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神奈川ビジネスUp To Date

神奈川ビジネスUp To Date

神奈川ビジネスUp To Date

5月29日放送分
「働き方改革を支える“時間”と“環境”」

ゲスト
アマノ株式会社
代表取締役社長 中島 泉さん


【プロフィール】
1955年 岡山県出身
1978年 東京外国語大学 中国語学科卒業、アマノ入社
1995年 アマノタイム&エアーシンガポールPTE.LTD. 代表取締役社長就任
2005年 アマノ執行役員東京営業本部長兼首都圏パーキング事業本部長
2008年 常務執行役員 総合戦略企画本部長
2011年 代表取締役社長就任


今回は「働き方改革」を特集。横浜市に本社を置くアマノは、国産初となるタイムレコーダーの開発以来、就業・人事給与システムを中心に多様な仕事を支えています。中島泉社長に、働き方改革の視点と、現在注力している環境システム事業の可能性について伺います。

内田
アマノと言うと、時間を管理する様々な製品を作り出しているということで知られている優良企業だと私は思うのですけれども、そもそもルーツを辿っていくと、日本初の製品というものをいくつも生み出しているのですね。

中島
創業者の天野修一が元々海軍の技術者で、いわゆる独自の技術で独創性のある商品を開発するということを基本理念としておりました。従ってタイムレコーダー以外にも多くの発明であるとか特許も取得した、いわゆる技術畑出身の経営者だったのです。例えば戦前なのでちょっと古い話になりますけれども、ホッチキスの前身であります「綴紙器」を発明して特許を得たり、一番皆さん驚かれるのは、戦後間も無くですけれども、業界に先駆けて一眼レフカメラを開発しているのです。そういった意味では、やはり進取の気性に富んだ経営者で、とにかく新しいもの好きだったというのが背景にございます。

内田
そういう流れを汲んで、今も業績好調で、7期連続で増収増益。さらに言うと3期連続の最高益更新。この背景にあるものは何ですか?

中島
リーマンショックが2008年。それで2010年はもう本当にボトムだったのですね。ですから、ボトムの状態から、どんどんどんと上がってきているので、あまり胸を張って7期連続の増収増益とは言いづらいのですね。ただここ3年は過去最高業績を更新していますし、そういった意味ではプライドがあるのですけれども。

内田
非常に好調だと聞いているのが、中小企業向けの人事労務管理ソフト。「働き方改革」というのが今、国をあげてのテーマになってきています。ここもかなり追い風になってきている感じですか?

中島
前期は業績には直結していません。ただ、今期に入りまして、やはり引き合いはかなり増えてきています。最終的には特需的な要素があると思います。これから、という感じですね。

内田
「働き方改革」と言っても企業によって様々。いろいろな引き合いが来ている中で、どのようなニーズがあるのか?

中島
やはり一番感じるのは、「働き方改革」をやるためには現状把握というのが必要なわけです。そうするとやはり正確な労働時間管理というのが必要になるので、どういうシステムを導入すればいいのかという話になっていくのですね。

内田
本当に実態と合った管理ですよね?

中島
今ですと、タイムカードもありますし、ICカードもあります。非接触もありますし、スマホで出退勤をやるという手もある。そういう端末系はある。それをソフトウェアと一緒に抱き合わせで導入ということになるのですけれども、いわゆるコンベンションなタイムレコーダーからシステムにシフトしていくという流れはもうずっと来ているのです。そのシステムというのも、いわゆる汎用パッケージとクラウドとまた違うわけです。いずれにせよ、「IT化」といった流れというのは、もうずっと来ているわけです。

内田
社内で完結するような「ソフト化」というのは、もうここ15年の中では?

中島
もう、ずっと進んでいます。

内田
それに対して対応してきた?

中島
対応してきていますね。


就業・人事・給与を管理するアマノの新システム「Time Pro-NX」。操作性やデザイン性を高め、従業員や労務管理セクションの負担軽減をサポートします。育児・介護休業をはじめ、社員の健康管理まで、複雑・多様化するニーズに合わせた人事管理ができる機能が特徴となっています。


中島
「働き方改革」を推進するにあたって、「何が今問題か」ということが把握できないと意味がないわけです。それで何が問題かというと、実際にどれくらいの残業をやっているのかという話になるわけです。

内田
今は長時間労働の是正。これが第一のテーマになっているわけですよね。

中島
現状では、5時間、10時間の残業をやっていたりした時、要因分析をする必要があるわけです。「なぜ残業する必要があるのか、それが必要な残業なのか、無駄な残業なのか」という判断をする必要がある。そうしたときに、やはり正確なデータをベースに判断しないとどうしようもないので、何らかのシステムを導入する必要があるということになるわけです。そういったものを突き詰めていかないと長時間労働の抑制というのはできないですね。

内田
まずその段階であると、今の状況は。

中島
今の状況はその段階ですね。当社で今やっている、「働き方改革」の一つの例ですけれども、個人ベースでは、いわゆる「体内時計」を変えてもらって、仕事の優先順位を考えて、スケジュール管理をして、定時間内に仕事を終えることを目指しましょう、というのが個人ベースの話です。一方でいわゆる課長とか係長といった管理職のマネージメント力を強化する必要がある。少なくとも自分の部下が今、どういった仕事に従事していて、今後どういう風な仕事を予定しているかをしっかり把握しておくことが必要になってくるわけです。いわゆる「マネージメントレベル」と、いわゆる「社員レベル」、両方の取り組みが必要なのですね。

内田
部下の働き方であるとか仕事量を、そのリーダーが、マネージャーが把握していれば、次善の策がどんどん打てるわけですね。

中島
そういうことです。今、それがないのですね、意外と。

内田
だから、「なんで部下がこんなに残業しているのだろう?」みたいなとぼけたことを、マネージャーが言っているわけなのですよね。

中島
そういうことなのです。ですから残業申請をしてもほとんどノーチェックで承認になる。いわゆる承認フローが成立していないケースが結構あるのですね。やっていることを知らないわけですから。それが問題なのです。やはり、マネージメントをしっかりと管理していかないとまずいという話ですね。

内田
まず根本的なところから変えていくということが、日本の働き方改革になっていく。アマノ自体も、働き方改革をやっていらっしゃる?

中島
やっていますね。

内田
成果は出てきました?

中島
成果が出てきたから7期連続の増収増益ということも可能になったわけです。

内田
説得力がありますね。

中島
ちょっと言い過ぎかもしれませんけど、経費を削減できています。予算内に収まっていますし、時間外などは大幅に減っていますから。

内田
ソフトを使うことで時間外労働が減る。「見える化」することによって、皆さん抑制されてくるという、そういう効果ですか?

中島
それもありますけども、開発とか生産部門というのは、もう昔から、今申し上げたような管理をやっているのですね。生産管理とか、スケジュール管理とか、工数管理。ですから今回の「働き方改革」というのは、言ってみれば本社とか営業現場にそういった考え方を導入するような動きなのです。だから今言ったような話を工場とか開発にすると、「やってますよ」というような話になるのです。

内田
ホワイトカラーの部分ですね。

中島
そうです。ホワイトカラー。問題はそういうことなのです。

内田
時間は少しかかるかもしれないけれども、そういう考え方をいかに理解してもらっていくかということから始まって。

中島
そうですね。あともう一つあるのが、よく社内でも言うのですけれども、いわゆる「やらせ感」でやっては駄目なのですね。

内田
「やらせ感」?

中島
「上が、社長がやれと言っているから、もうやるしかない」とか、そういう感じですと、確かに最初は結果が出るかもわかりませんけど、継続性に欠ける。やはりこの「働き方改革」というのは、自分にとっても、会社にとってもプラスになると心底納得した上で推進すると、結果が続きますし、結果が出ます。継続性が出てくるのです。だからまず「意識改革」のところが大切なのですよね。

内田
はい。

中島
例えば働き方改革をうまく推進した場合、その結果、生産性が向上するわけです。そうすると、個人にしてみれば、定時間内に仕事を終えるということが前提になりますので、ワークライフバランスの実現に少しでも近づくことができるわけですし、会社にとってみれば、コスト削減につながるから業績も拡大する。そうすると、社員を含めた、ステークホルダーへの利益配分、利益還元。これをもっと出せるわけです。そうするとみんなハッピーですよね。社員良し、幹部良し、株主良し。三方良しなのですよ。だからそういう風な感覚を持ってやると効果が出てくるのですね。

内田
そこにアマノが、ソフトウェアが入っていくと?

中島
そういうことですね。そういう意識の問題というのはソフトの問題ではないのですけれども、ただ実際に、現状がどういう風な状況かということを把握できるので、やはり必要なことだと思うのです。

内田
そういうものを「見える化」していくという流れは、これからますます起こっていく。これは止まらないのでしょうね

中島
止まらないですよね。どんどん進んでいくと思います、これからも。


現在、アマノが注力するもう一つの事業が「環境システム」。特に清掃・洗浄ロボットは作業の効率化で環境改善と省力化をサポートしています。清掃ロボットでは、センサーを用いた空間認識により、障害物の正確な把握や、清掃範囲を簡単に設定できる機能を充実。また洗浄ロボットでは、実際の作業員の動きを記録し、同じ作業を実行できる機能などが備わっています。清掃作業の人手不足への対応や、仕上がり品質の安定化の実現を担っていきます。


内田
アマノは清掃ロボットにも非常に強みを持っている。清掃ロボットの差別化というか競争力。アマノの清掃ロボットは何が違うんですか?

中島
基本的には同じような機能ですけれども、一番ポイントになるのが、環境変化にどう対応できるか。例えばこのスタジオであればカメラの位置が今そこにありますけど、それがあちら行ったときに、清掃ロボットがちゃんと理解しないと駄目なのです。そうでないと、掃除ができませんよね。

内田
そうですね。

中島
環境が変化すれば、「どれがどう変わったか」ということを、ちゃんとセンサーで認識するとことが大切なのです。今は二次元のセンサーが一般的ですけども、これが三次元になってくると、見える角度がかなり広くなります。これからの標準になっていくと思いますけど、そういった取り組みを他社に先駆けてやっているということです。

内田
清掃ロボットというのは、まずどこに何があるか、障害物があるかということを?

中島
そうですね、記憶するのです。

内田
もう、AI的な感じですね。

中島
まず、この部屋に何があってという、いわゆる清掃すべきエリアをマッピングするのです。その中にどういう障害物があるかを記憶する。

内田
でもやっぱり移動しますよね、モノというのは。

中島
それはAIでやるのです。全てロボットで。

内田
日本人はきれい好きですから。会社のブランドでもありますし、汚いところに人は行かないですよね。

中島
海外も同じです。海外の方は清掃品質の均一化ができない。人によって差がありますので、そうするとロボットを入れると安心感があるということで、需要があるわけです。一番これから伸びるのは、やはりアジア。引き合いも結構あります。

内田
そこに向けて営業力を展開していく。今一番、注力していくと?

中島
クリーン事業に関してはそうですね。

内田
他にはありますか?

中島
パーキングですね。連結ベースでパーキングの売り上げがほぼ半分。首都圏に関して言えば、東京オリンピックイヤーに向け、駐車場・駐輪場の整備が進んでいて、その需要は拡大傾向にある。一方で今、市場ニーズとして拡大しているのが「パーキングウェブ」。駐車場の管理会社や土地のオーナーさんが当社のデータセンターを利用するサービスで、データセンターとお客様の駐車場をネットワークでつなぎ、駐車場の利用状況、売り上げ状況をウェブブラウザで簡単かつ、リアルタイムで確認できるというサービスです。これは毎年会員が増えています。このデータセンターに関しては、サービスメニューをもっともっと増やして強化するつもりですし、このデータセンターを核とした、次世代の駐車場システムがあります。

内田
これから社長から会長になられていくということで、このアマノという会社をどんな会社にしていきたいか。未来に向けてどんな会社になっていくのか?

中島
創業以来の事業テーマであります「人と時間」「人と環境」という不変のテーマ、これはもう揺るぎないもので、今後もこれをベースに事業展開をしていくことになります。当社で現在持っている技術基盤、ビジネスモデルに「AI」「IoT」「ビッグデータ」といった最新技術を融合させて、新しいビジネスモデル、あるいはソリューションを開発していきたい。そうすることによって、より良い職場環境の創造であるとか、あるいはワークライフバランスの実現にも少しでも貢献したいと思っています。



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5月22日放送分
「横浜青年会議所が目指すこれからの横浜の街づくり」

ゲスト
横浜青年会議所
理事長 森 大樹さん


【プロフィール】
1977年 横浜市出身。
2000年 中央大学法学部法律学科卒業、野村証券入社。
2010年 横浜青年会議所入会。
2014年 A&Sホールディングス株式会社入社、株式会社松尾商工常務取締役就任。
2016年 株式会社バンテック代表取締役就任。
2017年 横浜青年会議所第66代理事長に就任。


1951年に創立された「横浜青年会議所」(JC)は、20歳から40歳の会員で構成され、現在312名の会員が在籍。「次世代の経済を担う人材の育成」「まちづくりへの貢献」を目的とし、過去には横浜スタジアムの建設、みなとみらい21エリアの開発、横浜赤レンガ倉庫の保存などに大きく関わり、現在の横浜を代表する名所に深く携わってきました。ヒト・モノ・カネが大きく動く横浜でのまちづくりについて伺います。

内田
今日は横浜青年会議所の代表として森理事長にお越しいただいているのですけれども、そもそも青年会議所というのはどういうものなのですか?



青年会議所という組織自体は日本全国各地に696ありまして、横浜青年会議所もその中の一つです。青年会議所自体の主な目標ということで言いますと、指導力の開発と社会の開発ということで、「人づくり」と「町づくり」という風に、主には提言されています。

内田
その中で横浜青年会議所というのは、かなり大きい組織であると?



会員の規模で言いますと、(全国で)4番目の組織ということになっています。

内田
会員数の推移としてはどのような感じですか?



近年は概ね330名から300名くらいのところで推移をしていまして。かつては500名の規模を持っていた時代もありますけれども。

内田
会員数を増やしていこうというのは、ひとつの課題でもあると?



僕たちの価値に対しての共感を取っていくという意味でいうと、一つの指標にはなると思いますけれども。今年も100名以上の仲間が入会をされるとは思います。同時に40歳で卒業していきますので、卒業していく仲間もいて、新しく入ってくる仲間もいて、という形になっていきます。

内田
森理事長はちょっと異色な形でJCに入られているということなのですけども。



2008年の後半に起こった、いわゆるリーマンショック当時に金融機関に勤めていまして。リーマンショックが実際に勃発する中で、やはり社会としっかりと接続をして、自分自身の人生を見つめ直さなければいけないなと、そういうことを思いまして入会をしました。

内田
すごく珍しいと思うのは、サラリーマンをやっていらした方がJCに入るという、こういう選択もあるのだと。これは何故JCに入ろうという風に思ったのですか?



僕は横浜が地元で、ずっと横浜で育ってきて、いろいろな職業をやっている地元の人たちとつながりたいと思いましたし、その交流を通じて社会としっかりと接続をしたいという風に思いましたので、JCを選びました。

内田
青年会議所に入って良かったと思った瞬間はどういう時ですか?



2013年度に「横浜開港祭」の企画運営をする立場の、海に関するイベントの責任者をやらせていただきました。横浜開港祭に携わりますと、ボランティア、スタッフ、市民の方々と、本当に手を携えて一つのことをやっていくということになりますし、今まで先輩方が作り上げられた苦労とか、そういったことも当然把握をしますし、横浜青年会議所が持っている可能性みたいなところも本当に体感をする。そういった機会となりました。

内田
青年会議所の仕事というのも、そんな片手間でできるほどの簡単なものではないということで、やはり両立をするということが課題と言うか、難しい?



当然、本業を前提として青年会議所があるわけで、青年会議所という2枚目の名刺を結局は効かせるということが重要だという風に思っていまして、両立をするというより、やはりその双方に相乗効果を持ってくるということだという風に思います。

内田
1+1が3にも4にも5にもなっていくということだと思うのですけども、実際そういうことは起こりうるのですか?



はい。当然、青年会議所自体は本当にいろいろな業種のメンバーがいます。活動を通して信頼関係を得た仲間とビジネスに発展してくることも当然あります。それもありますけれども、青年会議所活動を通じて、自分自身の思考が深まったりとか、あるいはいろいろな知見とか、ネットワークを得ることができるのですね。それ自体が数値化できない自分自身の資産として、自分の中に蓄積されていきますので、それが実際には本業にはね返ってくるということは、横浜青年会議所で活動しているメンバーみんなどこかでは体感をしていることだという風に思います。


「横浜開港祭」は横浜の開港記念日でもある6月2日を祝い、賑わい、まちづくりと観光の活性化のために開催される、全国有数の集客を集める市民祭です。1981年に前身となる「国際デー・プレ横浜どんたく」が開催され、1995年より現在の「横浜開港祭」となり、今年で36回を迎えます。


内田
「横浜開港祭」は横浜青年会議所にとっては最大のイベントであるということですけども、全国で見ても市民が主導するイベントの中でも最大級であると?



そうですね、規模としてはかなり大きいと思います

内田
開港祭の中でどんな役割を担っているのですか?



横浜市と横浜商工会議所、横浜観光コンベンションビューロー、横浜青年会議所という形で共催をはかっていくわけですけども、実行委員会を横浜青年会議所でやりますので、実際には企業スポンサー、資金集めから、企画の運営、横浜開港祭自体を市民の皆様に広報していくというところも含めて、横浜青年会議所の実行委員会が主導して行っていきます。  

内田
実質的に横浜開港祭を作っているのは青年会議所であるということなのですね。ずっと毎年やっていらっしゃる中で、ある程度フォーマットというか、そういうものはできているのですか?それともやっぱり毎年大変なのですか?



この規模の事業になりますと、例年やっていることをやること自体、かなりハードルが高いということになってきますので。スポンサーシップをしっかりと集めてくるということも重要ですし、いろいろな、警備の部分とかですね、本当に大変なことがあります。

内田
印象に残っている中で、素晴らしく良かった点、JCがやっている意義みたいなものは?



横浜開港祭の歴史というのは、まさに「規制との戦い」の歴史と言っても過言ではなくて。山下公園でスタートしていくわけですけども、山下公園の中に、例えば企業の名前が入っているサイン自体もできない、あるいは観覧席を組むこと自体もできないと。今で言いますと、山下公園にしても臨港パークにしても、赤レンガ倉庫にしても、当たり前に飲食を提供して、ステージを組んで、観覧席を作っていますけども、それ自体が全くできないという中で、本当にその規制との戦いをやってきたというのが、横浜開港祭の歴史であります。最終的には山下公園で洋上にステージを作ったり、その規制と戦いながら、その地域に根ざしたその文化と言いますか、賑わいを創出していこうということで、先輩たちが本当に努力をされました。

内田
そういった規制をどんどん解除してもらった、そこに青年会議所のものすごい尽力があったと思うのですけども、これを説得できた理由というか、原動力は何だったのでしょうか?



やはり20歳から40歳という、若手のビジネスパーソンが集まりますので、世間一般から見たら本当に常識外れみたいな発想をやっていくわけですよね。その推進力と行動力をテコとして、大きいビジョンを結局は実現をしていくというところなのだと思います。

内田
将来的にこの「横浜開港祭」を、どんな風にできたらいいなと思いますか?



やはり多くの市民の方々に、本当に広く支えていただけるような市民祭を目指したいという風に思っています、新しく(横浜に)入ってきた方々も含めて、「その日は開港を祝うのだ」と。そういった機会にしていきたいなというように思います。


今年から開催された「Touch Yokohama」。既存のイベントを横浜青年会議所が集約し、1つのイベントとしてまとめました。さらに新たな取り組みとして、横浜青年会議所のエバンジェリストにクレイジーケンバンドの横山剣さんを任命しました。


内田
「Touch Yokohama」。横浜西口のイベントですけども、これは初めての取り組みですね?実際にやってみていかがでしたか?



本当にたくさんの方に来ていただきましたし、PRということで言うと、出せたと思います。ただ、本当の勝負はやはりこれからですね。横浜駅西口エリアをしっかりと賑やかしていきたいという本質的な価値での意思は図れていますので、どういった形で横浜駅西口をより良くしていくかというのがまさにこれから始まるな、という風に思っています。

内田
エバンジェリストは横浜青年会議所としても初の試みですよね?狙いは何ですか?



やはり横浜青年会議所自体の認知をしっかりと上げていかなければならないという風に考えていまして、そのためには、横浜青年会議所と繋がったら、何か楽しそうだとか、何かいいことありそうだみたいな、そういう期待感を醸成して、戦略的に発信をしていく仕掛けがきっと必要だろうというように思いました。一緒に横浜を盛り上げようということでご快諾をいただいてスタートしたというところです。

内田
青年会議所を見ていて広く思うことなのですけども、非常に皆さん熱心に街づくり、地域を盛り上げていこうという思いがあると思うのですが、どうしてもやっていらっしゃることが単発で終わってしまう。でも、本当に地域を変えていこう、イノベーションしていこう、新しい価値を出していこうという風になっていくと、やはり継続性というのが非常に重要になってくると思うのですけども。



おっしゃられる通りと思います、当然、その運動を作っていこうと考えたときに、1年間、あるいは半年間で実るものではないと思っていますし、その運動の本質がどこにあるか、運動は作っていきますけれども、その運動を広げていくための手段、事業というものはいろんな形があっていいという風に思っています。その運動の本質と言いますか、核心的な価値、そこを踏み外さなければ、その手段、手法である事業というものは、いろいろな形があっていいのだろうと考えています。

内田
その大切な核心の部分、踏み外さない、踏み外してはいけない核心の部分というのは、横浜青年会議所で言うと何になりますか?



僕は「当事者意識」という風に定義させていただいています。当事者意識とは、自分の町を自分の発想でより良くしていく、その大儀は「自分と自分の大切な人たちを幸せにするため」ということです。

内田
当事者意識を持って問題解決に取り組むことがより良い街づくりになるという意味において、今の横浜で、こういうところを解決していかなければいけないという部分、森理事長から見えているとしたらどういう部分ですか?



大きいテーマで言いますと、横浜くらいの規模の都市であっても2019年から人口が減少してくるということ、これがもう確実視されています。

内田
それは、横浜青年会議所としては、すごく持っている危機感ですか?



そうですね。そこに対してどういう風に、その課題に対してタックルをしていくのかということだと思うのですけども、一つの切り口は、やはり観光という切り口が出てくると思うのです。観光に来ていただいた方々が、例えば2日間、3日間でも滞在をしてもらえれば、これは短期移住ですから。いわゆる観光インバウンドをどれだけ促進していくかというところが一つだと。

内田
観光インバウンド?



開港以来、人と物との交流拠点として発展をしてきたということだと思います。横浜ならではの価値を体感してもらえるような、いわゆる「ユニークべニュー」というか、そういったものをどんどん前に出してMICEを勝ち取っていく。

内田
そういう中で、横浜青年会議書のこれからの目標というのは、どういうものになりますか?



この青年会議所という組織は、世界に視野を広げますと130の国と地域で展開されています。その世界中の青年会議所メンバーが1年に1回、一同に集う「世界会議」というコンベンションがあります。これを2020年に横浜で誘致をしようということで、着々と誘致活動を本格化させています。ただ、その世界会議を誘致するとか、開催するということが目的ではなくて、その世界会議を契機として横浜の目指すべき成長戦略であったりですとか、横浜の未来への補助線を描くということにチャレンジをしていきたいというように考えております。

内田
その横浜青年会議所という組織、団体が未来に向けてどういうものになっていくべきだと?



横浜青年会議所だからこそ行えることというのはたくさんあると思います。その可能性をしっかりと追求していくということだと思いますし、しっかりと政策を立案して、その政策を実行していく、政策立案実行団体としてあり続けたいと思いますし、横浜青年会議所というコンセプトに多くの方々の期待感を醸成していきたいという風に考えております。



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5月15日放送分
「地元百貨店が提供するエンターテインメント」

ゲスト
株式会社髙島屋
執行役員横浜店長 青木和宏さん


【プロフィール】
1965年 東京都葛飾区柴又出身。
1987年 慶應義塾大学文学部卒業、株式会社髙島屋入社。
柏店・立川店・クロスメディア事業部長・営業企画部長などを経て、2016年 横浜店副店長。
2017年 執行役員横浜店長に就任。


横浜駅西口で開業58年目を迎える「横浜タカシマヤ」。百貨店ビジネスの厳しさが伝えられる中、全国の髙島屋で最大規模の売り上げを誇る同店の強みとは。「百貨店はエンターテインメント産業」と表現する青木和宏店長に、今年3月の就任以来取り組む改革や、地元百貨店が担う役割と可能性について伺います。

内田
青木店長が横浜にいらして2年目ということですけれども、このお店の特徴というのはどういうところにありますか?


青木
駅直結のターミナル立地にありますので、大変大勢のお客様に毎日お越しいただいているということと、もうひとつは、やはりお客様の「地元愛」というのが非常に強いという印象を持っています。

内田
いろいろな店舗をご覧になってきた経歴の中で、横浜タカシマヤを見たときの印象というのはどのような感じでしたか?


青木
やはりエネルギーというものを感じますね。お客様のパワーというのが非常に大きいですし。とにかく活気があって、「百貨店はこうでなければいけない」という、模範的な店という感じがします。

内田
その模範的な「横浜タカシマヤ」は、髙島屋全体の中ではどういう位置付けになっているのですか?


青木
そうですね、売り上げ、利益ともにトップクラスということですから、やはり髙島屋全体を牽引している店です。

内田
そういう中で、「髙島屋横浜店」ではなく、「横浜タカシマヤ」なんですね?


青木
はい。私も名乗るときは基本的に「横浜タカシマヤの青木です」という風に名乗っています。

内田
これは何か意図的なものなのですか?


青木
横浜のタカシマヤなんですね。「髙島屋が横浜に作った店」というよりは、「横浜にあるタカシマヤ」という、その気持ちの方が働いている人間も強いですね。そういう意味で地域に本当に根ざしているし、だからこそ地域の人も愛着を感じるそうなんです。

内田
そういう中で、売り上げも非常に今好調であると。どのくらいですか?


青木
特に3月4月、それから5月入りましたけれども、入店客数も非常に増えていますし、売上げ自体も非常に安定してきている状況です。(2016年は1,386億円)。

内田
それは何か理由があるのですか?


青木
一つは3月に入ってから店舗の中でとりわけ、あの私、これ持論なのですけども、「百貨店はエンタメ産業だ」という持論を持っていて、「ショッピング・エンターテインメント空間」みたいなことを、しっかりと店の中で取り組んでいきたいという思いがあります。私、通信販売の責任者を2年間やったのですけれども。

内田
はい。


青木
「店頭ではない」モノの売り方なのですけども、「絶対店頭に敵わないな」と思ったのは、やはり「お買い物体験」なんですよね。ネットだと電話1本で買い物をすることはできますけども、じゃあ、そこにエンターテイメント性を見出すことができるかというと、やはり限界があるなということを感じました。今横浜に来て思うのは、やはりこの「ショッピング・エンターテインメント」をどう具現化して、本当にお客様が楽しんで帰っていただけるのかということだという風に思うのです。

内田
そうは言っても、百貨店業界全体というものをちょっと俯瞰して見ていただきたいんですけれども、非常に厳しいと。


青木
はい。

内田
小売り自体は、個人消費はいろいろ厳しい中でも、小売り全体のパイを見ると右肩上がりなのですよね。けれども残念ながら百貨店だけが一人負けということで、数字を見るとピーク時が1991年で9兆7130億円。今6兆円割れという状況になっている。これはどういう風に感じられていますか?


青木
一つはやはり販売チャネルが増えた、お客様の選択肢が増えた、ということが大きいと思います。

内田
これはなぜでしょう?


青木
モノ売りだけに徹し過ぎたというところだと思います。先ほども申し上げました通り、モノを買うだけだったらいろいろなチャネルが多様化していますから。それは時間を気にせず、場所を気にせずという方向に流れていきますけども、やはり百貨店に行ってこそ得られる「ショッピング・エンターテイメント」というところ、ここをしっかりと出していくことが百貨店の業態としての存在価値を高めていくことだという風に思います。


様々なトライでエンターテインメント性を追求する中で、ベビー・子ども用品の販売が好調。中でも販売時期が年々早まっているランドセルは限定モデルなどを充実させ、売り場のそばに写真撮影できるスペースを設置。記念撮影ができる仕掛けでSNSでの盛り上がりや、タカシマヤを訪れるきっかけ、記憶を提供しています。


内田
店舗を拝見したのですけれども、何というか、良い意味でもあるのですけれども、すごく落ち着いているというか、先ほどおっしゃった、「百貨店はこうあるべき」みたいな模範、ある意味ちょっと懐かしい感じもするようなものが残っているというお店ですね。


青木
両方あると思うのです。「安心感」と「時代感」と両方があると。「いつ行っても変わらない安心感」があるという一方で、やはり「時代とともに変わっていく」というところも、百貨店の求められている姿だという風に思います。

内田
横浜タカシマヤの中で、皆さんが安心感を感じて通ってくれるという部分とは、どういうところでしょう?


青木
いろいろな要素があると思います。一つはやはり「マンパワー」だなということを常々思っております。

内田
「人」ですか?


青木
やはり接客サービスというのが百貨店の一番の強みでもありますよね。

内田
横浜タカシマヤならではの接客というのは何かありますか?「あっ、何か違うな、ここならではだな」と感じたことというのは。


青木
お買い物を存分に楽しむと言うのか、そういう趣向はあるという感じがします。単なるモノを買うだけじゃなくて、そこに何か付加価値を求めたり、結構ご質問が多いんです。「これはどうやって着こなすのですか?」とか、「こういうときはどうしたらいいんですか?」ということを熱心に聞かれる方も多いですね。後は、例えばお酒の売り場とか、ワイン、あるいは和食器みたいに、そこに「物語性」があったり、「ストーリー」があったりというところについては、いわゆる「薀蓄を仕入れに百貨店に来る」という言い方をよくするのですけど、ものすごく好奇心というか、そういうところに対するこだわりが強いと思います。

内田
そうなると、販売員の方のスキルというものも必要になってきますよね?


青木
必要になってきますね。

内田
そういう意味では、2年間いろいろな働きかけをして、横浜タカシマヤというのは随分変化が見られようになりましたか?


青木
そうですね。特に「若い世代が企業を活気づける」ということが非常に大きな原動力になってくるという風に思っていますので、特に若い世代に頑張って欲しいなっていうのはありますね。

内田
そこにこう、ある意味、ハッパをかけて。


青木
もうとにかく失敗を恐れずにどんどん新しいことをやる。だから成果が上がらなくても、チャレンジをするというところを評価してあげる。「新しいことをやったんだ」というところを評価してあげる。こういうことが大事だと思うのですね。


ゴールデンウィークにお店の屋上で行われた「親子走り方教室」。日本代表を経験した選手から直接走り方を教わるイベントに多くの親子が参加しました。運動会シーズンに合わせた商品の紹介と「ためになる学び」を組み合わせることで充実した時間を提供。子どもを中心に親子のコミュニケーションを促すような多世代に向けたアプローチを重ねています。


内田
非常に楽しそうなイベントで盛り上がっていたようですけども、お客さんの反応はどうでしたか?


青木
反応は、もうこれは上々です。我々の入店客数とか滞留時間というのはデータで取れるようになっているのですけども、ゴールデンウィークの滞留時間が10%以上伸びたのです。滞留時間が長いというのは楽しさの象徴だと思っているんですよ。

内田
「ずっとそこにいたい」ということですよ。


青木
今までの平均値でいうと、滞留時間がほぼ1時間以内だったのが1時間を超えるまでに今なってきていますから、それはやはりいろいろな取り組みが実を結んだのかなという実感がありますよね、はい。

内田
後はどんなイベントを?「こんなことやったら楽しいだろうな」とか、「これはすごく評判が良かった」というのはありますか?


青木
着目しているのは「3世代」ですね。百貨店というのはやはり団塊の世代の方々とともに育ってきた業態ですよね。

内田
そうですよね。


青木
その方々が今、お孫さんをお持ちになっているという状況にありますから、ゴールデンウィークも非常に大勢のお客様にお越しいただきましたけれども、おじいちゃん、おばあちゃんと、そのお子さん、お孫さんが一緒になって、何か百貨店で楽しいイベントに参加したりというのは、我々が見ていても嬉しくなりますし、子どものころの体験はずっと覚えていますよね。

内田
ベビーフロア・子ども用品のフロアをリニューアルというところもその流れの一環だと思うのですけども、これはどういう狙いが?


青木
出産というのは百貨店のマーケットの入り口に位置するものと思っているのです。そこをきっかけに百貨店のファンになっていただくということが非常に大きな一歩だという風に思っています。特に育児というのはもう、不安がいっぱいですから。

内田
そうですね。


青木
「どうしていいのかわからない」というところを、私は「百貨店はエンタメ産業であり「ソリューション産業だ」という風に思っていますので、お悩みをどう解決していくかというところ、その最たる部分が、実は育児用品だったり出産準備用品だったりというところだと思っているのです。やはり安心して育児ができる空間ということですから、赤ちゃんの成長段階に合わせて売り場を作っているというのが今回の大きな特徴です。

内田
新しいお客さんが出産というものをきっかけにして、「ちゃんとしたものを赤ちゃんに買ってあげたい」というときに、「やっぱり百貨店かな」という、新規のお客さんをとらえるっていうきっかけでもある?


青木
まったくその通りだと思いますよね。困ったときには百貨店に行こうと、困ったときは髙島屋に行こうと思っていただける存在であり続けたいですね

内田
「百貨店業界がこれからどうなっていくのか」ということを考えたときに、あまりポジティブな話は聞かれないのですけども、これからの百貨店というもののあり方をどう思いますか?


青木
一言で言うと、百貨店は「金太郎飴」だったらもう発展しないと思います。どこの百貨店いっても同じ品揃えだと思われてしまったら、その時点で業界としての役割を終えてしまうという危機感は持っています。ですから髙島屋は17店舗を直営で運営していますけども、17通りの店づくりをしている。特に横浜の中では、横浜地域に根差した品揃えと接客サービスをしていくというところ。やはり百貨店って地域産業なんですよ。

内田
はい、そうですね。


青木
同じブランドでもやはり違う、同じ地域の中でも違う、というところ。お客様のニーズをしっかりと書き留めて、それを具現化していくということも大事です。例えば、「女性ものの靴で25センチ、26センチ」というニーズがありますよね。日常そんなに大きな品揃えはできません。でも例えば年間の中である一定の期間だけはそのサイズを大きく広げてお客様のニーズに応えていく。これもひとつのソリューションだという風に思っています。これは靴とかだけじゃないということがよくわかったんです。例えば箸のサイズでも7種類の、同じ柄の箸でもですね。

内田
箸ですか?


青木
はい。短い箸がいいと言う人もいれば、長い箸がいいと言う人もいるわけです。そこにも応えていこうと、このあいだの2月に取り組んだサイズの展開がまさにそれです。もう大きいものから小さいものまで全部揃えようよと。

内田
そこまでお客様のニーズが多様化していますよね。今まではどうしてもプロダクトアウト、供給者の理屈で、「置いてあるものの中から買ってください」というところから、今は逆ですよね。


青木
そうですね、はい。

内田
そこは、転換点というものは、しっかりと百貨店は受け止めているのですか?


青木
受け止めていますね。「そこに手を入れていかなかったら、将来はない」くらいの危機感を持っています。

内田
百貨店が生き残っていくという要素がいくつか今日出てきたのですけども、まずは「体験していく」、「イベントで楽しんでもらう」ということですよね。あとはどういう形になっていきますか?


青木
やはり百貨店もネット通販であったりとか、あるいは訪日外国人の方に対する取り組みであったりとか、いろいろなビジネスチャンスはありますから、今までのマーケットの中だけで商売をしていくのではなくて、新しいマーケットをどう開拓できるか。特に横浜の中では、地域のおいしいものなどを、全国に向けて発信していきたいという思いが強いですね。

内田
地域の産品を横浜タカシマヤが発信していく。


青木
中華街であったりとか、あるいは横浜市内、鎌倉、葉山といったところの名品をネットの中で販売をして一定の支持も得ていますけども、例えばお中元の時には、県内の高校生と一緒にものづくりをしてお中元のギフトとして仕掛けていくみたいなことも取り組んでいますので。

内田
ここはこれまでもやってきたと思うのですけれども、これからもっと力を入れていく?


青木
もっと増やさないといけないですよね。特に一次産業の中での次世代後継者の不足みたいなところありますから、やはり高校生とか、まだそのビジネスには就いていないけれども、「自分たちが作った、携わったものが、こういう形で売られていって、お客様の元に渡るんだ」ということを実感していただければ、日本の将来というと大げさかもしれないですけれど、非常にいい取り組みになっていくだろうと思います。そういう機会をどんどん与えていきたいですよね。

内田
青木店長もそういう経験をしてきた?


青木
私はとにかく販売現場が大好きなので、ほとんど席に座っていませんね。1日大体2万歩くらい、土日だと3万歩くらい店内を歩いてしまうんですよ。ついつい、気がついたら、そこ、そうなっちゃうっていうところです。

内田
百貨店の店舗の魅力ってなんですか?


青木
どこへ行っても何か発見があるということでしょうね。モノが置いているだけではない何かの発見を、どう表現していくかということだろうと思いますし、単なる道だったら、そんなに3万歩も歩かないと思います。面白いから3万歩歩いちゃうんでしょうね。お客様の反応を見るのも好きですね。

内田
百貨店好きですか?


青木
百貨店好きです。やっぱり世の中にとって必要な存在であり続けたいですね。



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特徴ある製品・サービスを紹介
「ビジネスのヒゲ」

三味線に革新 独自開発の新しい“皮”
小松屋(相模原市緑区)

5月8日放送分
「新たなパーソナルモビリティ 市場創造への挑戦」

ゲスト
WHILL株式会社
共同代表取締役 兼 最高技術責任者 福岡宗明さん


【プロフィール】
1983年 大阪市出身。
2008年 名古屋大学大学院工学研究科卒、オリンパス株式会社入社。
2009年 Sunny Side Garage設立。
2012年 WHILL株式会社設立。
2013年 WHILL,Inc設立。


スケー横浜のベンチャー企業が開発する「パーソナルモビリティ」を特集。65歳以上の人口が1/4を超えた日本。歩行困難者の増加に対し「脱・車イス」を掲げ、新たな移動手段を提供するWHILL。会社設立の経緯から、6月に発売する新モデルの開発秘話について伺います。

内田
私、今WHILLに乗っているのですけれども、動かし方を教えていただけますでしょうか?


福岡
まずは、このレバーを引いていただくと、これで電源オンになります

内田
はい、ブルーのライトが付きました。


福岡
もうあとは、このマウスを操作して、右に少し倒していただけると。

内田
はい、動きますね!ずいぶん滑らかに動きますね。




福岡
こういう形で、すごく狭い空間でも1回転して、Uターンできるというのが特徴になっています。

内田
なるほど。この開発をする段階で技術的に一番苦労されたところはどこですか?


福岡
やはりこの前輪になりますね。先ほどすごく狭い空間の中でもスムーズに運転できたと思いますけれども、その特徴を作っているのが、この前輪になります。これは「オムニ・ホイール」というタイヤになるのですけれども、横に動くのですね。

内田
普通、タイヤは前にグルグル回るものじゃないですか。これは横に動く?


福岡
横に動くときには(地面に)当たっているところだけが回るんですね。前に大きい段差があったときでも、このときには大きな前輪として動くことで段差を越えていくことができるのです。


内田
この工夫は「段差を越えるためにはどうしたらいいか」というところが大きい課題だったわけですか?


福岡
そうです。いわゆるハンドル付きの電動車イスと呼ばれるようなものだと、タイヤが大きいから段差を越えていけるのですね。だけど、あれだと(カーブして進むことしか)動けないんですね。このタイヤを使うことで、その場で回転することができる。

内田
もうこれがすごく大事。大きな違いですね。


福岡
はい。

内田
WHILLという会社は誕生してから、何年になるのですか?


福岡
もうすぐ5年になります。

内田
どういうきっかけで、この会社は生まれたのですか?


福岡
最初は本当にボランティアグループのようなもので、大学の同級生と集まって作ったという、そこから始まりました。

内田
どういう話がその中で生まれたんですか?


福岡
自分たちで「何か新しいもの作ってみようよ」ということをやっている中で、リハビリテーションセンターに行く機会がありまして。そこで、あるユーザーから言われた言葉がすごいきっかけになりました。

内田
それはどういう言葉だったんですか?


福岡
「100メートル先のコンビニに行くのをあきらめる」と。「なんでなんだろうな」という、そういうところから始まりました。

内田
そのきっかけとなった「100メートル先のコンビニエンスストアにも行けない人たちを行かせてあげたい」というところから始まって車イスの開発ということになったのですけれども、最初はこういうWHILLのような形ではなかった?


福岡
全然違いました。やっぱり車イスっていろいろな障害があります。外に出たときに段差があるとか、悪路があるとか、乗り降りが大変だとか、そういった物理的な問題というものに僕ら最初に着目したのですけれども、いろいろ話を聞いていくと、物理的な問題というよりも、精神的な部分というのがすごく強いなと感じまして。

内田
まずそれを解決しようというところから、事業といいますか、活動はスタートしたということですか?


福岡
そうですね。そのときにすごくシンプルに「じゃあ、カッコいい車イスを作ろう」っていう。もう本当にすごくシンプルな話ですけれども、それを作ったら、みんな外に気軽に出て行くんじゃないかというところから、このプロジェクトは始まりました。

内田
今のWHILLの形になる前に、新興国市場にチャレンジするというプロセスがあったんですよね?


福岡
「すごく安い車イスがあったら、新興国でも自分たちで車イスを作ることができるんじゃないか」という話をしていたのですけれども、それはものすごく安くないと「やっぱり駄目だね」と。例えば500円くらいであっても、高いと言われるような、そういう世界だったので。それに関して調べていた中で、日本のリハビリテーションセンターに行く機会があって、そこでそういうユーザーの声を聞いて、方針を変換、というよりは、やっぱりここの問題というのを解決しにいこうっていう風に思えた。

内田
まず何から始めていったのですか?


福岡
一番最初に決めたのが、ちょっと変な話ですけども、「どこで発表しようか」という。

内田
モノがまだ全くできていない中で、「どこで発表するか」。なぜ、そこにこだわったのですか?


福岡
目標を先に決めないと、みんな日常の仕事の中で埋もれてしまう。それで「先に目標を決めよう」というので、最初すごくシンプルに「カッコいい車イス」というところを考えたのですけれども、見た目だけではなくて、イメージというのもやっぱり大事だと。「これは新しいカテゴリーの乗り物なんだ」という風にみんなに思ってもらいたい。そういう気持ちで東京モーターショーに「パーソナルモビリティ」として出展しました。

内田
そこでひとつ、みんなで掲げてきた目標は達成したわけですよね、出すというところは。そこから先の目標は決めていなかった?


福岡
なかったですね。

内田
それで、どうしようと?


福岡
当時、ある車イスメーカーの社長さんから言われた言葉があるのですけども、「これ、ちゃんと製品にしないと罪なことだよ」と。コンセプトだけ発表して、それを製品化しないというのはすごく罪なことで、みんなそれを夢に見て、待ってしまうと。

内田
なるほど。


福岡
市場ニーズがあるとかというよりも、「やんなきゃ駄目だ」と、何か使命感を。

内田
感じたわけですね。


福岡
そうですね。


東京モーターショーで大反響を得たパーソナルモビリティ。この段階では製品化の考えがなかったそうです。そして、同じものづくりサークルの3人がそれぞれ会社を辞め、2012年にWHILL株式会社を設立。翌年にはアメリカに本社を移転します。


内田
アメリカに本社を作ろうと。これは何で日本ではなくて、アメリカに行ったのですか?


福岡
これは二つ理由ありまして。反響としてアメリカの方からの反響が大きかったということと、やはり資金調達ですね。今、「ハード屋ベンチャー」という言葉がいろいろなところで聞かれるようになってきたと思うのですけれども、当時はもう本当になくて、日本で。日本で「ものづくりでベンチャー」というのは全くなかったし、誰もお金を出してくれなかったですね。

内田
出資は募ってみたのですか?


福岡
募ってみました。もう、いろんなところに話をしたのですけども。

内田
断念というか、「日本じゃ駄目なんだ」と?


福岡
そうですね、当時はそういう気持ちでアメリカに行きました。

内田
アメリカに行って、思うような、ある意味エンジェルとか、ベンチャーキャピタルであるとかという、繋がりというのはできたのですか?


福岡
アメリカでいろいろなところで話をしていくと、その当時、特にアメリカ西海岸、シリコンバレーといわれるエリアでは、「ハード屋ベンチャー」、「ものづくりベンチャー」というものが、どんどん主流になってきていたのですね。そこですごく投資家の人たちも話しやすくて、「君たちのはすごく可能性があるから」というので、お金を出してくれることになった。それが入った後、日本の投資家の方も。

内田
よくあるパターンですね。肝心なのは、「商品を作る」ということですけれども、これはどうでしたか?


福岡
モノを作るという点では、日本の方が圧倒的に良くて、日本で開発していたのですけれども、ユーザーからのフィードバックという点ではアメリカの、シリコンバレーというエリアはすごく良かったと思います。「君たちの“カッコいい”とか、“デザインを重視する”というコンセプトは、こういう人たちに受けるだろう」とか。そういうコンセプトの部分でフィードバックをもらえたのは良かったですね。

内田
「売れていく」ということがとても大切になっていくところですよね?販売をしていくということ。ここはどうでしたか?


福岡
いや、苦労しました、本当に。

内田
思うように売れなかった。これは何が原因だったのでしょう?


福岡
「良いものを作れば、すぐ売れる」という風に、そんな単純に思っていたわけではないのですけれども。モノを顧客に届けるまでには、本当にいろいろな人の協力を経てちゃんと届いているのだと、そこの人たち、販売に関する人たちという存在を、やはりもっともっと重要視しなければいけなかったと感じています。今は本当にいろいろな代理店さん、販売店さんと協力関係を結びながら販売することができて、数も伸びるようになりました。


パーソナルモビリティ・WHILLの魅力は、明らかに車椅子と異なるこの「デザイン」。若者だけでなく、確実に幅広い世代へと伝わっています。


内田
やはりデザインというのは大事ですね。


福岡
やはりイメージを引っ張る一つの、大きな要素だと思っています。モノだけではなくて、イメージというものを変えていきたい。そのためには見た目、外観のデザインというものに関して強いこだわりを持っています。僕らの特徴的な部分というのは「アーム」と呼んでいるのですけれども、斜め方向にラインを持っている。

内田
ええ。


福岡
横から見たときに斜めのラインができている。あのラインというのは、すごく大事にしていまして。イスというのは、必然的に後ろに倒れているようなラインになっている。これをなんとか前に倒れているような、人も含めて、物を使って表現できないかというところで、まっすぐ、スッと、前に出ているアームというものを作ったのです。これによって既存の車イスとは違ったイメージを持たせているという部分が強いのですけれども、ただその一方で、あのアームというものがあることで、設計が複雑になったりであるとか、そういった部分はずいぶん苦労しました。

内田
非常に面白いです。その「前に向かっていくデザインにしたい」というのは。


福岡
なかなか表現が難しいのですけども、あのアームがなかったら「イス」になるのですよね。

内田
確かに、あの白いラインがなくって、同じ黒の色で埋もれていたとしたら、「イス」ですね。


福岡
「イス」っぽくなっていく、動かないものに見えていくのですよね。「モビリティ」に見えなくなっていく。

内田
動かないものになる。面白いですね。あのラインがあることで乗り物になる。それは感覚的なものですか?


福岡
感覚的なものなのかもしれないですね。これに関しては本当にいろいろな側面から、僕らも、いろいろなものを作って、「これだったらどうだ、あれだったらどうだ」とやった結果、「やっぱりここのラインっていうのはすごく大事だ」という風に結論付けましたね、はい。

内田
やっぱりデザインの力っていうのは?


福岡
すごく力があると思っています。


6月に発売が決まった新モデル・WHILL「Model C」。今までよりはるかに軽量化され、また多くのユーザーが希望した「車載したい」という声に応えて分解が可能に。さらにIoT化され、故障なども遠隔でわかるようになりました。


内田
この「Model A」から「Model C」に開発を移行していくという際に、いろいろな工夫とか、「Model A」ではできなかった反省であるとか、いろいろなものが織り込まれていると思うのですが、これはどのようなものがありますか?


福岡
まず価格。

内田
やはり高すぎた?


福岡
満足いただいているお客さんもすごく多くいらっしゃるのですけれども、「もっと安くすれば使えるのに」という声は、常にいただいていました。

内田
コストダウンをするという工夫が「Model C」にはある?


福岡
そうですね。

内田
苦労した部分というのはどこですか?


福岡
まあ本当に、いろいろな苦労をしたのですけれども、例えば分解機構ですね。

内田
分解するということは、ある意味、弱くなるわけですよね


福岡
そこの「ガチャガチャした部分」を、いかにして耐久性を保ちながら、安全に使っていただく、でも簡単に分解できるようにしようと。

内田
今後「Model D」なのか「E」なのかわかりませんけども、「進化していく」というものを見据えると、どういう乗り物になっていくのですか?


福岡
そうですね、やはり「自動停止」だったり、「自動運転」というところに今後取り組んでいきたいと思っています。

内田
これからWHILLという会社がどういうものを目指していくのかということをお伺いしていきたいのですけれども。今、思い描いている部分で言うと、目標のところまで、何合目まで来ていますか?


福岡
まだ本当に、2合目3合目とか、始まったばかりと言っても過言ではないのかもしれないですね。やっぱり大きいのは、実際に「100メートル先のコンビニに行くのをあきらめる」ということを言っていらした方にWHILLという製品を届けて、「コンビニに気軽に行けるようになった」と言われた。僕らにとってはすごくそれが大きな一歩だったんですね。

内田
はい。


福岡
だけど、まだ「イメージを変える」ということころまでは至っていないと思っています。アメリカの人というのは、ちょっと足が悪くなったりとか、長時間歩くのが苦しくなったというときには、自然にモビリティを使うんですよね。だけど日本の方だと「いや、電動車イスに乗るほどではない」と。そういうときに頑張るんですよね。もっと自然に楽をして、外行っていいよ、行こうよと。もっと外で生活楽しもうよと。

内田
その人たちにWHILLが届き切っていないというのは、何がいろいろな壁があると思うのですか?


福岡
そうですね。

内田
それを乗り越えていくために?


福岡
60代、70代のお客様にWHILLの試乗を薦めたときに言われる言葉として、「まだ私はそれを使わない」という風に言われるのですけども、その感覚をどうやって消していくか、だと思います。「まだ」というのではなくて、もっと気軽に、「じゃ、今日使ってみよう」とか、そういう風に気軽に使えるようになる。

内田
WHILLというのは、これからどういう会社になっていくのでしょう?


福岡
僕らのやろうとしていることというのは、「世界を変える」ということだと思っているので、常に先陣に立って走っているような会社でありたいと思います。私たちが掲げているミッションは「全ての人の移動を楽しくスマートにする」。電動車イスを使っている方から、走れる方まで、そういう人、全ての人の移動を、楽しくスマートにしていきたいと思っています。



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特徴ある製品・サービスを紹介
「ビジネスのヒゲ」

成長をサポートするダンボール家具
東鈴紙器(相模原市中央区)

5月1日放送分
「産業とインフラを支える 巨大で緻密な鋳造技術」

ゲスト
日本鋳造株式会社
代表取締役社長 鷲尾 勝さん


【プロフィール】
1958年 兵庫県明石市出身。
1982年 大阪大学大学院工学研究科修了、川崎製鉄株式会社入社。西日本製鉄所企画部長、第1原料部長などを経て、2012年 JFEマテリアル株式会社代表取締役社長に就任。
2016年 日本鋳造株式会社代表取締役社長就任。


スケールの大きさと緻密な品質管理・信頼性が求められる鋳造製品。低コストのアジア製品が勢いを伸ばす中、求められる競争力とは。京浜工業地帯の生みの親・浅野総一郎により創業されてから間もなく100周年を迎える日本鋳造・鷲尾
勝社長に日本の鋳造技術の可能性について伺います。

内田
鷲尾社長はJFEから来られて2年目ということで、「ここは強みだな」という部分と「ここは自分がもう一度競争力を持たせなければいけない」という部分と両方があったと思うのですが、それぞれ教えていただけますか?


鷲尾
まず強みはですね、とにかく歴史。今度2020年で100周年ですけども、それまでやってこられた「営業力」と言いますか、お客さんの多さ、そういう実績ですね。これは非常に大きなものがあると思いました。それと共に「商品開発力」。いろんなニーズに対応してものが作れる、そういう「企画力」、「対応力」。単に「鋳物じゃないか」と言われるのですが、そこにはかなり奥深い技術力と販売力があったという風に思いました。

内田
その鋳造という今の業界全体を俯瞰して語っていただきたいのですけども、今の日本における鋳造業というのは、どういう状況なのですか?


鷲尾
これはかなり厳しいですね。生産量も年々下がってきております。私どものお客様というのは機械メーカーさんであったり、自動車屋さんですとか、半導体メーカーさんだとか、そういうお客さんがあったりして、やはり日本全体の経済が上がってこないと、皆さん仕事が無いということなので。自動車屋さんも一部海外に行かれたりしていますし、機械メーカーさんも日本の競争力が昔ほど無いという意味で、仕事がどんどん減りつつあるのではないかと。その中で弊社がいただく、鋳物業界でいただく製品のオーダーも一部、海外品にシフトしています。そういう環境の中では、全体的に仕事がどんどん減ってく方向ではないかという風に思います。

内田
そういう中で、日本鋳造じゃなければできないものをやっていくということになっていくわけですよね。大手という意味では、日本を代表する鋳造メーカーであると思うのですけれども、イメージとすると、すごく大きいものを作っていく。橋、橋脚、橋梁に使うところの支承であるとか、そんなイメージですけれども、作っているものの流れと言いますか、変化というのはどうなのでしょうか?


鷲尾
それこそ自動車用部品、それから造船用部品、もちろん橋の支承もですけれども、その中で弊社でしかできないもの、あるいは特徴があるものという風に取捨選択されてきて、今の形が残っているわけです。今、大きく分けますと、そういうインフラ関係の鋳物と機械部品関係の鋳物。機械メーカーさんだとか、半導体の露光装置を作るメーカーさんに出している。比較的それは大きなものですね。

内田
本当に大きいインフラに使うものから、半導体というところのミクロなものを支えるものであるというところまで、用途が多様ですけれども、改めて「鋳物」というものの特性、鋳物じゃなければ「できないもの」を見ている方に理解していただきたいのですけど、鋳物の強みとは?


鷲尾
「できない」ということはないと思うのですけれども、いろんな形に近い形で作りますよね。元々、素材を塊から作ると削る量が多かったり、加工する量が多かったりするわけですけど、その製品の形に近い形のものを作って一部加工するということですので、そういう意味では工程が削減されるということだと思います。

内田
一つのものを掘り出して作るよりも、早く、確実にものが作れるというところ?


鷲尾
ということですね。

内田
鋳物でなければできないもの、もしくは鋳物で作った方がより良くなるものということを提案されてきたと思うのですけども、その中で今、グローバル経済ということで、各国でも様々な鋳物の技術というのがキャッチアップしてきていると思うのですけれども、日本鋳造でなければできない鋳物の技術というのはどういうものがあるのですか?


鷲尾
今、商品で一番宣伝していますと言いますか、いろいろ興味をいただいているのは、「低膨張材LEX(レックス)」というものです。これは非常に膨張が少ない。「鉄」は普通、温度上がると膨張するものですけども、膨張しないものを今、力を入れて開発しています。


製品の仕上がりを決定する正確な模型を整形し、周りを特殊な砂で固めてできる「鋳型」に、高温の熱で溶かした金属を流し込む「鋳込み」作業。冷却したのち、鋳型から取り出して、加工、組み立てや計測などを行い、最終製品へと仕上げます。こうした日本鋳造が誇る職人技とともに、今注目されているのが、独自の素材開発力。通常の金属は熱によって変形が起こりますが、日本鋳造ではこの変形を極限の精度で抑えた合金「LEX(レックス)」を開発。宇宙事業や半導体の製造、防衛など、過酷な環境にも耐える素材を自社で開発、付加価値の高い製品を作り出しています。


内田
鋳物は、溶けた鉄を流し込んで、型を作って、そういうシンプルなものに思えるのですけれども、いやいや、そうじゃないと?


鷲尾
もちろん、そういうシンプルなところもまだあるのですけど、さらにそこからいろいろ特性を、パフォーマンスを上げていくというような方向をこれから打ち出していくということだと思うのですけど。

内田
半導体を作る機械を支えるのに、LEXのような膨張しないという土台・素材が必要だという、そのニーズの意外さと言うか、そういうところに鋳物というものが求められるというのにちょっと驚いたのですけど。


鷲尾
やはりそういうことに意識の高い研究の方がおられることが一番大事じゃないかと思うのですよね。

内田
そういった複雑な合金の新しい配合をこれからもどんどんやっていくっていうことすか?


鷲尾
はい、そうですね。機械用部品、特に半導体関係の製品とかですね。それ以外で今、商品開発しております、低膨張材というのが非常に今後期待できるのではないかと思っています

内田
ここのニーズは伸びていく?


鷲尾
間違いなく、伸びてくると思いますね。

内田
どうしてその半導体の製造過程において、鋳物の土台というものが必要とされるのですか?


鷲尾
これはですね、大きなフレームの中にレンズがありまして、それで焼き付けるというようなことだと思うのですけども、その中でそういう形のものを作るとしたら、やっぱり鋳物でしかできないのでないかと。安定性もありますし、複雑な形に対応できるということだと思いますね

内田
つまり、複雑な形というものを実現するのが鋳物であって、その複雑な形を実現するのは、他の海外の新興国にできるかというとできない?


鷲尾
時間はかかりますし、やはり精度というのはかなりの差があると思いますね。単純な形の鋳物であれば、海外のメーカーでもできると思うのですけど、複雑な形になればなるほど、日本でやっていることが大事ではないかと思っています

内田
そこはさらに複雑になっていくのですか?


鷲尾
可能性はありますよね。半導体の世界というのは日進月歩ですから、これはいろいろなチェンジがあるのではないかという風に見ています

内田
最初言った対応力。


鷲尾
それに「迅速に」ですね。時間かけずに、迅速に対応するということが大事ではないかと思います。


新たな技術開発と革新が求められる鋳造業界。日本鋳造が見据える今後の成長戦略、そして未来の姿とは。


内田
日本鋳造さんにもまだまだ、「メイド・イン・ジャパン」としてずっと生き続けていただかなければいけないわけですけれども、そのためにはどういう会社にならないといけないと思いますか?


鷲尾
やはり仕事の仕方も、もう少し昔とは違った今風の、今の世の中に合う働き方をしていこうではないかと。まだ昔の働き方を継続している感じを受けます。

内田
例えばどういうところが変わっていくのですか?


鷲尾
ワークライフバランスも含めて、昔は「仕事ばっかり」というようなこともありましたけれど、今はそうではなくて、やはりちゃんとした生活をしっかりやっていって、かつ会社が成長していくというのが、これは無いものねだりかもしれませんけど、これは非常に、目標としては目指す方向だという風に思っています。

内田
そういう中で、ビジョンと言いますか、鷲尾
社長がこれから成長という部分の、ワークライフバランスを重視する上に付加していくものというのは何ですか?


鷲尾
製造力というものを上げていくところだと思うのですね。これはやはり、生産性であったり、品質であったり、それを仕事の時間でカバーするのではなくて、仕組みでカバーする、仕組みづくりだと思うのです。人の仕事の視える化ですね。どちらかというと弊社のような鋳物をやっている会社というのは、人の集約みたいな仕事がありまして、一体誰がどれだけ寄与しているのかというのが非常にわかりにくいのですね。これはある意味ビジュアル化して、その寄与度を明確にする。そうすると個人別に課題も出てくることもあると思うのです。

内田
それはなかなか面白そうですね。


鷲尾
世の中のメーカーでは当たり前のようにやられているようなことだとは思うのですけども、それを積極的にキャッチアップしてとらえていって、上げていくということだと思うのです。これはやはり環境の変化に迅速に対応していくというか、スピード力ですね。

内田
あとはフレキシビリティと、広く世界に向けて販路を広げていくという、そういうチャレンジもしていかれると思うのですけれども。


鷲尾
日本の中で仕事をしている限りはそういう見方はしないわけですね。やはり自分で初めて出て行って、ものを見て、いろんなものを感じて、初めてわかるわけですから、やはりいろんな人が海外に出て行って、いろんなものを感じてきていただかなければ駄目だと思います。そういうことを積極的にやっていこうという風に思っています。

内田
今までは日本の中だけで仕事が、良い意味でも悪い意味でも、やれていた。そこを大きく視野を広げていくのだと。


鷲尾
広げるということ、これはやはり将来に向けて、2020年で100周年になりますけれど、さらに100年、200年と生き延びて、続けていくためには必要なことだと思います。

内田
広く海外を見ていくことも必要なる中で、海外をターゲットにしていくとしたら、どこを見据えていらっしゃるのですか?


鷲尾
やはり先進国であるドイツとか、ヨーロッパであったり、アメリカであったりということですね。ここは地場でやっていらっしゃる鋳物メーカーさんもたくさんあります。そういう意味では、先端のモノというのは、それぞれの国で作っていらっしゃるということなので、そこに日本の品質の良いものを持っていけば、一部お使いいただけるお客様はいるのではないかと思っています

内田
LEXのような新しい、高機能なものにニーズがあるだろうというのが先進国?


鷲尾
そうですね。マーケティングを含めて、展示会に出してみたり、そういうことを繰り返しながら、これは出たからすぐ効果がでるものではないのですけども、こういうことを始めて、やはり何年もやっていく中で、段々増えていくものだと思いますので、日本鋳造でなければならないという「ご指名」をいただけるように対応していくことだと思います。品質も中国と変わらない、対応も変わらない、納期も変わらないという風になれば、それはもう「お前のところでなくていいよ」と言われてしまうわけで、そこにかなり差をつけて頑張っていくということだと思います。



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