取締役社長
山岡万佑子さん


【プロフィール】
長野県出身
1995年ファンケル入社
2013年に取締役専務執行役員ビューティーカンパニー長を経て、
2014年 ファンケル化粧品代表取締役社長に就任


化粧品公害が社会問題となった1970年代の後半、「肌トラブルから女性を救いたい」という想いから防腐剤や添加物を一切入れない無添加化粧品の製造・販売を始めたファンケル。自社で研究・開発から販売まで行い、創業から30年以上にわたって、「安心・安全」な無添加化粧品の可能性を追求しています。

内田

2014年に山岡社長が社長に就任された時に託されたミッションというものがあったと思うのです。その当時のファンケルの状況はどうだったのでしょうか?

山岡
創業者の池森(賢二・現会長)が、「ファンケル全体の成長に繋がる経営基盤を構築していかなければいけない」と問題意識を持ちまして、復帰してきたという状況でした。その一年前にリブランドということで、新しいファンケル化粧品のブランディングをスタートさせました。しかしながら、なかなか成果が顕在化してこないということや、一部のお客様から、新しくなった商品に対してのお声をいただいたり、課題をいただいた状況でした。会社全体で一丸となってスタートさせたキャンペーンでしたので、それに対する成果というのは非常に思わしくないところもありまして、少し、会社の中に疲弊感があった、という状況でした。

内田

なかなか理解していただけないお客様もいらっしゃった、ということだったのですが、理解していただけなかった部分があったとすると、何に違和感を感じられたのでしょうか?

山岡
商品そのもののラインナップですとか、それから広告手法が従来のファンケル化粧品の手法と大分異なっておりましたので、ロイヤリティの高いお客様からの違和感もありまして、それが実績を伴ってきて、目標通りの数字が出てこなかったということもありました。しかしながら、悪いことだけではなくて、例えば「従来の化粧品よりも非常にセンスが良くなった」ですとか、そういった良いお声もいただいておりました。

内田

「ファンケル」というと、ものすごく誠実にものづくりをする会社、というイメージがとても強いのですね。熱狂的にファンケルを支持するお客さんというのがいる。ある意味、ファンケルの強みというか、財産というのはその「ファンケル支持」というお客さんなのかと思うのですけども、山岡社長にとって「ファンケルの強み」「ファンケルとは何か」という質問を差し上げるとしたら、どういうお答えになりますか?

山岡
ファンケル化粧品は、やはりお客様を第一に考えている会社でして、業態的には、よくアパレル業態で言われる「SPA」という業態を採っております。自分の会社で企画をして、研究・開発をし、製造をして、広告を打ち、直販で販売をし、そしてお客様からのお声をいただき、それをまたフィードバックして次の商品やサービスに繋げていく、という形でやっています。ですからお客様のお声がダイレクトに私どもに届きますので、そのお客様のレスポンスをいただきながら、私たちが「本当に喜んでいただいているのかどうか」「どんなところに課題をお客様は感じていらっしゃるか」、これを非常にスピード感を持って情報を入れることが出来ますし、対応することが出来る。まさにこの形がいわゆる「マーケティング」、「マーケットを創造する」という形で、一番優位性のあるビジネスのスタイルだと思っています。

内田

そういうリテールの世界を見ていると、「製造して販売する」、でも「店舗を持たないでネットの世界で直接販売をする」という、究極のSPAの様なスタイルが最先端の様な形になっているわけですよね?これは元々ファンケルがやっていたシンプルなスタイルではないですか。でもファンケルは今、そこにプラスアルファ、店舗を持って、更にチャネルも増やして行こうという意味では、シンプルにサプライチェーンを短くしていこう、というのとはまた少し違う方法を採っている様に見えるのですね。ここの戦略というのは、どういうことなのですかね?

山岡
最近はいろいろな意味で「マーケティング」という言葉が使われる様になってきています。いわゆる「マーケットを創造する」ということだと思いますけども、やはり「もの売り」だけではマーケティングは出来ないと思います。やはり、その「もの」に託した企業の考え方を、しっかりとお客様と共有できるかどうか、にかかっていると思います。

内田

なるほど。

山岡
例えば美容の事業でしたら、どんな方法で美を提供していくのか、また何を大切にして美容を考えていくのか、こういったポリシーをしっかりと私たちが持つこと。そして、それを商品そのものを持っていただければ感じられること。そしてお客様と接するあらゆる接点で、その考え方がどうであるかということや、それによってどんな美がもたらされるか、そういったことを、きちんとお客様にご説明して、むしろ商品はそのための「手段」だと私は思います。そういった「手段」を持つためにチャネルがあり、お客様との出会いをたくさん作っていく、そういう構造があって初めて「マーケティング」だと私は思います。私どもの「無添加思想」ですとか、「素肌を大切にする」、そういった考え方を、お客様の価値観として共有いただける様な関係性を作ることが出来る。これがやはり、まさにSPAの醍醐味だと思っています。


ナチュラル志向の顧客から支持を受けるファンケルの無添加化粧品。これまでは通信販売や直営店で売り上げを伸ばしてきましたが、2014年4月からは、全国のドラッグストアで洗顔商品の販売を始めています。

内田

山岡社長がいろいろなことをトライしている、チャレンジしているという中で、「ドラッグストアで売る」と。これは過去のファンケルにはなかったことですよね?

山岡
はい、そうです。

内田

ここに乗り出して行った。ある意味、そのブランドイメージの中で、持っているブランドのイメージからすると、リスクを負うという部分もあるという風に思うのですけども、何故「ドラッグストア」に出ようと思ったのですか?

山岡
最近、やはり皆さんがよくご利用されるのは、ドラッグストアとインターネットのチャネルなのですね。ドラッグストアの台頭というのは非常に目覚ましいものがあります。以前は限られた商品しか置けていなかったチャネルなのですけども、今は本当にあらゆる商品が、見やすく、沢山豊富に街に出されている、という環境ですので、例えば、新しいコスメを探しに行くのだとすれば、「ドラッグストアがいい」という方が大勢いらっしゃいます。

内田

そういう価値観が、消費者が変わってきたのですね。

山岡
そうですね、特に若い方などは、インターネットやドラッグストアで買っていただいているということが非常に顕著になっています。今ドラッグストアで販売いただいているのは「洗顔」のアイテムです。「マイルドクレンジングオイル」と「洗顔パウダー」という、私どものある意味、看板商品です。そういった商品で、私たちも一生懸命直販でマーケティングをしてきたのですけども、「知っているのだけど、私の周りに売っていない」と言われたわけです。ですから、認知度が高くて知っている商品であれば、近くに売り場を持てば、それは売れるのではないか、という考え方なのですね。当然だと思いますけども。

内田

なるほど。

山岡
そんな考え方ですが、直販を増やすには限界があります。当然、インターネット販売もどこでも買えるのですけども、やはり「見て買いたい」「他のものと比較して買いたい」という方々が多くいらっしゃいます。そんな中で、今、台頭してきているドラッグストアさんで弊社の洗顔商品を展開することで、今まで出会いがなかったお客様と、その売り場を通じて出会いが作れる、という風に考えました。

内田

これまでは、そのようなチャネルがある、というのは分かっていながら、ドラッグストアに置くのはちょっと、という考えがあったと思うのです。それを、やはりドラッグストアに行くのだ、という風に決心をしたというのは、何だったのですか?

山岡
やはり私たちは直販にこだわって今までやっておりましたけど、「洗顔アイテム」というのは、「スキンケア」とはまた違った価値観で皆さんお選びになります。例えば「スキンケア」ですと、そのブランドの志向性やテクスチャーの好み、こういったところが非常に多く左右されますので、そう簡単に皆さんブランド支持してくださらない。ところが「洗顔」というのは機能性が非常に差別化要因になりますので、「落ちる、落ちない」「肌に優しい」とか、そういったご縁は、一回使っていただくと、非常に分かりやすい。そういった「機能」で、お客様に私どもの商品を認知いただけて、使用を継続いただける環境を作れるのが、この「洗顔」アイテムだと思ったからです。

内田

反響というか、その結果というか、効果はどうでしたか?

山岡
はい、お陰様で計画以上の成果が出ました。

内田

そうですか。他にこの「顧客層を広げていく」というトライアルの中で、どういうチャレンジがありますか?

山岡
そういう面では私どもの会社の中では、「アクティブコンディショニング」という、去年新発売しました化粧液をはじめとしたラインがあるのですけども、私どもの、先ほど申し上げたポリシーに非常に共感性の高いお客様に対して、雑誌を選んだり、いろいろな接点をきちんとターゲットを決めて、その方々に狭く深くコミュニケーションをとる、という手段で去年はリニューアルをさせていただいて、成功しています。やはり、最近皆さんものをお選びになる時に、こんなに情報が過多になりますと、どういう情報を信じるか、という話になりますと、やはり自分をよく知るお友達からのアドバイスや、それを使った方の口コミの情報だとか、専門家の方の口コミ、いわゆる「消費者の方の情報」というのが一番大事だという風に皆さん受け取っている様ですね。ですので私たちは一方的なものではなくて、私たちが投げ込んだ情報を拡散していただく様な体系を作って、そこでいつも話題に上る様なブランドにしておかないと。そこで直ぐに数字は上がりません。ただ、旬なブランドである必要があると思います。ですから、「知らないブランドではない、知っているよ」「こんなブランドだよね」「こんな人が使っているよね」とか、「こんなところがいいよね」という様なことが、自然に消費者の皆さんの中に入っていける様な環境を作っておく。そうすると、私たちがキャンペーンをやったりした時にレスポンスしてもらうことが出来る。いわゆる「市場を耕しておく」ということが必要だと思います。

内田

なるほど。「耕しておく」。

山岡
「クレンジングとか洗顔のファンケルではないか」という方もまだいらっしゃいます。ですから、そういうファンケルがスキンケアを、きちんと皆さんにお使いいただける環境で、非常にいいものである、ということ。それから、誰のものであるか、ということ。しっかりと分かっていただけるいいチャンスにしたいと思っています。


年齢や世代別の化粧品を各メーカーが出してきた中、ファンケル化粧品でも、「マチュア世代」と呼ぶ60代以上の女性に向けた化粧品の販売をスタートしました。

内田

新ブランドを立ち上げたということで、「ビューティーブーケ」。これは、どういう狙いがありますか?

山岡
「ビューティーブーケ」は、この10月3日に新発売させていただいたのですけども、これは60歳以上のマチュア女性に向けた新ブランドです。

内田

作るにあたってのご苦労といいますか、想いというのがありましたか?

山岡
もう60代以降の化粧品は、本当にレッドオーシャンのマーケットになっていまして、各社さん本当にいろいろな化粧品をお出しになっていらっしゃると思います。私たちはそういった面では少し後発になりますけれども、私たちがブランドに込めました想いというのは、やはりその方々の本当に「負の解消」になっている、頼りにしていただけるブランドにしていきたい、ということで、4,500名以上の、このターゲットの皆様にお会いして、お話を聞いて、それも化粧品のことだけではなくて、どんな価値観で生活をなさっているか、生活のスタイルや、どんなことを楽しまれているか、美と健康の意識はどうなのだろう、とか。そういうところから情報を集めて。

内田

すごいですね。どんな声が聞かれました?

山岡
この世代の皆様は、3つのグループに分けることが出来るのですね。やはり年代がいかれると、美よりも健康意識が皆さん高まってきます。その中で、やはり「美よりも健康よ」という方が大体3割くらい。「そうは言っても、美しくいたいわ」という、ストイックに美を求める方が1割弱くらい。それで残りの方々というのは、そんなにストイックではないのですけど、「健康でもいたいし、きれいでもいたいわ」という方々がいらっしゃいます。私たちは、この最後の「健康でもいたいし、美もあきらめないわ」という方々を「欲張りバランス女性」と呼びまして、その方々を私たちのターゲットにしました。

内田

ここに向けて、これからそういうポリシーと言いますか、商品を打ち出していく、ということだと思うのですけども、どんな打ち出し方をしていくのですか?

山岡
この「欲張りバランス女性」の皆様の価値観と言いますと、化粧品で言いますと、やはり肌悩みというのは「たるみ」なのですね。「しわ」も「しみ」もあるのですけど、「しみ」は、隠せる。

内田

隠せる。確かに。

山岡
「しわ」は、私たちの老眼だとそんなに細かいところまで見えないので、まぁいいと。問題は「たるみ」なんだ、と。「たるみ」は遠くからでも分かる、ということで、皆さん「たるみ」が一番深刻な悩みを持っていらっしゃること。それからお若い時期、ちょうど60歳以降の方々とは高度成長期時代、いろいろなものを消費していらっしゃった世代の方々だと思うのですけども、今になるとやはりシンプルに、毎日続けていける様なシンプルステップのケアをしたい、ということで、やはり今人気の「オールインワン化粧品」をお使いの方々が非常に多くいらっしゃいました。もう一つは、お化粧品に対しても、あのくらいの歳に皆さんなられると、食べるものも随分皆さん、気を遣っていらっしゃいますね。健康志向の、体にいいものを採りたい、という方がいらっしゃって、それも化粧品を選択する一つの基準になっていまして、「無香料」とか「無添加」というのが、この世代になってまた浮上してくるのですね。

内田

まさに、ぴったりくる世代である、と。

山岡
そうですね。ですから、健康志向の方には私どもは健康食品をやっておりますので、「ファンケル」というブランドには「健康」というワードも見え隠れしておりますし、そして無添加という「安全性」、「肌に優しい」ということも化粧品の中では皆さん、ご存知の方も多くいらっしゃいます。この弊社の強みをしっかりと発揮して、この方々により良い商品、サービスを提供していきたいと考えています。

内田

ファンケル化粧品が今後、どの様な姿になっていくのか。山岡社長が考える未来像というものをお聞かせいただきたいのですけど。

山岡
就任して、社員、メンバーとまず、私たちのこの会社のミッションを決めましょう、ということで、基本戦略を組む時に、皆で話し合いました。それで皆で合意したのは、「世界中の女性を素肌美にしよう」と私たちのミッションに設定しました。世界中、と急に大風呂敷に思われるかもしれませんが、もう既にアジアでは中国語圏を中心として、私どもの商品を販売しておりますし、この無添加の技術というのは、肌に優しいものだけで作るとか、悪いものを入れない、というだけではなくて、それを研究していく中で、タンパク質レベルまで、肌というのはタンパク質で出来ているのですけども、そこまでの細かい研究が進んでいまして、どんなタンパク質が肌をきれいにするのか、とか、そういう技術まで私たちは持っています。

内田

すごいですね。

山岡
ですから、きちんと機能があり、考え方がしっかり出来ている化粧品または商品、サービス、というのは、国境を超えるのではないか、と思っていまして。チャンスは無限にあると思っていますので、「世界中の方に」「女性を素肌美に」というのは、本当に、本気で取り組んでいきたいと思っています。私の夢は、「ヨーロッパやアメリカで私どもの広告が流れること」、それでいろいろなところに、世界で、私どものファンケル化粧品の広告を見聞き出来る環境を、私は作っていきたいと思っています。



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特徴ある製品・サービスを紹介
「ビジネスのヒゲ」

独自の技術に生き残りをかけた町工場
八正精工(川崎市宮前区)

10月10日放送分
「人をつくる大学 独自方針で描く神奈川大学の姿」

ゲスト
神奈川大学 学長・博士
兼子良夫さん


【プロフィール】
1955年 山形県出身
1979年 同志社大学卒業
2002年 大阪大学大学院博士の学位取得後、
2007年 神奈川大学経済学部教授、理事を経て
2016年に学長就任


横浜市神奈川区と平塚市にキャンパスを置く神奈川大学は、大学・大学院に7学部・9研究科、学生約2万人を数えます。1928年に米田吉盛が設立したルーツの「横浜学院」は、教育の機会均等を説き、京浜工業地帯の勤労者に向けた教育を展開、創立88年を経て「人をつくる大学」を伝えてきました。地方財政を専門とする兼子学長に、神奈川経済の今と大学の姿について伺います。

内田

兼子良夫学長は、経済学のドクターでもいらっしゃるということで、経済学者として「神奈川経済」というのは今、どのように見えますか?

兼子
神奈川経済は歴史的にも京浜工業地帯の横浜と川崎を中核とする「日本のもの作り」を先導してきた地域ですよね。現在も横浜の自動車産業、川崎の化学とか、相変わらず日本のもの作りを先導しているという、とても大事な地域だと思います。ただ、日本のもの作りそのものが課題としている多くの状況というものを、やはり神奈川経済もそのまま引き継いでいる、直面しているということで、とても大変な、厳しい状況にあると思います。よその地域と違う点というと、いわゆる財政的な、学問的なところを少し言いますと、神奈川の市町村というのは、とても財政的に安定しているんですね。なおかつ、神奈川県には私共の大学を始め、40を超える大学が存立しているわけですので、若者が沢山、全国から集まるという。そういう意味では、神奈川のもの作りと、それを支える周りの環境というのは、他の県と違って、とても優位性の高い地域だという風に思っています。

内田

そもそも京浜工業地帯というものと神奈川大学の設立というのは密接なところにあると思うのですけれども、やはり「大学で何を学ぶか」というところは、「神奈川県にある」ということを非常に意識しながら作られているということですか?

兼子
そうですね。横浜の桜木町に設立し、その当時は88年前、昭和の初めですけれども、新しく日本が船出をする、京浜工業地帯として様々な企業活動を行う、それをバックアップする人材として工学部、商業貿易などの学科を作っていったということです。従って、この京浜工業地帯の発展と共に神奈川大学は発展してきたと言っても過言ではないと思います。

内田

その中で経済のあり方も、社会の在り方そのものも変わって来ている中で、各大学の課題というのが、人口減少、少子化というところになっていくわけですね。生き残っていくためには「自分達はどうあるべきか」、独自性みたいなものを打ち出していかなければいけないと思うのですけども、その辺りの競争というのはどのようにお考えでしょうか?

兼子
今現在、4年制大学は780を超えるのですよね。いつの間にか大学がどんどん増えて、その中で、神奈川大学はいわゆる十数位の規模で運営しているわけです。「卓越した研究に基づく教育」ということを伝統的に行って参りまして、設立者の米田吉盛先生が、「人は実業家や学者、官僚である前に、まず人間であれ」と説いたのです。特に神奈川大学は学則の第一条において、教養教育というものを重視する形を取っています。やはり、人としての生き方、それから物事の良し悪しなどを判断するというのは、やはり教養に依存する、ということです。それから自ら学んだ専門的知識というものを、結果としては世のため、人のためになる様にその能力を使っていただきたいという、それが神奈川大学の「人をつくる大学」「教育は人をつくるにあり」と、創立者の米田吉盛先生が説いた内容だと我々は理解して、原点に還ろうと。あくまでも「人をつくっていこう」ということです。


「人をつくる大学」として注力するのは、学生への充実したサポート。その一つが独自の奨学金制度「給費生制度」です。入学試験で優秀な成績を収めた学生には授業料・生活費を合わせ、4年間で最大800万円を給付。現在、全学で100名ほどがこの制度を利用し積極的に学んでいます。

内田

この「給費生制度」は神奈川大学の奨学金制度ということですよね。学費から生活費も補助するということで、至れり尽くせりの様に見えるわけですけども、そもそもこれはどういう意図で始まったのですか?

兼子
うちの大学はそもそも「勤労者に教育を施す」という、所得格差があって、教育を受けられない人があってはならない、ということですよね。そういう伝統とDNAを我々は受け継いでいるものですから、自ら自力で学問をして、社会に出ていきたいという学生については、「是非来てください」ということです。その学生は、やはりそれなりに意識を持って大学に来るものですから、そういう学生を出来るだけ伸ばしていこうということ。その波及効果というものが出てくるという風に我々は思っています。基本的に、今の私立大学は偏差値で輪切りされていってしまいます。従って、その大学に入りたいという人が、偏差値関係なくして昔は入った様ですけど、今はなかなかそうでもない。そういう意味で言うと、「学生に色んな人がいる」「色んなバリエーションがある」ということは、うちの大学の一つの特徴だと思います。我々としてはその給費生にリーダーになっていただければと思います。

内田

学生に非常に優しいというか、門戸を開いているという、そういう大学という印象なのですけど、今、学生が大学を選ぶ基準の一つとして、やはり離職率が低い大学にわざわざ行くよりも、高いところに行った方が安心だなという、そういう基準はあると思うのです。そういう中で、「今の日本に必要とされる人材をつくっていく」という、これはどんな人材だと思われているか、お聞きしたいのですけど。

兼子
基本的な意味合いで言いますと、先ほども言いました様に、教養をしっかり持つ様な良識のある人間として、色々な形で学んでほしいということですね。ただやはりグローバル社会ですから、このグローバル社会の中で、いわゆる国際交流も含めて、世界に通用する倫理、そういうものは一体何なのだろうときちんと理解をする。まず日本というものを、相手の国も理解しなければいけませんが、日本というものをきっちり理解してほしいと思っています。日本文化に内在する価値観とか、そういうものもやはり学んで、それでグローバル社会に出るという形の人材が、我々のグローバル人材育成の中核として考えているのですね。

内田

本当におっしゃる通りだと思います。海外に仕事に行けば行くほど、日本人としてどういう考えをきちんと提案するのか、考えを持っているのか、ということを求められますよね。そこでしっかりとした意見を持たないと、グローバル人材として見なされないという、そういうことになっていきますよね?

兼子
そうですね。ですから我々としては、まずは英語というのがとても大事だということは認識しますけども…

内田

手段ですものね。それは。

兼子
まずは日本語でしっかりものを考えられる様に、日本語でものを考えましょう、ということで、日本語で学ぶ。日本の文化も海外の文化も含めて。母語で考えていって、考える力をまず養成するということはとても大事だと思っています。その上で、ツールとしての語学を学ばせる、学んでいただく。学びたいのならいくらでも学べるよ、という様な環境を整えています。何より大事なのは、まずきっちり考える力と、それから日本というものを理解しましょう、ということですよね。


高度な研究機関として大学の価値を支えるのは、研究者である教授・講師陣。学生の成長にも影響を与える教員をいかに集めるかが核となりますが、そんな中、神奈川大学に在籍するのは第一線で活躍する研究者たち。研究の一つの到達点である「論文」の数は理数系で全国5位、補助金・化学研究費は全国18位と、高い成果を上げています。

内田

お話をお伺いしていて、神奈川大学の環境であるとか、カリキュラム、そういうしつらえは非常に良いと。

兼子
研究者というのは「研究環境のいい大学に移りたい」と思うものなのですね。もちろん、研究環境のいい大学というのが、東京大学をトップとして、相対的にはそうだと思います。しかしながら、私立大学の中にも、研究環境のいい大学があるのですよ、ということを、ここで強く言いたいですね。

内田

研究環境の良さというのは、もう少し具体的にお聞かせいただきたいのですけれども、どういうことなのですか?

兼子
まずは自由に研究できる。「何でも好きにどうぞ」、これはどこの大学でも原則的には当たり前だと思うのですけれど、うちは本当に自由。「フリーです」、ということです。学問の自由が基本的に保障されているということと、私立大学の場合ですと、給料という面では、有名大学というのはほとんど変わらない。そうすると、研究をする場合、どれだけ援助、補助していただけるかという、そういう制度の問題になってくるわけです。なおかつ、70歳がうちは定年ですので、きっちり70歳まで、研究をフルで行っていただく。生涯に渡って研究ということでいうならば、やはり研究期間というものの「長さ」も含めてバックアップをする。そのバックアップした研究成果に基づいて、教育に還元していただく、ということです。

内田

ただ研究をしているだけではなく、きちんとそれも学生たちに。

兼子
そもそも学問というのは、真理の探究と同時に、人類の生存条件の辛さを軽減する、ということになっているわけですよね。全ての学問というのは、いわゆる人類の「福祉」という、公共性に開かれた学問として登場していますので、その学問を極めるということは、とりもなおさず「世のため人のため」になる。これは短期的な視点なのか長期的な視点なのか、なかなか難しいところがあるのですが、そういう気概を持って皆さんやっていらっしゃいますので、しっかりと研究をして、その知見を教養ある人間、人づくりに役立てていきたい。オーソドックスな大学として、今後も地域に貢献したいという風に思っています。

内田

神奈川大学が将来に渡って神奈川にあり続けていく意義、未来の姿、というのはどの様なものであるべきか、それを教えていただきたいのですけど。

兼子
神奈川大学は(創立)88年になりますけれども、今、100周年に向けて、研究環境や様々なものを見直しているところです。学部の在り方も含めて、どういう形で社会貢献をしていこうか、ということをじっくり検討しながら100周年に向けて、「神奈川大学がないと困る」「神奈川大学でみんな学びたい」と地域の人たちも社会的な形で、社会人の方にもきちんと学んでいただきたい。オープンキャンパスの様な形で、多くの形で社会貢献をするという様なことで、「地域に必要とされる大学」になればいいな、そうなりたい、と思っています。


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特徴ある製品・サービスを紹介
「ビジネスのヒゲ」

洋家具発祥の地横浜で伝統と革新を担う家具職人集団
かなもく塾(横浜市中区)

10月3日放送分
「横浜市で創業したオフィス家具のトップメーカー」

ゲスト
株式会社岡村製作所
代表取締役社長 中村雅行さん


【プロフィール】
1951年 東京都出身
1973年 早稲田大学卒業後、岡村製作所入社
2012年 代表取締役社長に就任


オフィス、店舗用の家具を中心に空間を提供する岡村製作所。戦後間もない1945年、航空機製造の技術者が集まり、横浜市磯子区岡村で創業しました。国内初のトルクコンバーターや乗用車「ミカサ」の製造、その後は家具メーカーとして高度経済成長期のオフィス需要で発展し、現在はオフィス家具の他、商環境や物流システムでの商品展開でも高い評価を受けています。

内田

今日は、すごく座り心地のいい椅子で番組をさせていただくということなのですけれども。

中村
ありがとうございます。

内田

これは、岡村製作所の椅子であると。特徴はどういうところにありますか?

中村
これは2002年に発売したのですが、メッシュで作った事務用の高級椅子で、今、累計14年間で46万本、世界で売っています。

内田

日本で一番売れている、日本初の?

中村
高級チェアです。

内田

高級椅子の中では一番売れている椅子であると。

中村
そうですね、はい。

内田

そういう椅子で、ずっと座っていたいくらいなのですが…会社のことをお聞きしていきたいのですけど、まず岡村製作所さんは横浜の生まれ、創業ということで、創業のきっかけといいますか、どの様な形で会社が誕生したのですか?

中村
横浜市磯子区岡村町というところにあった飛行機会社に勤めていた従業員、航空技術者が集まって、終戦になりましたので、田舎のない人たちが集まって、お金と技術、それから労働力を提供し合って作ったのが岡村製作所なのですが、コンセプトとしては「郷土の工業」ということで、資本家がいたわけではないので、「みんなで作ろう」ということで作りました。お金もなかったということもあるのですが、飛行機会社でしたので、鉄とかアルミとか、ジュラルミンの材料がありました。それを使って最初は日用品ですね、鍋とかお釜というのを作って売っていたのですね。そのうちアメリカ軍が横浜に駐屯して、アメリカ第8軍というのが駐屯していまして、そこから出てくる特需の製品、例えばダンスホールの椅子とかスチールのデスク、それからジープのフェンダーとか、そういうものを請け負いながら事業を営んで、少しずつ大きくなってきました。

内田

元々は飛行機を作っていた方たちが、鍋、窯を作ったり、椅子を作ったり、自由自在に物作りをしていたということなのですね。

中村
ただ、やはり航空技術者の人たちでしたので、「いずれ飛行機を作りたい」と言うので、戦後初の飛行機、セスナですけれども、それを作りました。「次は国民車の時代が来るだろう」というので、自動車を開発するのですが、この自動車が当時「FF・ノークラッチ」の自動車だったのですが、なかなか販売力、それから資金力がいるので、事業としては上手くいかなかったということで、途中で諦めて、その後は主力の事業「オフィス家具」に移してきた、という経緯です。

内田

その「オフィス家具」というところで、これまでの歴史、もの作り、そこに息づいているものというか、共通しているものというのはあるのですか?

中村
共通点と言えば、例えば自動車でいくと、外装の部分というのは板金技術ですよね。ですからそれはオフィス家具ですとか、今、商環境事業と言いまして、小売業の店舗の陳列棚とか、あと工場で使う物品棚というのがありまして、そういう薄板を加工する製品群に技術が活かされている。

内田

なるほど。

中村
それともう一つ、エンジンの部分は、先ほど言った流体変速機とかトランスミッション、あと自動倉庫とか冷凍ショーケースの様なものの事業に活かされているということです。

内田

岡村製作所は「オフィス家具の会社」というのが出てきますけども、でも実は、商環境とか物流システムにシェアを持っていらして、会社の売り上げの中身を見ても、41パーセントがこちらの事業で賄われているという意味では、結構比重がありますね?

中村
元々、横浜に駐屯していたその米軍が日本からいなくなった時に、特需がなくなって、何の事業をしようかということで「岡村製作所の事業領域を決めよう」と、今でいうドメインですよね。事業ドメインをどの様に決めるか、というのを議論した時に、「人が集まるところで使うもの」を作ろう、と。やはり企業ですから、景気に対する影響というか、景気が悪くなればそれなりに市場が縮小するので、単一の事業ではなくて、やはり複数の事業を柱立てて持つ、ということは非常に大切です。


東京都千代田区にある、岡村製作所のショールーム。特に注目を集めているのが、上下昇降デスク「スイフト」。「座って行う」ことが常識のデスクワークに、「立って行う」という新しい提案をしています。

内田

今、VTRでも「健康経営」というキーワードが出ましたね。これは本当に最近言われている言葉で、経営者の方たちが、とにかく「社員を病気にさせない」、「病気の社員が沢山いる会社は良くない会社である」という評価が、特にマーケットからもされるという様な話の流れの中で経営者の方からのニーズという形で降りてくるのですか?

中村
そうですね。やはりこの製品は通常のデスクに比べると高いですから、経営者が関心を持っていただいたところが、やはりトップダウンで「これを使おう」と言って大量に買っていただく、採用する、というケースは多いですね。

内田

例えば業種で言うと、どういうところがこの「スイフト」を欲しがるのですか?

中村
業種に関係ないですね。やはり経営者の方が従業員の健康とか、効率ということを考えて、やはり「今までと違う流れを作りたい」と。「他社と違うことをしたい」という様な経営者の方は飛び付きますよね。

内田

「働き方革命」の中の一つとも言えるのですかね?

中村
実際使ってみると、コミュニケーションが良くなったとか、それから作業効率が上がったとか、あと「立ち会議」というのがありますが、会議時間が短くなったとかという、非常に効果があるという話を実際使ったお客様からはお聞きします。

内田

今の日本経済、日本企業で特に注目されているのが「ホワイトカラーの生産性向上」ということがもの凄く声高に言われていますよね。中村社長から見る今の日本の企業、特にホワイトカラーの中での働き方の変化、というのはどんな風に受け止めていらっしゃいますか?

中村
「労働生産性をどうやって上げるか」という話なのですが、やはりこれは非常に大きい、今の企業にとっての課題だと思うのです。欧米の企業に比べると大体、日本の労働生産性は6割から7割と言われています。これを解決する方策に、仕事の密度を上げるというのが一つあります。もう一つは「三人寄れば文殊の知恵」と言いますが、やはり色んな、違った専門家が集まって、一つのものを集中的に議論して、短時間である目標というか、ものを作り出す、という活動が、ものすごくオフィスの中では重要なのですね。今の仕事の仕方は比較的、バケツリレー方式ではないですけど、一つ終わると次の人たちに成果を渡して、それでまた何かをまとめて次の人に渡す、という方式。やはり今言った、違う人、専門家が集まって同時に議論して作っていくという方向に変える。コンカレントな仕事のやり方ですよね。違った職種の人が同じ土俵で議論できる場を作っていかなければいけない。それは、一つは「オフィスの環境」なのですよね。効率的で創造性の高い仕事が可能になるようなオフィス環境をどう作るのか、というのが非常に重要なことになってくると思います。

内田

机と椅子が並んで、席が決められて、無駄なく人が座っている、というオフィスではダメだと?

中村
オフィス環境を作るというのは「費用」を使うことではなくて、やはり人に対する「投資」だと思うのですね。人に対する投資ができるかどうか、というのは非常に重要なことで、やはり投資をする、ということはリターンがある、ということですから、それなりの環境を提供すればそれなりの、企業としてはリターンがあると。それが一つは効率性であり、創造的な結果、仕事による結果である、という風に思います。


去年の9月に出版された書籍「オフィスはもっと楽しくなる はたらき方と空間の多様性」。岡村製作所のオフィス研究所の研究員による、最先端の「働き方」と「オフィス」の関係を解明した一冊です。

内田

「オフィスはもっと楽しくなる」ということで、岡村製作所のオフィス研究所が出したということなのですが、「楽しくなる」と。さっきまでお話していたのは「生産性を上げていかなければいけない」、どちらかというと厳しく、「もう少し仕事の中身をぐっと詰めていきましょう」という話だったのですが、こちらは一転、「楽しい」というお話なのですけども、どういう意図を持ってこの本をお出しになったのですか?

中村
「働き方」と「空間の多様性」に対応した時に、オフィスというのはどういう観点でもっと見直すべきか、ということを書いている本です。今までのオフィスを少し見直す時に、「こういう観点で、いろいろな観点でオフィスを見るとオフィスは変わっていく、やはり変えるべきだ」ということが書いてあります。

内田

その中で、変えるポイント、大事なポイントということで言うと、どういうキーワードがありますか?

中村
一つは、やはり「人中心」。オフィスは当然、ワーカーがいるわけですから、そのワーカーを中心にいろいろなことを考えていく。当社で言うと、今「ナチュラル・ビーイング」という言葉を使っていますけど、やはり「自然に働ける」というか、「感性をいかに育てるか」ですね、「価値観をいかに共有できるか」という観点を含めて、やはり働き方に合ったオフィス環境作り、「オフィス環境というのはどうあるべきなのだ」ということを語っている本です。

内田

「ナチュラル・ビーイング」という言葉というのは、なかなか今まで、日本のオフィスを語る上では出てこなかったですし、表されていなかった言葉だと思うのですけど、やはりこれからはそれが大事になっていく?

中村
そうですね。その会社・会社によって企業の文化というのは違うと思うのですね。その企業の文化に合わせた働き方、それから働く環境作りをすることで企業と個人がうまく繋がるというか、その繋がりが強くなる。平たく言うと「働きがい」とかですね、「仕事の達成感」とか「やりがい」とかというのが出てくると思うのです。そこはやはり「人」が中心なので、そこのところをどう変えていくのか、良くしていくのか、という辺りが大切だと思います。それを総称して「ナチュラル・ビーイング」という言葉で呼んでいますけど、そんな観点で仕事を見つめ直す、やり方を変えていくということをしていきたいと思っています。

内田

これからの岡村製作所の未来の姿、というのはどのようなものになっていきますか?

中村
今までお話ししてきましたけれど、もともと当社は業界に先駆けて新しいコンセプトの製品や提案を提供し続けた会社です。これはこれからも続けていきたいですし、続けていかなければいけないという風に思っています。例えばオフィスで言うと、「日本のオフィス文化を作り出せる様な企業になりたい」と思っています。欧米とも違う、東南アジアとも違う、日本独自のものがありますので、やはり日本の企業文化にあったオフィス環境を提供していくということは我々の使命だと思っていますので、そういう観点で事業を続けていきたい。もう一つはいろいろな市場は飽和だと言われていますけど、先ほどのスイフトの話ではないですけど、やはり新しいコンセプトの製品を出すと、そこには全く新しい市場ができるので。それを作り出すことのできる企業であり続けたい、という風に思っていますし、そういう意味で、それぞれの事業でその市場を作り出す企業になりたい、という風に思っています。


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これまでにない取り組みを行う郵便局
トレッサ横浜郵便局(横浜市港北区)