26/3/11(水)17:39
東日本大震災の発生から11日で15年となりました。被災地では朝早くから深い祈りを捧げる人の姿が見られました。
地震発生時刻の午後2時46分に合わせて被災地では追悼の祈りが捧げられました。
2011年に発生したマグニチュード9.0の巨大地震は、海溝型だったこともあり大津波も発生させ東北地方を中心に戦後最悪となる甚大な被害をもたらしました。
また、地震の複合災害として東京電力福島第一原子力発電所では電源が喪失。
原子炉で核燃料が溶け落ちるメルトダウンとなり、現在も一部地域が帰宅困難区域となっています。
復興庁などによりますと震災による死者・行方不明者は合わせて2万2000人以上にのぼり、今もおよそ2万7000人が避難を余儀なくされています。
26/3/11(水)17:37
鎌倉市内の寺では、宗教の垣根を越えて犠牲者を悼み復興を願う祈りが捧げられました。
「黙とう」鎌倉市の建長寺で開かれた「追悼・復興祈願祭」。
僧侶や神職、牧師など、仏教・神道・キリスト教の宗教者が集まり、東日本大震災が発生した午後2時46分に合わせて黙とうが捧げられました。
(大本山建長寺内務部 松本隆行部長)「震災の怖さとか残された人の悲しみとか寄り添う機会がなかなか無い中で3宗教が集まってその悲しみに寄り添うそこから立ち上がる勇気を与える祈りの会」この祈願祭は、震災の翌月から3つの宗教が垣根を越えて鎌倉で祈りを捧げたことをきっかけに始まりました。
2012年からは、毎年3月11日に合わせて開かれています。
会場では、一般の人も参加し、読経や大祓詞、賛美歌などそれぞれの作法で祈りが捧げれました。
(参加した人は)「15年のうちに風化することが恐れるところ。
毎年参加することで胸にいつまでもとどめておくことが大事」
26/3/11(水)17:32
11日午前、横浜市神奈川区のアパートの一室で火事があり、焼け跡から性別不明の1人の遺体が見つかりました。
神奈川県警によりますと、火事があったのは、横浜市神奈川区菅田町の木造2階建てのアパートの一室で11日の午前11時頃、「建物から炎と黒煙が見える」と近隣住民から119番通報がありました。
火はおよそ1時間後に消し止められましたが、1階にある1室を全焼し焼け跡から性別不明の1人の遺体が見つかりました。
この部屋には74歳の男性が1人で暮らしているということですが、現在は連絡がとれていないということです。
県警は火の出た原因を調べるとともに、見つかった遺体が住民の男性の可能性があるとみて身元の特定を急いでいます。
現場は、JR横浜線・小机駅から南におよそ900メートル先の住宅街です。
26/3/11(水)17:29
清川村立宮ヶ瀬中学校でたった1人の卒業式が行われました。唯一の生徒が卒業し、学校は4月から休校することが決まっています。
1947年創立の宮ヶ瀬中学校。
最も多かった81年には、84人の生徒がいましたが、宮ヶ瀬ダムの建設計画が進むとともに住民が移転したことから生徒数は減少。
97年以降は10人未満の年が続き、2025年4月からは3年生の齋藤瑞季さん1人になっていました。
そして迎えた11日の卒業式。
笑顔で卒業証書を受け取った齋藤さんは、「支えてくれた地域の人や先生たち、家族がいなかったらここまで成長できなかった」などと「旅立ちの言葉」を読み上げました。
教職員らに見送られた齋藤さんは生徒が自分1人になってからも「楽しくあっという間の1年だった。
最初はさみしかったが前向きに進もうと思ってきた」などと振り返りました。
(宮ヶ瀬中学校3年 齋藤瑞季さん)「本当に先生や周りの人たちがいなかったらここまで元気に楽しく過ごせなかったと思うので本当に感謝している。ここで過ごせてよかった」宮ヶ瀬中学校は3月25日に卒業生など地域の人たちが出席して休校式を行った後、防災拠点として活用される予定です。
26/3/11(水)12:10
神奈川県内で発生している特殊詐欺の情報です。
神奈川県警によりますと、これまでに横浜市都筑区茅ケ崎南、港南区上永谷、港北区樽町、大和市福田、海老名市大谷北、厚木市旭町などで詐欺の電話がかかってきています。
内容は、警察官をかたって「あなたが犯人か被害者かを知りたい」や市役所をかたって「緑の封筒が届いていませんか」などです。
その電話は詐欺です。
すぐに電話を切り警察に連絡してください。
26/3/11(水)11:08
東日本大震災から11日で15年です。震災を経験した人々は、さまざまな思いでこの日を迎えています。
宮城県南三陸町です。
2011年3月11日、高さ15メートルを超える津波が町を襲い、3000棟以上の建物が全壊。
620人が亡くなり、いまも211人の行方が分かっていません。
あれから15年。
復興は進んでいますが、町の姿は震災前と大きく変わりました。
南三陸町出身「町がどういうものだったのか忘れてしまうそれくらいの時間。
どんどんと忘れ去られてしまうのも怖い気がするのでいつまでも記憶の中に残していかなきゃいけないのかな」あの日の情景が、いまも鮮明に思い出される人も。
南三陸高校鹿野憲明校長「最後にどうしても乗せられないおじいさんがいた。本当に乗せられなくてごめんねといってルームミラーを見たらそのおじいさんが黒い煙の津波にいなくなったのを今でもこの時期が来ると思い出して。もう一人助けられたらよかったなと私の車も15人乗っていたので手いっぱいだった。
その人たちの分まで生きなければいけないと思う3月11日」震災の日も、カメラのシャッターを切っていた佐藤信一さん。
写真を通じて、15年前の記憶を後世に伝えています。
さりょうスタジオ佐藤信一さん「あれは心を込めて撮れるような写真ではないので自分の心を殺して撮った写真でした。
その時の情景その時の前後のこともすべて覚えているのでこのように伝えられるのは自分しかいないと思っている」3月11日をきっかけに、遠い神奈川でも自然災害に備えてほしい。
それが、震災を経験した人々の思いです。
さりょうスタジオ佐藤信一さん「他人事とは思わず常に防災を心がけていただきたい。できなかったのが我々なので我々のようにならないでほしい」