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神奈川ビジネスUp To Date

神奈川ビジネスUp To Date

神奈川ビジネスUp To Date

1月28日放送分
「家とまち、人を輝かせるデザイン建築」↑メニューへ戻る

ゲスト
株式会社キクシマ
代表取締役社長 菊嶋秀生さん

【プロフィール】
1964年横浜市出身 
早稲田大学理工学部建築科卒業後、会社勤務を経て1989年菊島鉄工建設(現・株式会社キクシマ)入社
1997年代表取締役社長就任


「建築家とつくるデザイン建築」を手がける横浜市の建設会社キクシマを特集。鉄骨加工¬業から創業し、住宅事業に進出、個人のライフスタイルへのこだわりにこたえる家づくり¬を展開。さらにまちづくりにも積極的に関わる理由を菊嶋秀生社長に伺いました。

我妻
「建築家とつくるデザイン建築」という考え方は住宅事業を始められたときからお持ちだったんですか?

菊嶋
実は当社が住宅事業を始めさせていただいたのは1997、8年、その頃だったと思います。ちょうど私が社長に就任した年なんですけども、それまでに長らくお付き合いさせていただいていた地元のハウスメーカーがございまして、そのハウスメーカーに私どもは鉄骨工事の専門業者としてお付き合いさせていただいていたんですけども、その会社がある日突然、倒産をしましてですね、一斉にその住宅現場がストップしてしまったんです。それで協力会社の皆さんと相談をして「キクシマ、お宅が中心になってこの残っている仕事をお客さんのためにも継続してくれ」ということで、させていただいたのが当社の住宅事業の始まりなんです。

内田
止むに止まれずということで…

菊嶋
ええ。ただそれまでずっと私どもは創業以来、鉄骨工事ということを中心にやってきました。それはお客様が建設会社さんですよね。ゼネコンさんであったり地元の工務店さんであったり。そうするとこれからだんだん厳しい経済情勢の中で自分たちの生きる術を元請けの建設会社さんに委ねている、この状態にものすごく不安を感じていて、そういう意味で水上と言いますか、自分の生きる道と言ったら大袈裟ですけれども、それは自分たちで築いていこうと。

内田
当時の世の中はデフレ経済で安いものしか売れないという時代になっていったと思うんですけども、最初はどのような方針で住宅づくりを始めたんですか?

菊嶋
先ほど言いましたように、水上に、顧客に近づいていきたいと、そういうような思いは持っていたんですけれども、実際どうやってアプローチしたらいいのか一切わからなかったので。見よう見まねでパンフレットを作ったり、チラシを作ってご近所に投函をしたり、住宅展のようなことをやって来ていただいて「家を建てませんか」なんてアプローチをしたんですけれども、一切空振りでした。それである時に知り合いの建設会社さんを経由して建築家の方に、鎌倉だったんですけれども、自分の設計した家をキクシマで施工してほしいと。それはたまたま鉄骨を中心にした鉄骨造の住宅だったのでキクシマさんだったらできるんじゃないですか、というようなことでスタートさせていただきました。ただものすごく苦労してですね、当時確か2,500万円ぐらいの住宅だったと思いますけれども、気が付いたらもう原価で4,000万、5,000万円かかったと。そんな状況でしたね。社内でその工事が終わったあとに「社長、こんな仕事を継続していたら会社がおかしくなってしまう」と。

内田
そうですよね。

菊嶋
そう言われたんですけれども、一方で我々のライブスタイルが多様化していって、例えば着るもの一つとっても、サラリーマンの方でもジャケットにジーンズで出社するような、そういう企業がいっぱいあるじゃないですか。そういう中で住宅だけが何で既製品でなければいけないのか、もっともっと自己表現するような選択肢があっていいだろうと。きっと建築家の方が設計する、それぞれの個人のライフスタイルやご家族のあり方を表現する住宅というものがこれからますます広がっていくであろうと思ったので、この失敗をただ失敗で終わらせるんじゃなくて、将来振り返ったときに「あの時、あの失敗が財産だった」と言えるような失敗にしようということで、社員の反対を押し切ってやっていくぞということで継続してきました。

内田
(先ほどの取材VTRの中で建築家の方が)「建築家がイメージする家というのは、どの建設会社にでも任せられるものではない」と言っていましたが…

菊嶋
数えると300近く、そういった家づくりをいろいろな建築家の方とさせていただいてきました。それだけ一つ一つの建物を作る過程の中で失敗の経験もしてきました。こういう収めをしたら雨漏りをしてしまうとか、将来的に不具合が発生するということも経験してきました。そういったことを建築家の方と共有させていただいて設計に反映していただくとか、また無理を言われるケースもありますが、それを一概にバッサリと「それはできません」と切るのではなくて、何とか建築家の思い、それからクライアントの思い、これを形にしていこうということを一生懸命努力する。その姿勢を建築家の方々も共感していただいていると、期待をしていただいているところではないかと思います。

内田
一方、世の中では住宅着工件数が減っていて、若い世代はというと、先行きが不安、給料が上がらない、ボーナスが減っている…という意味で、一戸建てを持つという夢がどんどん遠のいているようにも見えるのですが。

菊嶋
昔は郊外の住宅団地に一戸建てを建てました、その「建てました」ということがゴールだったと思うんですけども、これからの時代はさらにその先に自分の可能性と言いますか、そこでどんなライフスタイルを展開していくのか、そこを求めていらっしゃるお客様が確実に増えているのではないかと思います。もちろん住宅業界全般で言うと非常に厳しい状況が待ち構えているのかもしれませんが、しっかりとクライアントの要望といいますか、私どもは今「人を輝かせる」ということをキーワードにしていますけれども、そういったことが提供できるような住宅なり建築なりが進めていければまだまだこの業界も可能性は広がっていくような気がします。


昨年創立50周年を迎えたキクシマ。その記念事業として行ったのが「まちを 楽しくするストリートファニチャーデザインコンペ」。ベンチや案内看板など“街の家具”のようなデザインを募集してキクシマが製作、展示を行いました。

我妻
「ストリートファニチャーデザインコンペ」で優秀賞に選ばれた3つの作品、どれも個性的だけれども機能的でもあって、とても面白いと思いました。

菊嶋
我々も応援して作らせていただいて、街の中でしっかりと機能を持って街の風景の一つになっていると、すごくうれしく思いました。

内田
興味深いのは、こういったコンペ、イベントにキクシマさんが力を入れるということなんですけども、これはご自身がやっていらっしゃる事業と共通点はありますか?

菊嶋
そうですね、本業とどう関わりがるのかというと、やはり人とか街が輝いていく、そこに貢献していきたいというのがキクシマの姿勢で、そういう意味でデザイン住宅もそこに住まう人たちをどう輝かせるかということがテーマになっているんですけども、同様に今回のストリートファニチャーのコンペも街をどう輝かせるのかというのがテーマになっていますので、確かに事業としてさせていただいてること、CSR的なこととしてさせていただいてること、違いはありますが向かっていく方向は同じだと捉えています。

内田
CSRという言葉が出ましたけれども、中小企業がCSRをやるというのは簡単なことではないと思います。

菊嶋
それぞれの企業が何を大事にしようとしているのか、どの方向に進もうとしているのかということを外部の皆さんに対してもそうですが、社員に対してもこの会社がどこに進もうとしているのか、社長が何を大事にしようとしているのかということを会社の中にも伝えていく。

内田
なるほど…

菊嶋
もう一つはこれから時代が変わっていく中で、一つの会社だけで色々なものを生み出して市場・マーケットを作っていくというのは難しくなっていくのだろうなと、特に中小企業ではそういう状況になるんじゃないかと思っていて、このコンペやCSR活動、うちにとっては発信材料なんですけど、そういったことを通して、その思いに共感していただける外部の皆さんとのネットワークを作っていこうと思っています。それぞれ職種の違う皆さんと連携を、思いを同じにする皆さんとの連携を図ることによってそこからまた新たなサービスが生まれたりして、もちろん私どもの本業と言いますか本籍地は建設業にありますので、少しづつ輪を広げていって、何時の日かオールヨコハマで横浜のまちを考えるようなコンペができたらいいなと思っています。



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1月21日放送分
「横浜元町のジュエリーブランド〜人気を支えるクラフトマンシップ」↑メニューへ戻る

ゲスト
株式会社スタージュエリー
代表取締役社長 永井淳二さん

【プロフィール】
1956年横浜市出身 1975年スタージュエリー入社
1997年代表取締役社長に就任
2013年より、協同組合元町SS会理事長を務め、街づくりにも携わる


1946年に横浜・元町で創業、今年70周年を迎えたスタージュエリー。日本で初めて本格的にピアスを販売、ピンキーリングの提案、いち早くeコマースを導入するなど、ファッションジュエリー業界の先駆者として確固たる地位を築いています。銀座店や表参道フラッグシップショップのオープンなど、女性から高い支持を受けるブランド展開について永井淳二社長に伺いました。

我妻
日本で初めて本格的にピアスの販売を始めたのもスタージュエリーと伺ったのですが、その背景はどういうものだったのでしょうか?

永井
1946年創業当時の元町商店街は終戦直後でアメリカ人の将校の家族の方とか買い物客であふれていた時代なんですけれども、その頃元町に雨後の筍のようにたくさんの宝飾店がオープンしました。その中で当社は、うちの母親が日本人には珍しくピアスを開けていたということもありまして、他では扱っていなかったピアスを日本で初めて本格的に取り扱ったということですね。ピアスイヤリングというのは英語ではピアスドイヤリングという長い名称ですけれども、それを社内では短くしてピアスと呼んでいたものですからそれが日本英語として定着したと言われています。

内田
ジュエリーというものはそれまでは宝石、宝飾品というようなものだった、それを気軽に付けられるものという意識に変えて販売していったという、この転換というのが大きかったのではないかと思うのですが、なぜこの方向性になったのですか?

永井
私が仕事を始めた頃ですが、あるニューヨークのホテルで偶然、全米のジュエリーの大きな展示会をやっていて、そこに集まっていた人たちのジュエリーの付け方を見て本当に世界が一変して、「本物のジュエリーはこんなにおしゃれに着飾れるのだ」ということを知った時、今まで自分の中にあったアクセサリーと宝石の垣根が崩れる瞬間で、「これが本当に目指していくファッションジュエリーだ」という気持ちになりました。

内田
スタージュエリーというブランドが人気になり、広がってきたというポイントがやはり価格帯、手が届きそうで、ちょっとハレの日につけるという絶妙な価格帯があったと思うのですが、ここを狙いにいったというのは?

永井
価格帯を特に狙ったということはないですけれども、やはりアクセサリーでもジュエリーでもない「スタージュエリー」という、ファッションジュエリーというニッチなゾーンというのがちょうど1980年代から2000年にかけてはビジネスで言うとブルーオーシャンというかライバルが誰もいないような、その頃の世界のブランドというのは非常に値段が高かったですから、オリジナリティーという意味で競争が少なかったいい時代だったと思いますね。

内田
目を付けたところがよかったんですね。新しい市場を切り開いたということですよね。

永井
そうですね。ただその反動ということではないですけども、逆に今やバブル崩壊後の業界というのはむしろニッチだったファッションジュエリーしか売れない。ですからファッションジュエリーが一番競争が激しいという、逆の状況になっているということもあります。

内田
そういう今の状況というのは、かなりピーク時よりも相当落ち込んできている?

永井
俗にバブル直前の日本のジュエリー市場は3兆円を超えたと言われる時代がありました。それがバブル崩壊後の長い不況の中で3分の1、1兆円を割るまでに落ち込みまして、今少し持ち直して1兆円を超えたであろうと言われていますけど、実はその中でも海外ブランドさんの占める割合というのが非常に大きくなり、そういう意味では非常に厳しい時代でもあります。ただ我々としてはお客様の選択肢の広がりとともに、この競争は受け入れ、そして経営者としては勝ち抜いていかなければいけない。

内田
ファッションジュエリーの競争が激化していると、各社が差別化するために様々な工夫なり、特徴なりということで非常に多様になってきていると思うのですが、一方、お客さんを見たときに以前と比べてジュエリーを買う目的や趣向というものは永井社長から見てどのような変化が起こっていますか?

永井
そうですね、本当に特別な時に買うジュエリーと普段使いに買う時とお客様はブランドを使い分けていらっしゃると思うんですけれども、似たような商品がたくさんありますから、むしろ商品を選ぶというよりも、その商品のブランドを選んでいただき、ブランドの背景にある考え方とか、大げさに言えば理念みたいなものを選んでいらっしゃるのかなという気がします。特にブライダルジュエリーに関しては特にその傾向が強いのではないかなと思います。


スタージュエリーのブランドイメージを支えているのは国内での生産、そして永久保証によるサポート体制、そして元町の本店近くに工房を構え、自社の職人たちによる「クラフトマンシップ」にあります。

我妻
ここまで自社で一貫して生産しているというのは驚きました。

永井
特に「メイドインジャパン」ということだけにこだわっているわけではないんですけれども、必ず守っていきたいというジュエリー作りの原点のところ、それは特に原型を作る職人を当社が多数抱えていますけれども、そういったものを必ず自社の中で、そして出来る限り日本の職人さんの手で当社の製品を作っていきたいという考え方を基本的には持っています。

内田
やはりルーツとなる血がしっかりあって、歴史が積み重なっていくというのはモノにストーリーを生みますし、重みが出てきますよね。

永井
そうですね。そしてまた我々の横浜・神奈川という創業の地に非常に熱い思い入れを持って、何らかの形で恩返しができればということも考えています。

内田
一方ですね、銀座店も3年前にオープンされて、今インバウンドで大賑わい、非常に好調と伺っていますが、客層というのは随分違いますか?

永井
本当に幸運なことにインバウンドのお客様に多数ご来店いただけるようになりました。そしてインバウンドといってもいわゆる「爆買い」というお客様ではなくて、インターネットや口コミなどで当社の商品を知ったり、日本のドラマや映画で紹介された画像を見たりとか、そのような直接的な理由で名指しでご指名いただけるお客様も非常に多く、表参道にもフラッグシップショップがありますけども、リピーターの海外のお客様もいらっしゃって、インターナショナルなお店としておかげさまで活況を呈しているという状況です。

内田
そういう意味では、インバウンドのお客さんから「スタージュエリー」というブランドはどのように認知されているとご自身では思われますか?

永井
これは想像の上ですけれども、ベストシナリオは、「メイドインジャパン」で繊細だけれども品質も良く、そして特にジュエリーというのは、その国の人々によって肌の色や体格も違いますから、ある意味日本の独特の繊細で品質の良いジュエリーというのはアジア全域のお客様から支持される可能性は非常に大きいわけです。その中でスタージュエリーが選ばれているとしたら非常に光栄なことで今後の発展性もあることだと思います。「爆買い」というではなくて、本当にブランドのことを理解していただいて買っていただけるということが前提ですけれども発展性があるマーケットではないかと考えています。

内田
銀座店で非常に手応えを感じたということで、世界に打って出るのではないかと思って見ていますが、アジアへの進出についてはどのようにお考えですか?

永井
日本のマーケットが先細りだから海外へ、という考え方ではなくて、今のインバウンドも越境ECも含めてこれからのビジネスをやっていく上でやはり一番の基本は日本人に人気があるブランドだから海外からも支持されると。逆に海外からのお客様から支持されるようになったら、海外でも売れている日本のブランドだから日本のお客様にも支持される。こんな関係が一番いい関係だという風に考えています。「全ての女性にスタージュエリーを」という思いは全くなくて、むしろ「私のスタージュエリー」と言われるようなお客様からの濃い支持を集めるような、そんなブランドであり続けたいと思いますので、やはり基本は日本での人気、お客様からの支持、これを一番大切にしたい、これは変わらないところです。



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1月14日放送分
「鉄道と地域活性化」↑メニューへ戻る

ゲスト
東日本旅客鉄道株式会社
執行役員 横浜支社長 平野邦彦さん

【プロフィール】
東京工業大学大学院 社会開発工学修士課程修了
1980年日本国有鉄道入社
1987年東日本旅客鉄道株式会社入社
総合企画本部ターミナル計画部長などを経て2014年から現職


JR東日本が地域の活性化に本気で取り組んでいます。神奈川県内の日本酒メーカーとコラボレーションしたイベント列車「Shu-Shu Train」を企画して販売したところすぐに完売。また南武線沿線の名産品・多摩川梨を使ったメニューを地域の作業所と一緒に開発、障害者雇用にもつながっています。地域活性化の取り組みを平野邦彦横浜支社長に聞きました。

我妻
そもそも、「Shu-ShuTrain」の企画はどのようにして始まったのでしょうか?

平野
JRとして、地域との連携ということは非常に大きなテーマにしていますので、(横浜支社に)着任して、(神奈川には)非常に美味しい日本酒が多くある、酒蔵があるということに気がつきまして、これを何とか皆さんに広く知らせることができると楽しいかなということで、いろいろなイベント列車も仕立てていましたので、そこを融合して「日本酒の試飲×イベント列車」というのを掛け合わせてスタートしたという発想です。

内田
都会の電車と言うと通勤・通学という印象が強いのですが、今回は一味違う鉄道の楽しみ方というのを提示したと思います。こうした地域活性化への取り組みにはどういう狙いがあるのですか?

平野
地域と鉄道というのが連携しないとですね、(鉄道は)動脈みたいなものですから、そこで地域が活性化しないと乗っていただくお客様も増えないということで、一蓮托生と言うか、そういう関係にあると思います。したがって鉄道だけではなく地域が活性化していただくということも我々の重要な使命だと思っていますので、そのきっかけになれば非常にありがたいと思っています。

内田
地域がキーワードになっているのは鉄道会社だけではないと思いますが、そこに至ったきっかけはどのようなものでしょうか?

平野
昔、人口が伸びている時はとにかくそういう需要を追いかけて「鉄道をどうやるか」ということでしたが、その転換に来ていますから、いかにお客様に楽しんでもらうかといったような新しい鉄道の魅力を作らないと鉄道そのものが生きていけないという部分もあると思います。そこに地元の方と連携することによって相互にうまく発展できれば非常に良いということで、できるだけそういう企画を考えてやっていこうと思っています。

我妻
梨を使ったメニュー作りまで行っているというのは驚きでした。これは南武線沿線の活性化を目的にしているということですが、南武線以外にもこのような取り組みはありますか?

平野
例えば横浜線の沿線ですと、やはり地産地消で小松菜とかですね、いろいろなものが採れます。そういったものを横浜駅の構内で「横浜マルシェ」ということで販売するということにも取り組んでいますし、同じように小松菜を駅の中の(売店の)うどんやそばの中に入れるとかですね、非常に好評を得ています。

内田
鉄道事業者から見た「神奈川ならではの特性」というのはありますか?

平野
もちろん経済力もありますし、観光的なポテンシャルも非常に高いと思いますが、正直、なかなか生かされていないのではないかと思います。川崎はもともと工業地帯でしたけれども昨今の状況見ていますと非常に先進的な取り組みをされていますから、住宅も増えていますし、人も増えているということで、活力触れる地域になっていると思います。一方で鎌倉ですとか、横浜もそうですけれども、湯河原とか箱根とか熱海とか伊豆とかですね、当社から行けるところというのは首都圏から見ても豊富なポテンシャルの高い観光資源があります。そこは地元の方々と連携して、インバウンドもありますし、もっと人が来てくれる、そういう価値の高いものだと思いますから、もっともっと取り組みながら多くの人に見ていただきたいと思っています。


横浜駅や川崎駅、関内駅、菊名駅など、県内の主要駅の改良・駅ビル工事が進められています。駅の利便性を向上させる狙いについても伺いました。

内田
主要駅の改良というのが目白押しになってくる訳ですけども、この優先順位は何を基準にして決めているのですか?

平野
もちろん自治体のニーズや地元のニーズもあるのですが、全体の予算ですとか、計画プランがどのくらい早く作れるかということもありますし、補助金、後は許認可ですね、そういったものの中でプランを作り上げてようやく流れに乗るということなので、優先順位からすると高いということが、いろいろな要素によっては(順番が)逆転することもあります。

内田
必ずしも大きい駅、状況客数が多い駅からやるというわけではないのですね。

平野
そうですね。

内田
駅の規模やショッピングセンターの作り直しとか、バリアフリーであるとか、「駅というインフラ」の収益性をさらに上げていこうというビジネス的な観点で言うとどうでしょうか?

平野
収益だけではなくてですね、駅というのが快適性や利便性、安全性も含めて良くないと、これから人口構成も変わってきますから、利用しづらい駅だとなかなか人に来ていただけないと思っています。また今までの大きな駅での経験からいきますと、駅というのが街づくりの起点になりますので、駅を活性化することによって街も活性化するだろうと思います。

内田
駅が進化していくというのは利用者としても非常に楽しみなところがあってどんどん進めていただきたいのですが、一方、駅ナカの状況などを見ると一人勝ちみたいなところがあって、地元のスーパーなどが苦戦している、こうした地域との兼ね合いというのをどのように考えていますか?

平野
もちろんそういった駅を作るときには地元の方々とお話しもさせていただきまし、ややもすると一等地で一人勝ちじゃないかという話もありますが、現実を見ていただくと、駅が活性化すると人も増えて必ず外にしみ出していっています。地域との共生と言っていますが、我々が独占的に囲いこもうということは全く考えていません。駅を中心とした街づくりをしていきたいという風に考えています。

内田
JR東日本としては、神奈川とどのように関わっていくのでしょうか?

平野
神奈川の中で鉄道が伸びゆく余地はまだまだ高いですし、いろいろな意味でポテンシャルが高いので、鉄道だけではなく、お住まいになる方が多くなるとか工場とか商業施設も含めて、そういったものができるチャンスがあると思いますから、そうしたものとうまく連携しながら鉄道というものを発展させていきたいと思います。



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厄介者の静電気を活用「帯電ガン」
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少し太めのおそばは存在感抜群。腹もち最高!天ぷらはふんだんに使われた魚介君たちの旨みがカラッと揚げられています。

1月7日放送分
「2016年・神奈川経済を展望」↑メニューへ戻る

ゲスト
株式会社浜銀総合研究所 調査部
主任研究員 新瀧健一さん

【プロフィール】
慶応大学卒 1987年横浜銀行入行
日本経済研究センター、アメリカ・コンファレンスボードへの派遣を経て、
1995年より浜銀総合研究所・調査部 現在は主任研究員として神奈川経済を担当
FMヨコハマで経済解説を行う


2016年1回目の放送は浜銀総合研究所の新瀧健一さんをゲストにお迎えして2016年の神奈川経済の展望をテーマにお話を伺いました。

内田
まず、昨年の神奈川経済を振り返っていただき、そして2016年はどういう経済になっていくのか、展望をお聞かせいただきたいのですが。

新瀧
昨年の神奈川県経済、春先まで好調だったんですが、夏場に調子が悪くなりまして、年の終盤にまた持ち直してきたという形になっています。昨年なぜ夏場に悪くなったかというと中国を中心としたアジア経済が減速してきたので神奈川からの輸出が減ってそれが生産活動に波及するという形で景気循環のベースの部分が悪くなりました。それが秋口になりますと、アメリカ向けの輸出が再び増勢に転じまして、輸出・生産・個人消費、このあたりも上向きつつあるのかなという感じになっています。今年はどうかというと、昨年終盤の動きがもう一段続いてくると考えています。つまり輸出が増えて生産が増えて企業の利益も増える、個人の分配も増えるという形の動きが緩やかに進んでくる。特に来年の4月に消費増税、10パーセントの消費増税が見込まれていますので、今年の後半は増税前の駆け込み需要というところも神奈川県の景気を一段と押し上げてくるのかなと考えています。

内田
2015年の後半から良くなってきたというお話ですが、この流れが2016年も続いていくという前提となる条件は何でしょうか。

新瀧
やはりアメリカ経済が健全で成長を続けるというところが一番大きいと思います。

内田
アメリカ経済は堅調にいきますか?

新瀧
はい、昨年末に利上げをしましたけれども慎重に利上げを進めていくと思いますので、そのあたりの舵取りは信頼していいのではと思います。

内田
やはり中国経済が減速した分、アメリカが頑張ってくれたおかげで日本も持ちこたえたという背景があったと?

新瀧
おっしゃる通りです

内田
アメリカ経済に引き続き頑張ってもらわないと、ということですね。

新瀧
今年は経済が緩やかな成長を続けるという他にもう一つ大事な要素があると思います。それはその先、神奈川経済が一段と成長をつづけていくためのポイント「一人当たりの生産性が向上する」、こういう芽がいろいろなところに出てくると考えています。なぜかというと、日本全体を見渡すと人口の減少と働き手の減少、これはもう避けられない事実としてありますので、一人当たりがもっと頑張らないと経済全体の成長が見込めない。そういう要素がこの2016年に出てくるんじゃないかと考えています。

我妻
今回は新瀧さんに神奈川経済に重要な要素を「キーワード」としてあげていただき、お話しを伺っていきます。


キーワード①【TPP協定と神奈川経済】
昨年10月に参加12カ国で合意された「TPP・環太平洋パートナーシップ協定」。関税の引き下げ・撤廃など「幅広い分野での新たな通商ルール」が神奈川経済にどの様な影響をもたらすのでしょうか。

内田
昨年は長い交渉を経てようやくTPPが合意に至ったわけですが、神奈川経済という点で見るとどんなことが起こってきますか?

新瀧
何よりもTPP参加国の最大の経済国であるアメリカの選挙が11月に予定されていますので、TPPが効果を持つのは早くても今年の終わりぐらいになるんじゃないかなと思います。その意味では準備をする年ですね。

内田
しっかりと準備をして迎え撃たないといけないと思うのですが、どういうところが一番ポイントになってきますか?

新瀧
マイナスの影響を受けるところ、農業、ここは神奈川の農業に関して言うとそれほど大きなマイナスの影響はないと考えています。なぜかと言うと神奈川の農業は葉物野菜、キャベツとか小松菜、こういう新鮮なことが売りの商品が主力ですから、そうしたものは安い輸入品で新鮮さがないものとは別の次元で戦っていくんだと思います。またブランド力のある肉などを作られている畜産農家さんが多くあるので、神奈川はもうすでにかなり競争力を持った農家さんが集積しているので、今の方向性で頑張っていけば大きな影響はないと期待しています。

内田
工業はどうですか?

新瀧
直接的には海外を相手にしている機械メーカー、自動車メーカーなどはメリットが大きいことが期待されるのですが、すでにそういう製造業はグローバル展開をして為替のリスクなど、様々なリスクをヘッジする体制を整えているので、今海外で活躍している企業はそれほど大きなメリットはないとおっしゃるところが多いです。むしろ期待したいのは、これから神奈川の経済を引っ張っていってくれる中小企業だったり、これから大きくなる企業、そういった企業がTPPの枠組みを利用して新しいアイディア、新しい商品を短い期間で海外に売っていく。横浜・神奈川という地盤を考えるとこの地域の経済は海外との貿易取引を活発に行うことによって発展してきた街ですから、そういう企業のDNA、人々の考え方というのは他の地域に負けないアグレッシブさがあると思います。そして地域に貢献してくれる。そういう意味ではTPPは非常に今後の効果が大きいのかなと。逆にそういう効果を生かさなければ日本の経済、神奈川経済、「未来は無いぞ」というような気持ちでやっていかなければいかないと思います。

内田
そうした中小企業にとっては関税がどんどん撤廃されていくということは競争力を持っていくであろうと。後はニーズに合わせたスピード開発、商品化という部分が付いてきたらいくらでも海外に打って出て勝算はあるということでしょうか?

新瀧
おっしゃる通りにならないと本当に日本の経済が明るくならないと思います。


この他にも「殿町国際戦略拠点キングスカイフロント」「圏央道のインパクト」「ららぽーと平塚オープン」をキーワードに今年の神奈川経済の動きや期待、課題などを展望していただき、最後に将来の神奈川経済発展の鍵を伺いました。

新瀧
神奈川県を含めた首都圏の経済は2020年に東京オリンピックが開催されますので、そこまではかなりの盛り上がりになると思います。ただしその景気がいい時期に「一人当たりの生産性」を上げて、2020年の景気の動向が下に落ちたときに生き残っていくんだというような視点を企業の経営者が持って、20年30年後の力強い経済を作っていって欲しいと思います。


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「ビジネスのヒゲ」
クラゲを新たな資源に
海月研究所(川崎市高津区)

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横浜から80キロ圏内の食材を80%以上使うという地産地消のレストランです。

美味しくてヘルシーなランチメニューから、おかずのデリが2品選べる「ハチマルプレート」。