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神奈川ビジネスUp To Date

神奈川ビジネスUp To Date

神奈川ビジネスUp To Date

3月27日放送分
「企業のサステナビリティ〜地域との関わりと自動車産業の未来」

ゲスト
日産自動車株式会社
専務執行役員・チーフサステナビリティオフィサー 川口均さん


【プロフィール】
1953年 福岡県出身。
1976年 一橋大学卒業、日産自動車入社。
2005年 常務執行役員に就任。
2009年より横浜商工会議所副会頭を務める。
2014年 専務執行役員、
2016年 チーフサステナビリティオフィサーに就任。


日産自動車は1933(昭和8)年、自動車製造株式会社としてスタート。1935年、日本初の自動車一貫生産工場として横浜工場が稼働、1961年には日本で初めての量産工場として追浜工場を稼働させ、1966年に「プリンス自動車工業」と合併。1999年、フランスのルノーと、グローバル・パートナーシップに関する合意に調印し、2009年に本社を東京銀座から横浜に移します。近年では、ますます関心が高まる地球環境問題に対し、クリーンな動力源の開発や資源のリサイクルなどに積極的に取り組む世界的な自動車メーカーです。

内田
川口さんは専務執行役員であり、CSO、チーフ・サステナビリティ・オフィサーという、私初めて聞いたのですけれども、これは、どういうお仕事をされているのですか?

川口
「専務執行役員」というのは元々あって、それはグローバルに渉外関連ですとか、それから広報を担当してきているのですけれども。「チーフ・サステナビリティ・オフィサー」というのは昨年から新たに任務として加えまして、「企業の持続可能性」というのを中長期に渡って考えていく、ここをつかさどる仕事として加わったのですね。

内田
この役割というのは非常に珍しいですね。どういう意図でこういうものを新設されたのですか?

川口
「短期的に利益を出す」「企業というのはしっかりしていないといけない」、それだけで企業というのは本当に意味があるのか?四半期毎に利益の数字を開示して「良かった・悪かった」「販売はどうだ・利益はどうだ」という話がまず基本にあるわけですけども、そうかと言ってそれだけだと「本当に必要な会社」と考えた時に、我々はいかに社会に貢献できるか、足元としてのガバナンスがしっかりできているか。そういうところを総合的に考えていくということで、「チーフ・サステナビリティ・オフィサー」の役割があると思っています。

内田
ゴーンさん(カルロス・ゴーン会長)がこれをやろう、と言い始めたのですか?

川口
そうですね、これはゴーンから直接「やってくれ」と言われて。それで、ゴーンに直接レポートする形でやっております。

内田
カルロス・ゴーンさんというと、非常にある意味、ビジネスのプロ、経営のプロという感じで、利益をしっかり上げていく、というところに非常に注力されてきたという部分があると思うのですけども。一方でこういう、いかに会社を継続させるか、社会の中で認知してもらって「あなたの会社が必要ですよ」という風に、「日産は社会の中で必要ですよ」と言ってもらわないとダメなのだ、と?

川口
ゴーンと言えば、彼が17、8年前に日本に来て、「コストカッター」のイメージがあったぐらいですね。

内田
ゴーンショックというか、びっくりしましたよね。もう、パン、パーンと、しがらみをカットしていく、という部分の中で。

川口
厳しくね。おっしゃる通りです。ゴーンと言うと「コストカッター」「利益至上主義」みたいに言われていますけれども、彼は同時にやはり、短期的にだけ通じる利益ではなくて、それが企業として長く考えた時に、継続し得る様な利益であってほしいと。それだけ足元がしっかりした意味合いがないと、短期的にメイクアップしただけの利益ではダメだよ、という感じはあります。

内田
「本質」ですよね。

川口
「本質」ですね。

内田
結局、それこそが企業にずっと安定的な利益をもたらしていく。そういう考え方になっていくのですよね。

川口
自動車というのは、どうしてもCO2の排出とか、それから交通事故とか、渋滞とかエネルギー問題とか。いろいろなところで車が影響している問題というのは大きいですよね。

内田
そうですね。問題解決するものがいっぱいあるわけですね。

川口
そうです。なので、そこにしっかり自動車会社としては立ち向かっていかなければいけない。社会的責任があるので、環境問題ですとか安全の問題ですとか、そういったところにもしっかり取り組んでいく、ということを考えるのが「サステナビリティ」の役割ですよね。

内田
そのカルロス・ゴーンさんが、会長になられた、ということで、これは日産社内ではどういう影響、どの様な反響なのですか?

川口
私自身は、昨年秋にゴーンが三菱自動車の取締役会長に就いた時点から、今度新しく社長になる西川(廣人)と共同CEOという位置付けをとってきたので、ある意味その延長線上に今回の社長交代がある、という風な感じはしているのですけども。世間一般では相当驚かれましたよね。

内田
ええ。

川口
「ゴーン時代」というのは凄く大きかっただけに、それが変わる、という意味合いを大きく捉えられた、という印象は得ています。

内田
確かに、ゴーンさんはルノーであり、日産であり、あとは三菱自動車と。3つのある意味トップの役割なわけですね、そちらの方の、もう少し広い部分というのを役割として担っていかれる?

川口
「アライアンス」と我々は呼んでいるのですが、日産とルノーと三菱、これを3つ合わせたところで、共通する部分をしっかりやっていこうということに、彼としては注力していきたいと。

内田
もっとシナジーを生んでいく、と。そういうことですか?

川口
おっしゃる通りです。シナジー効果を高めていって、それで個々の企業にとってもプラスをより生んでいく。もっと上からものを見る形で、しっかり指導していくというところで、ゴーンが、より大きな観点で我々をサポート・リードしていく、という印象でいますね。

内田
日産自動車というのは、神奈川にやはりルーツがあるという会社なのですよね。そういう、日産と神奈川県の繋がり・関わりというのは、どんなものなのですか?

川口
日産は、やはり神奈川に生まれ、神奈川で育った会社だと思っています。1933年が生まれた年で、今、我々が「横浜工場」と言っているエンジンやモーターを造る工場があるのですけども、そこが我々のスタートになってそこで生まれ、製造拠点が3つくらいあり、それから開発が厚木の方に、それこそ1万5,000人くらいいる開発の拠点がありまして、神奈川全体に大きく根を生やしている。地域と寄り添うとか、地元と寄り添う、という感覚を思い出したという感じですね。やはりお互いが結構近い関係でやっているし、元々、横浜の中で小さい頃から知って「しんちゃん」「けんちゃん」とか言いながら、横浜商工会議所などで話している人たちがいるのですね。我々はここに本社を移して「日産が戻ってきた」という感じで、「しんちゃん」「けんちゃん」の仲間に入れてもらっている様な気がしていますけどね。

内田
「神奈川に帰ってきた」。そういうイメージなのですね。

川口
嬉しかったのは、横浜の東口に限らず西口の方も、看板で「お帰りなさい、日産」だったのですね。歓迎を受けて。それが嬉しかったですね。

内田
「皆、一体になって経済を盛り上げていこう」という、気運と言いますか、文化が横浜にはある?

川口
そうですね、あると思いますね。商工会議所などを通じて、神奈川県の同友会とか、いろいろありますよね。そういう中で、横浜市・神奈川県と一緒になって地元経済を盛り上げていこう、ということもあります。

内田
いいですね。

川口
自動車も、経済全体に与える影響はどうしても大きいので、我々としてもこの地で成功することが、神奈川県にも全体にも繋がっていく、という感じでおります。


2017年1月の国内登録車販売で1位になった「NOTE(ノート)」と2位の「セレナ」。1984年9月の「サニー」と「ブルーバード」以来、32年ぶりに日産自動車が1位、2位を同時に獲得しました。国内登録車販売で1位になった「NOTE」は、外部から充電する代わりにエンジンで発電して、モーターだけで走る電動パワートレインを搭載した次世代エコカー「NOTE e-POWER」もラインナップされています。「人とクルマと自然の共生」を目指し、「CO2排出量低減」「エミッションのクリーン化」「資源循環」にチャレンジしてきた日産自動車が提案するガソリンエンジン車の感覚で、電気自動車を楽しめるモデルです。

内田
自動車業界が一斉に「環境」というところにシフトしていったという時代の流れの中で、日産自動車はものすごくそこに早くから力を入れていて、更に、今回「NOTE」という非常にユニークなシステムを積んだ車を開発していったということなのですけども。まず、この「環境」という部分に対する日産の戦略というのは、どういうものなのですか?

川口
日産は、かなり前から「日産グリーンプログラム」という形で取り組んでいまして、具体的な目標として、2050年までに車から排出される排出ガスを90パーセント削減する。

内田
90パーセント。

川口
ええ。2000年比ですね。それだけではなくて、工場ですとか。オフィスですとか、いろんなバリューチェーンで、日産のビジネス工程の全てで発生するCO2も80パーセント下げていく、というのを「グリーンプログラム」にして、 途中途中でいろいろなマイルストーンを置きながら対応してきている。環境に対して、我々としてはきちんと対応していくぞ、ということでありまして、まさに「サステナビリティ」の一環だと思うのですが、環境に対して我々は責任があると。ただ、環境に対して責任があるので「守っている」という意味合いだけではなくて、むしろ「攻めていこう」と。モビリティをより高めていく過程の中で環境にも対応していこう、ということが、ゼロ・エミッションを狙った活動、と言われている部分になるのですけれども。「NOTE e-power」というのは、その路線の中に出てきておりまして。ガソリンエンジンを積んでいるのですけども、充電のためだけに動いていて、走る動力源は全てモーターなのですね。すごく気持ちのいい走り。加速力と静かさ、それで環境に優しい。それが両立できていて、かつ、当然燃費もいい。そういう意味で、お客さんが買って嬉しい、という車になっていて。

内田
それで口コミも広がる、と。

川口
と思いますね。ですから今、非常に好評を得ていて。発売の時に宣伝効果だけで売れる、という車ではなくて、これからやはり車が進む「電動化」の道の中で、大きな重要な橋頭堡になっていくのではないかな、と思いますね。

内田
聞いていてすごく面白いなと思ったのは、モーターも積む、でもエンジンも一緒に積む、ということでありながら、あの空間であるとか、あの価格であるとか。きっとコストも、非常にかかるはずだという風に思うのですけれども。

川口
もっと売れればもっと儲かる、という感じですけれども。

内田
「NOTE e-power」って、一般車ですよね?

川口
「やっちゃえ、日産」ということで、チャレンジなのですが。その「NOTE e-power」も画期的な取り組みですし、それから「セレナ」の「プロパイロット」、自動運転の車がありますけれども、これも他社に先駆けた試みを、一般的な「セレナ」という家族のワンボックス、これに搭載するということに意味があるのではないかと。高級車で「お金いくら払ってもいいから」という感じで付ける技術の意味合いと、一般的にアフォーダブルなところでそういう新技術を出していくというところでは、難しさの度合いがまるで違いますから。それをやれてこられているというのは、日産が元々持つ技術力の高さではないのかな、という風に思いますけどね。


横須賀市の追浜工場で行われている「日産わくわくエコスクール」では、身近なクルマを通して環境問題を学ぶことで子どもたちの環境問題に対する意識向上を目的とした「日産自動車の環境授業」です。

内田
お子さんを対象にして、「日産ワクワクエコスクール」というものをやっていらっしゃる。随分かわいらしいイベントの様に聞こえるのですけど、これはどういう狙いがあるのですか?

川口
将来を支えていく子供たちに、我々としては2つの要素でやっていまして、1つは「ものづくり」というものを知ってもらう、ということ。もう1つは、やはり「環境」ですとか「エネルギーの大切さ」、そういうものをしっかり分かってもらう。そこをやはり、小さなお子さんから知ってもらうという活動で、これも一種のサステナビリティ活動になると思うのですが。

内田
そうですね。小さい頃に受けた印象とかイメージとか学んだことって、大きいですからね。今、「車離れ」とか言われていますよね。そういうものをしっかりと押さえていきながら、ファンを作って、環境にも理解をしてもらって?

川口
そうですね。

内田
それで、ものづくりであるとか科学であるとか、そういうものにも関心を持ってもらう。

川口
そういうことで、本当に続けていきたい活動ですね。

内田
将来、そういう子達が「日産に勤めたい」と言ってくれるといいですね。

川口
いいですね。ええ。

内田
そういう意味で、自動車産業というものの未来なのですけれども、今、もう本当に異業種からも「車をつくるのだ」という様なものが出てきたり、ベンチャーが出てきたりという意味では、油断ならないというところもある中で、でもやはり自動車メーカーにしかできないこと、歴史というのもあって、ここはどういう風にご覧になっていますか?

川口
日産の中で「インテリジェント・モビリティ」という戦略があって。それはゼロ・エミッション、ゼロ・フェイタリティという、事故をゼロにしていく、これを達成するための手段として「インテリジェント・モビリティ」を進めていく。これからの自動車になっていくと。これからの時代の「コネクティッド」ですとか、「AI」ですとか、「ビッグデータ」ですとか、車が単にそれ自体が走っている、それだけでいい、という感じではないし、安全でなければいけない、環境に優しくなければいけない。これを、究極的に高めていく世界になっていくだろうと思います。これからの技術革新は、非常に大きな意味を持っていく。今は大きな転換点になって。これまでの、「効率良くものを造って、いい車造りの歴史」は日本が非常に強かったのですけど、この100年の歴史から、転換点で新しい100年に変わっていこうと。うかうかしていられない世界ですね。

内田
今、ちょっと私がドキッとしたのは、それは日本が「強かった」という過去形でおっしゃったではないですか。やはり、内燃エンジンで動いた、という時代はもう終わるのですか?

川口
技術だけではなくて、ものづくりのところ。よく「IOT」とか言われますけれども「第4次産業革命」、ここの世界も、日本はものづくりに優れているか、強いかというと、マスマーケットの世界でいくと、お客様をネットワークに取り込んでやっているか。やっていないかという意味では、不十分だったのですね。なので、日本の車は、例えば注文したら1週間後くらいに来ていたはずが、今は1か月くらいかかる。気が付いてみたら、そのIOTの革命の中では発注したら、自分の好きなテーラーメード内容で、1週間以内にもう車が届く、というのがIOTの世界で。そういう世界にどんどん変わっていくのですね。なので、我々が第3次産業革命までは覇者だったかもしれないけれども、では果たして、第4次・第5次のところで覇者になれるのか、というところは違うと思いますし、そういう中で、やはり「日本でだけ」ではダメで、我々は、海外での売り上げがもう9割になっている時代。グローバルに発展させていかなければならない。なので、グローバルな発想の中で、そういう風に社会の潮流の変化をリードしていかなければいけない。だからこそ、ダイバーシティではないかな、と思うのですけれども。

内田
なるほど。

川口
考えてみたら、日本にある日産の本社だからと言って、日本人だけが中心になって動くという発想は、日本があって、そこから世界に輸出していた時代がもう終わっている。我々、日本に3つくらい工場がありますけれども、海外に40くらい工場があるのですね。例えば生産拠点で言ってもそれだけ海外に広がっていく。従業員だって、もう海外の方が多いわけですよね。クロス・カルチュアルに発想していかなければいけない。なので、カルロス・ゴーンがやった話の中に、「ゲーム・チェンジしてきた」と言われているのですが、系列を破壊した、それから日本の企業文化である年功序列、男性中心、大卒大量採用、終身雇用。

内田
そうですね。いわゆる、日本的経営というものですよね?

川口
これは、強みがあると思います。けれども、そればかりだとやはり、逆に弱みにもなっていく。そういう意味では、今、日産は中途入社が多い、外国人が多い、女性の登用をどんどん進めている。これを、圧倒的に今進めているので、そういうことが、これからの日産の力になっていく。グローバルにどんどん変化するし、技術も革新していくだろうけれども、ダイバーシティをベースに我々は力にできていったらなと考えています。



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3月20日放送分
「劇団四季 ロングランを実現する独自の経営戦略」

ゲスト
四季株式会社
代表取締役社長 吉田智誉樹さん


【プロフィール】
1964年 横浜市出身。
1987年慶應義塾大学卒業、四季(劇団四季)入社。
東京・札幌・名古屋・大阪・福岡にて主に広報営業関連セクションを担当し、制作部広宣・ネットグループ長、取締役広報宣伝担当を経て、
2014年 代表取締役社長に就任。


横浜市青葉区に本社を置く「劇団四季」四季株式会社は、1953年、浅利慶太や日下武史など、10人で創立されました。劇団四季に関わっているスタッフは、およそ1200人。俳優・舞台を支える技術・経営のセクションで組織化され、全国8か所の専用劇場を中心に、年間3,000回以上の公演を行っています。昨年度の観客数は延べ316万人以上、売上高は約200億円という劇団四季。『ライオンキング』や『キャッツ』などの作品を始め、数々のロングラン公演達成など、これまでにない舞台を実現・提供してきました。

内田
劇団四季は1953年に設立されたということで、今年でもう64年目になるのですね。

吉田
はい。元々は慶応大学と東京大学の学生10名で始めた学生劇団です。それが今の、この様な。

内田
すごいですよね。日本を代表する劇団でありますし、世界的にも有名な企業になっている。私も実は高校生の頃から劇団四季が好きで、ずっと見てきたのですけれども。

吉田
そうですか。ありがとうございます。

内田
そういうことで、今日はいろいろと聞きたいことがいっぱいあるのですけども、よろしくお願いします。

吉田
よろしくお願いします。

内田
64年という中で続けてきて、どんどん成長してきています。これは、ずばり何がポイントだったのでしょうか?

吉田
やはり、舞台のクオリティではないでしょうか。お客様からお代金を頂戴して、舞台を見せてお帰りいただくわけです。ですから、そのお支払いになった分以上の感動を、劇場でお持ち帰りいただくということだと思うのです。それがお客様のお心の中で「そうなっていない」ということになれば、当然次はいらっしゃらないわけですから。この繰り返しなのではないかな、という気がします。

内田
その「クオリティ」というものを創り上げていく、お客様に認めてもらう、というためには何が必要なのですか?

吉田
それは、浅利(慶太)先生が、今でもおっしゃっていることですが、「演劇は文学の立体化なのだ」と。その優れた文学を、きちんと俳優がお客様に届ける。言葉を。これを徹底的にやることで、舞台の感動が生まれる、ということですね。

内田
「文学の立体化である」ということは「脚本である」ということですけれども、ミュージカルで言うと、「歌」「楽曲」というところが大きくあると思うのです。

吉田
ですから「台本」の感動に、今度は「音楽」の感動と、それから「ダンス」の感動が加わるわけですね。この3つが相まって、ご覧いただいたお客様が「ああ、今日も生きていて良かったな」と、形はともかくとして、人生讃歌がそこにあるかどうか、だと思いますね。

内田
世の中には様々なミュージカル作品、ミュージカルだけにとらわれず、様々な舞台の作品があります。その中で、「何をやるか」ということ、「何を劇団四季がやるべきなのか」というところの選択というのが、非常に重要になってくると思うのですけど。

吉田
今申し上げたことがあるかないかをきちんと見極める、ということですね。例えばそこが少し弱かったら、日本版を創るにあたって若干補強する、という様な作業をしております。こういう峻別作業を、海外のものを輸入する時には、本当に徹底的に皆で議論し合って、峻別してやっています。

内田
そこは皆さんで「どうするべきか」ということを議論する、吉田社長が「これだ」というのではない?

吉田
ええ。いろんな立場の意見がありますから、それを聞いて。例えば、ダンサーたちがいろいろな意見がありますよね。「このダンサーはこうだ」と。それからシンガーたちの意見もありますね。「この歌はこういうメンバーが必要で、今、そういう人が四季にいるかいないか」とかね。

内田
なるほど。

吉田
いろんな意見を聞いていきます。

内田
劇団四季というと、やはりアンドリュー・ロイド・ウェバーの作品というのがずっと繰り返しやられていて、もう一つはディズニー作品、というところが今、大きなポイントだと思うのですけど。

吉田
そうですね、その二つの柱ですね。

内田
劇団四季の「優位性」ですよね。いい作品をやれるのは何故かというのは、やはりこれまでの歴史、信頼関係?

吉田
そういう深い関係のプロダクションがある、ということと、あとは日本における興業のスキームですね。我々は北海道から九州まで劇場があって、1本の作品を輸入すると、東京だけで終わるということはまずないわけです。ほぼすべての公演が日本中を駆け巡っているわけですね。非常に大きなボリュームになる。ですから当然、上演著作権料をお支払いするわけですが、そのボリュームも東京や大阪だけでやるプロダクションに比べると大きなものになる、ということでしょうか。

内田
それが日本できちんとできるスキームを持っているのが「劇団四季」であると。

吉田
そうですね。ここまで全国の劇場展開をやってらっしゃるプロダクションはなかなかないのではないでしょうか。我々の強みはそこです。東京以外の地域でしっかり公演ができる、ということですね。

内田
やはり、いい作品がある、地域に専用の劇場がある。ここはもう、一体なのですね。それで、ロングランが自分たちで好きなだけできるという。

吉田
そうです、そういうことです。

内田
だから、劇団四季がこれだけしっかりと優位性を持っていい作品を届けられている、ということなのですね。

吉田
強みの一つだとは思いますね。もう一つは、やはり今日ここにお越しいただいていますけど、稽古場ですね。これは自前で持っていまして。ここで、俳優たちは好きなだけ稽古できるわけです。我々は、基礎訓練から演目の稽古まで、何から何まで自由にできるということですね。

内田
やはり、自前で全て持っている、ということが圧倒的な優位性になっている?

吉田
これが俳優たちの質を上げていますし、その質の高い俳優たちが質の高い舞台に出るので、お客さんにも感動してもらえる、という。いいサイクルだと思います。


1983年に横浜市あざみ野に建設され、2006年には新たに稽古場を増設した「四季芸術センター」。実際の舞台と同様の機構を持つ稽古場から、個人レッスン用の研究室、更に、音響スタジオ、食堂、トレーニングジム、医務室、マッサージルームなどを備えています。充実した設備を支えているのは、屋上に設置された大規模な太陽光発電システム。全ての稽古場は南向きに配置され、多くの外光を取り入れる設計など、省エネルギーにも配慮されています。こうした「持続性」を軸にした価値観は、劇団四季の経営を探る一つのキーワードにもなっています。


劇団四季が60年以上に渡り多くのファンを獲得し、ロングラン公演を実現する背景には、「持続性」を獲得する多くの方法論があります。その一つは、舞台を支える俳優の育成。収入が不安定とされてきた俳優を、劇団員として契約することで給与システムを明確化。舞台成果で安定的な収入を確保しながら、稽古に打ち込める環境を提供しています。また、質の高い作品を全国各地で上演することで収益を確保。芸術作品とビジネスの融合、そして、高品質・高レベルの舞台を継続的に提供しています。

内田
劇団四季は、専用劇場を今8つ持っているということで。それが全部ロングランをずっとやり続けているという、そういうことですよね?

吉田
はい。基本的には長期公演を中心としたプログラムですが、今度福岡の劇場を3年限定でお借りするのです、今年から。ですので、そのお借りしている期間は9つになりますね。

内田
9つの劇場を同時に運営していくということは、とてつもないことだと思うのですけれども、これはどういうノウハウがあるのですか?

吉田
ノウハウというか、第一に「お客様を信じる」ということでしょうか。大体こういう興業とは、特にパフォーミング・アーツは、東京中心なのですよ。これはマンパワーを非常に使いますよね。それから、集客のマーケットの大きさがあります。そうすると、東京にドンと腰を据えてやって、そしてそこに「いろんなところから来てください、これを観たかったら」というスキームの方が効率的には適っているのですね。ただ、浅利先生は「それはいかん」と。「各地各地に豊かな文化があるし、豊かなマーケットがあるのだから、興業をやる人間は、我々の方が出向いて行って、しっかりそこのお客様と手を取り合って仕事をすべきだ」と、ずっとおっしゃっていまして。

内田
ええ。

吉田
いろんなプロセスはあるのですけども、地域の皆さんと相談をしまして、何とか我々の作品を続けてご覧いただける様なスキームができないか、ということでご相談してきた結果が今のネットワークです。

内田
地域の協力があり、また説得をする。そういう要素があったということですね?

吉田
そうですね。

内田
お客さんの反応を見ながら、地方で劇場を持つということが成り立つのだろうか、ということを実験的にやっていったと思うのですよね。それが、今なおあり続けている。これも、多くの人が「それを続けるのはなかなか大変だろう」という風に思っていたが、実現できていると。

吉田
もちろんビジネスの論理もあります。ですから、収支が成り立たなければできないのですけども。ただ皆、劇団のメンバーのベーシックな部分、心の中にあるのは、その浅利さんの想いです。「文化の東京一局集中はいけない」と。そこがまずベースメントにあるので、苦しい仕事にも耐えられるわけですね。

内田
本当に様々な地域で劇場を運営していって、日本人のお客さんにより楽しんでもらおうという、いろんな努力も劇団四季としてはあると思うのです。ニューミュージカル、外国で評価されたものを持ってくる、だけれども、本当にそのニュアンスであるとか、そういうものが正しく伝わるかといったらすごく難しいところだと思うのですけど?

吉田
海外でできたものは、創られた地域の文化に根付いています。ですからそれをそのまま、直訳して日本語に直しても、やはり文化の差というのがありますから、完全にその創られた町で楽しめる様には楽しめない。日本人の特徴がありますからね。ですから、そこはローカライズしなければならない。この作業は我々ずっとやってきましたので、一定のノウハウはあります。例えば今、汐留の電通四季劇場で上映している『アラジン』という作品があります。これをニューヨークで私が観た時に、非常にコメディで面白かったのです。それで大笑いして帰るのですが、もし、これが日本でロングランになるのだったら、そこに劇場に来た人が感動する要素がなければまずいだろう、という風に思いました。それでディズニーから台本を取り寄せて研究をしましたところ、アニメーションの『アラジン』をご覧いただいた方はお分かりかと思いますが、実はアニメでは描かれていないのですが、舞台では「アラジン」にお母さんがいたという設定があるのです。それで、彼は貧しいので盗みをして食っているわけですけど、お母さんに「いい子であれ」と言われている思いがあるので、そんな自分はいつか変わらなければならない、という風に思っているのですね。一種の「母子もの」ですね。この、アラジンと亡きお母さんとの交流の部分は、やはり日本の公演では強調した方がいいだろうということで、日本版は台本に数行しか書かれていない要素を少し膨らませたのです。それが、アラジンがお母さんを恋しく思うナンバーに繋がる様になっているのです。

内田
ちょっとこう、じわっとくる?

吉田
じわっとくるのです。この要素を、ディズニーのスタッフの皆さんと「こういう風にしたい」ということを議論したのですけど。最初はなかなか「テンポが落ちる」とか、ご注文もありました。でも、粘り強くお話しさせていただいて、「この方がいいだろう」と。「では、稽古をやってみよう」、「稽古の中で考えていこう」という風におっしゃってくださって。それで実際、稽古を進めていったら「それがいいのではないか」ということになり、今のバージョンになっていますね。

内田
ディズニー側としては、非常に考えて完成させた作品ではないですか。それを「変える」ということは、抵抗があると思うのですけど?

吉田
ただ、大筋は変わっていないので。要は、最終的に行くゴールは一緒なのです。ディズニーさんと我々も。ですがアメリカの人たちが通る筋道と、日本の人たちが通る道筋、日本の人たちが分かりやすい道筋があるわけですね。こっちの道よりもこっちの方が日本人は通りやすいのだ、ということを説明するということでしょうか。

内田
この作品の本質が伝わる?

吉田
全く、「変える」というよりは、正に「ローカライズ」ですね。日本人に分かりやすく、ということです。

内田
やはりそれが一つポイントだったのでしょうね。輸入ミュージカルを劇団四季が提供して、皆が感動した、という要素としては。

吉田
やはりこれは「文化」ですから、上演される地域のお客様がしっかり理解できる形が一番理想的なのです。創られたものをそのままやる、ということではないのですね。


3月25日からスタートするミュージカル『オペラ座の怪人』。1988年の日本初演以来、総公演数6,700回以上、観客総動員数665万人を超える、劇団四季を代表するミュージカルの一つです。横浜初上演となる今回の舞台は、KAAT(カート)神奈川芸術劇場。開幕に向けて、オペラ座の怪人・ファントム役候補、佐野正幸さん、クリスティーヌ役候補の山本紗衣さんに意気込みを伺いました。

内田
「劇団四季」というのは、これからどんな姿になっていくのか?

吉田
いろいろ問題があると思います。四季の問題、というよりは、日本の国の問題かもしれないですが。我々の事業というのは、海外の優れたミュージカルを日本語に翻訳をして、主に日本人のお客様に観ていただいています。ということは、非常に内需型の産業なのですね。そうすると、皆さんもう散々おっしゃられていますけども、少子高齢化の問題に直面するわけです。単純に、このスキームだけで例えば2060年まで劇団四季を今の様にやれるかといったら、それは「No」だと思いますね。やはり、どこかで新しい事業に舵を切っていかなければならないとは思っています。その道筋は非常に困難なのですが、一つは、外国に作品を今度は輸出できる様になれないか、ということですね。自動車業界で言うと、我々のポジションはヤナセさんかもしれないですね。

内田
はい。

吉田
高級自動車を輸入してきて売る。でもやはり、生き残るためにはトヨタさんの様に、自動車という外国の文化が創ったものを、完全に日本の、自分のものにして、しかもそれを世界に通用するどころか、世界を席巻するパワーでもって売っていらっしゃる。やはりこの道をまずは目指していくということでしょうね。

内田
その中で、日本製の、日本初のミュージカルを輸出していく中で課題になることというのは、どういうものなのですか?

吉田
これは、お客様になる地域の文化、そこをやはりよく理解するということでしょうか。日本で優れたものを創ったからといって、それがそのまま、例えばアジアの国々で受け入れられるかは分からない。ただ、今は本当に頑張ってらっしゃるのですよ、日本の他のプロダクションさん。例えば「2.5次元ミュージカル」というのがありますでしょう?この「2.5次元ミュージカル」の元になったアニメーションや漫画は、非常にアジアでも知名度が高いのです。例えば『NARUTO』とかね。皆さん、知っているのです。ですから、そういうものを舞台にして既に事業展開されていらっしゃるプロダクションもあるので。ただ、我々が『NARUTO』をやるわけにはいかないので、我々の特徴に合う様な素材を見つけてきて、展開できる方法を探っていく、ということでしょうか。

内田
素晴らしいですね。

吉田
いえ、まだまだこれからです。まだ時間はあるので。人口分布図を見ていても、あと10年・20年くらいは多分、やれると思うので。その間に、今の仕事を充実させていく、ということでしょうか。

内田
お話を伺っていると、吉田社長の、演劇・ミュージカルに対する愛情といいますか、溢れているのが伝わってくるわけですけども。やはりその魅力、「劇団四季」というものの良さ、価値、というものを一言で言うと何ですか?

吉田
まだまだ、この演劇業界は発展途上だと思うのですよ。食わず嫌いのお客様も沢山いらっしゃると思うのですね。

内田
いっぱいいます。

吉田
特に、男性のお客様。やはり、劇場に来る方々の80パーセントが今でも女性なのです。

内田
8割ですか?

吉田
ですから、男性を是非劇場に呼びたいですし、我々もそのアピールをしていきたい。そういう意味では、発展途上ですね。

内田
伸びしろがある?

吉田
そうです。そこを意識しながらやっていきたいですね。

内田
男性を呼ぶためにはどうしたら良いのでしょうね?

吉田
そうですね、男性向けの演目をやる、というわけにもいきませんしね。本当にコツコツと「面白いよ」ということを言い続けるということかと思いますけども。やはり、自分が惚れた演劇を、同じ様に他の人にも惚れてもらいたいな、という気持ちはずっとありますね。そこだけかもしれない。



tvkのYouTube公式チャンネルの「見逃し配信」では取材VTRも含め、インタビュー全篇をご覧いただけます。(視聴無料です)

3月13日放送分
「老舗書店チェーンの経営課題や戦略、これから」

ゲスト
株式会社有隣堂
代表取締役社長 松信 裕さん


【プロフィール】
1944年 横浜市出身。
1967年 慶應義塾大学卒業。
1987年 有隣堂 非常勤取締役、
1999年 代表取締役社長に就任。


老舗書店として、神奈川では良く知られた存在の「有隣堂」。その社名は、論語の一節「徳孤ならず 必ず隣有り」に由来し、1909年、明治42年、横浜市伊勢佐木町で間口2間、奥行3間の小さな書店として創業。横浜の発展とともに営業エリア・店舗数を拡大、現在では神奈川を中心に53店舗を展開しています。また、書籍販売以外の分野でも事務機器を扱うなど、書店以外の事業にも取り組む企業です。

内田
書店チェーンの社長ということで、様々な本をお読みになっているのだろうと想像するわけですけれども、これまでの人生に影響を与えたり、印象に残っている本があれば、教えていただけますか?

松信
そうですね、いろんな本を、それこそもう乱読・雑読みたいな感じです。でも、最近はやはり時間がないのと忙しいので。本屋の親父ですから、本を買うのは買うのですけれども、読む時間がない。それで、つまみ読みと言いますか、つまみ食いと言いますか。そういう状況が続いていまして。まだまだ、これから手を付けるのには時間がかかるかなと。

内田
よく「積読」と言いますよね。読もうと思っている本が書斎に積み上がっていく感じですか?

松信
ええ。ここにね、こういう本を持ってきたのですよ。「本で床は抜けるのか」(著:西牟田靖・出版:本の雑誌社)。我が家はまさにこの状況でございまして。私のカミさんは「地震が来て、本で圧迫されて死ぬのは嫌だ」とノイローゼ気味でございまして。それくらい本は買ってある、読んでいる。パラパラ、ですけどもね。

内田
それはどんな感じ?何冊くらいあるのでしょうかね?

松信
何万、でしょうね。

内田
本当に冗談なく、「抜ける」かもしれないですね。

松信
はい、「抜ける」と書いてあります。

内田
社長にお持ちいただいた本がありますけれども、今お読みになっている本?

松信
「Fashion Business 創造する未来」(出版:繊研新聞社)尾原蓉子さんという、ファッションビジネス界では有名な方なのですね。毎年アメリカのファッションを見学に行かれて、全米で小売業大会というのに行かれて。何が書いてあるかというと、日本はもう、amazonにやられっ放しで、皆小売業はヒーヒー言っているわけですけど、アメリカはもっとヒーヒー言っていると。

内田
そうですか。

松信
ですから、リテーラー、小売業がデジタル武装しないと、洋服屋にしても靴屋にしても雑貨屋にしても「潰れてしまうよ」という、そういう、警告の本です。これは本屋でも十分通用する話というか、どう対処していったらよいのか。ですから、デジタル武装しない小売業はこれからやっていけないという、そういうことが多分、書いてある本です。

内田
では有隣堂としても、デジタル武装をしていくと?

松信
お金がかかるので、十分ではないのですけどね。スマホで在庫検索は全部できる様になっていますし、店頭で本を探すのもできる様になっていますけど。ただ、amazonみたいに「翌日届けますよ」という能力はまだ持ち合わせていない。もう一つは「電子書籍」ですよね。「電子」はやはり、コンテンツを持っておりませんので、やはりコンテンツを持っている出版社が一人勝ちという状況ではないのでしょうか。それが進んでいくと、出版社ももういらない時代。著者とお客様と、あとそれを上手く編集する編集者さえいれば、電子本は出せる。そういう状況の時代ですから。大変な時代ではあるのですよね。

内田
是非お伺いしたいのは、今顕著に表れているのが「若い人の活字離れ」ということなのですけども。ちょっと記事をいただいたのですけど、「1日の読書時間が0分」の大学生が5割。これはどうですか?

松信
もう大問題。

内田
大問題ですよね。これは分析するに、どういうことになっているのですか?

松信
「デジタル革命」ですよ。「デジタル・ディスラプション」ですね。要するに、デジタルの技術で今までの世の中がひっくり返るくらい変わるという、その過程での話だろうと思うのですね。ですから、「活字離れ」と言いますけども、多分、スマホなりタブレットで「活字」は読んでいらっしゃるのですよ。ただ、新聞にしても本にしても、「紙媒体」で読んでいる方は少なくなってきた。これは「紙」が頑張っていくしかないのですよね。

内田
様々な店舗を持っていらっしゃって、その店舗の見え方も、若者の活字離れ、紙媒体の本離れというのは、目立つというか、分かりますか?

松信
分かりますね。要するに柔らかい本に、やはり世の中がシフトしてきているのかと。例えば、「開脚・足をベタっと開く」などベストセラーになりましたけれども。

内田
はい、ありましたね。

松信
実に実用的な、現実的な本ですよね。どんどん若者、若い奥様・お嬢様方には売れている、という現実もあるのですね。それこそ、本当に人によって様々な興味の対象が違いますので。

内田
すごく多様になってきた?

松信
すごく多様になってきている。ただ、店舗の面積に限りがありますので、何を置いて何を置かないか、という選択をした時、やはりお客様の層に合わせる。そうすると、そこに岩波だけダーっと置いても多分売り上げが取れないから、文庫だけ、少し隅に置いて。「ベタっと開脚」ですとか、「これでお腹がへっこむ」とか、そういう本が幅を利かせてくるということではないのかな。出版社に怒られそうですね。

内田
そういうマーケティングというのは大事だと思うのですよね。そういうものをしっかりとリサーチして押さえていくというのも、本をしっかり売っていくポイントなのか?

松信
それは、店長以下従業員の技だと思うのですよね。あるお店ですごく雑誌が売れていました。ところが、(店長が)転勤で別の店に移ったとたんに、ガサっと売り上げが落ちる。それで、転勤先でまたバっと売り上げが上がる、ということはよくある話。

内田
そんなに変わるのですか?

松信
変わります。ですから、「棚の作り方」。お客様への見せ方、並べ方。その、連想ゲームできちんと繋がっていく様な本の並べ方。そういうのが大事になってくる。それはもちろん、お客様の層を理解して、ファミリー層なのか、ビジネスマンなのか。やはりちょっと違うと思うのですよね。

内田
そうは言っても、有隣堂さんは店舗数も増えていて、売り上げもしっかりとキープされているということなのですよね。

松信
ちょうど、創業して106年です。創業時は、ほぼ100パーセント、本からスタートしているのですけど、今は50パーセントを切っているのですね。

内田
「本」はその売り上げシェアの中で?

松信
はい。売上の中のシェアが、47~48パーセントまで下がっています。その「下がっている」というのは「縮まった」、というわけではなくて、パイが広がっているわけなので。それで、後の50パーセントは何で稼いでいますか?と言われると、オフィス家具やBtoBの仕事を、ここ何十年か一生懸命やっておりまして、そういうもので、残りの50パーセントを稼いでいる、という状況でございます。

内田
出版不況と言いますか、そういうものを相当早くから予測していたことなのか、もしくはそうではなく、しっかりと多様な収益源を求めていくのだ、という、そういうことなのですか?

松信
いや、違うのですよ。祖父が創業した会社なのですけど、11人子供を産んだのです。その内の6~7人が有隣堂の経営を手伝ったのですね。それで、当時店舗は1店舗だけで、2人いれば十分だったのですよ。そうすると、残りの4~5人は「外へ行って稼いでいらっしゃい」という状況だったと思うのですね。これ、私は固く信じているのですけども。

内田
最初は小さい店舗から始めた、ということで、2人いれば十分だと。

松信
今は、レジというか、お金を扱う方はアルバイトの方にお任せしているのですけど、昔は身内がやっていたのですね。ですから、レジスターのところに身内の者がへばり付いたら、あとはもう要らないという。なので「外へ出て稼いでおいで」というのが始まりだったと思うのですね。ですから、別に志を立ててBtoBの仕事を始めたわけではないと思うのですけども、結構みんな真面目でしてね、育ってしまったのですよ、それが。

内田
それぞれの事業が?

松信
はい、楽器にしても、パソコンにしても、コピー機にしてもですね。そういう結果が、今の姿に繋がっているのではないかなと。

内田
そういう強みをこれからもう少し打ち出していって、ただ本屋だけではないという、そういう「もう一つの顔」を見せていく?

松信
そうですね。「ダブル・フェイス」「トリプル・フェイス」と言うか、本屋は本屋で確かに苦戦しておりますので、他のものを並べてカロリー補給をしていこうという部分。それから、BtoB。本はほとんどがBtoCでございますので、BtoBの事業をもう少し増やしていきたい。それで、有隣堂全体の円を広げていきたいという、そういう考えでございます。


本離れが叫ばれる中、現在も年間8万点近くの本が出版されていると言われます。有隣堂では、本の楽しさ、本を通した「人」と「人」のつながりを作るために、「ビブリオバトル」という本を紹介し合う新感覚のゲームイベントを行っています。

内田
裾野を広げていく、本のファンを増やしていく、ということで、いろいろリアルイベントも積極的に書店でやっている、ということなのですけども?

松信
やはり日本国を挙げて、若者が本を読まなくなったというのは問題になっておりましてね。2001年に「子供読書推進法」という法律ができたのですよ。それから、2005年に「文字活字文化振興法」というのができて、私は両方に関わっているのですけども。やはり国会なり行政なりも、日本国民が本を読まなくなったというのを、えらく心配しているのですね。それでその法律ができてから、いろいろな読み聞かせだとか、うちでやっている「ビブリオバトル」であるとか、そういうものが極めて盛んになってきています。私どもも、「ビブリオバトル」をもう50何回、60回くらいやっているのかな。

内田
そんなにやっているのですか。

松信
ファンが増えております。

内田
この「狙い」は何ですか?

松信
やはり「本の面白さを伝える」ということですね。興味を持っていただきたいという。そういう意味の活動だと思っております。

内田
それを裏返すと、何か中身を少し垣間見せてあげるというか、背中を押してあげると、「買いたいな」という風に思える。そういう潜在的な欲求があるけれども、なかなかそこを突っつかないと何の本を買っていいか分からない?

松信
分からない。よほど有名な方の本とか、好きな作家の本、とかが決まっていればいいのですけども。思わぬところに思わぬ拾いものがあるかもしれないではないですか。バトラーが紹介してくださって「面白いな」ということになれば、お買い上げいただけるかもしれない。なので、売上を目指した行為ではない。やはり、本を楽しんでもらえる様に、好きになってもらえる様に、興味を持ってもらえる様に。そういう目的でやっている行事だと思っております。

内田
有隣堂さんとしては「私がおすすめする本と仲間たち」。これはずっとやられている?

松信
もう、10年くらい続いているのではないでしょうかね。

内田
この狙いは何ですか?

松信
選書のガイドになればいいということで、何千冊か刷って店頭に置いて「ご自由にお持ち帰りください」と。それで、読まれた方が「じゃあ、面白そうだから読んでみよう」と。私的書評誌、ですよね。

内田
これはどなたが?

松信
全部うちの従業員です。あるショッピングセンターの偉い人から伺ったのですけど、ショッピングセンターの係りの方が、休憩時間にいろんなテナントを回って、お話を聞きにいくと、「皆スマホをいじくっているけど、有隣堂の社員だけはいつも本を読んでいますね」と。

内田
そうですか。

松信
ですから、お陰様で本好きがまだいるにはいらっしゃる。なので、うちらあたりにも働きに来て下さる方が結構いらっしゃる。これは宝ですよ。


ららぽーと湘南平塚店に入る店舗では、書店エリアの本を持ち込んで試し読みできる、ブックカフェも併設されています。このカフェでは、本にまつわるフードメニューを楽しめるなど、本が好きになる空間の提供を行っています。

内田
この先、松信社長が考える「理想の書店の姿」とは、どの様なものですか?

松信
難しいですね。一つのパワーとして、「もっと本を読んでいこう」という、国民なり市民の皆さんの間に動きが出てくればいいですけど、多分、出てこない。要するに、もっとデジタルに走る。そういう傾向が続くのだろうな、という気はしております。でもそれは、第四次産業革命と言われている時代の中で、ある意味では致し方ないことでありまして。ならば、「本屋に来たら楽しいよ」「面白いよ」と。本を中心に、いろいろなものを置いてあるよという、そういう店舗展開をしていかざるを得ないのかと。それで、本だけ置いてもやはりカロリー不足になる、お家賃が払えない、という状況になるのですよね。ですから、うちは創業の頃から文房具を扱っておりますけれども、文房具であるとか雑貨であるとか、カフェであるとか。その本を中心のエトセトラで店舗を作っていく。それでなおかつ、本の売り場はやはりお客様との対話の中で、その興味を引く様な棚を作っていく、品揃えをしていく。それが両方相まっていくという状況が理想、今現在の理想なのかなという気はしていますけどもね。

内田
有隣堂さんみたいにしっかりリアル店舗を展開していてノウハウもある、というところは、amazonなんかに変に対抗してもあまり意味がないですよね?

松信
多分、「多勢に無勢」の世界になってくるのではないでしょうか。今でももう既になっていますよね。多分、日本で一番本を売る本屋は、紀伊国屋でも蔦屋でもなくて有隣堂でもなくて、amazonですよ。ですから、それに対抗して「amazonが強いからやめてしまう」ということは考えられないので、いかにリテーラーとしての、本屋としての売り場を魅力的に演出して、お客さんとの対話を盛んにしていくか、という。そこに尽きるのではないでしょうか。

内田
有隣堂という会社、これからどうなっていくのでしょうか?

松信
BtoBを増やしたい。BtoCも頑張りたい。欲張りです。人・モノ・金を一極集中するというのは常套なのでしょうけども、敢えてBtoCも狙う、BtoBも狙う。それでBtoBは、もっともっと、知識なり技術力なりが要りますので、これをやはりどう鍛えていくか、という問題であろうと思います。例えば、ペッパーくん、あるいはドローン。そんなものも将来的には、扱える様な会社になりたい、という風に思っております。

内田
そういう意味では、オフィス機器みたいなものもずっと扱ってきた流れで、これからAIという流れがありますから。

松信
ええ。ロボット、人工知能。難しいですよね。年寄りには解らない世界になってきてから、若者にどう、上手く入ってきていただいて育ってもらうか。この辺が、社長としては一番難しいところですね。



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特徴ある製品・サービスを紹介
「ビジネスのヒゲ」

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近代科学(海老名市)

3月6日放送分
「自動車から人工衛星へ・バッテリーが拓く可能性」

ゲスト
古河電池株式会社
代表取締役社長 徳山勝敏さん


【プロフィール】
1949年 広島県出身。
1972年 岡山理科大学理学部卒業、古河電池入社。
1978年 いわき事業所の設立に参画、自動車電池事業部事業部長、自動車事業本部事業本部長などを経て、2012年代表取締役社長に就任。


横浜市保土ヶ谷区に本社を置く「古河電池」は、1950年に古河電気工業の電池部門を継承して発足。「鉛蓄電池」と呼ばれるバッテリーをコア事業にして発展し、現在は自動車用のバッテリーを中心に、産業インフラ用、航空宇宙分野まで、多様なニーズに合わせたバッテリーを開発しています。特に、再生可能エネルギーなどの発電システムにおいて、蓄電池としての役割も期待されるなど、注目が高まっています。

内田
バッテリーというものが、今、非常に世の中で注目されてきていると思うのですけれども、その歴史と共にあると思うのですが、どのようにバッテリーというものは変わってきたのか、ご説明いただけますか?

徳山
当初我々が入社したころは、車の始動用のエネルギーを発する電池ですとか、それから病院だとか水処理だとか、そういう産業系ではバックアップ、いざという時に放電をしてその役割をするというのがずっと主であったのですが、この数年、やはり世の中がどんどん、車も進化してきて、それから震災以降、自然エネルギーに対する活用の仕方、そういったところが世の中を大きく変えようとしていて、我々もそれに上手く導かれている。そういった意味では、電池に携わってきた我々としては大変嬉しい時期が来たと思っています。

内田
「伸びしろ」という意味ではすごくあるのだろうなというイメージですけれども?

徳山
そうですね。電池は、ニッカドがあり、それからニッケル水素あり、鉛あり、リチウムありなのですけども、それとNAS(ナトリウム硫黄)電池。これからは、やはり使われる、求められる、住み分けをした、そういった電池がいずれの分野でも必要になってくるのですね。

内田
様々なものが同時進行して、進化していくというイメージですか?

徳山
更に、進化したものと従来品との「組み合わせ技術」。結局、進化していったものについては、やはり弱点もあるわけですね。従来の電池は非常にタフネス性だとか、そういう良さもあるわけです。ということは、やはり使われ方によってはそういう組み合わせ技術と制御技術。これが、これからの電池を更に進化させていく。そういう思いがしますね。

内田
すごく面白い世界が待っているのですね。その中で、大手のバッテリーメーカーがあり、古河電池があり、そういう他社との競合、技術の革新の競争もあると思うのですけども、その中で、古河電池を選んでいる企業というのは、どういう理由でセレクトしているのですか?

徳山
恐らく「スペック」と「実力」。これが非常に正直な商品。

内田
耐久性?「持つ」、ということですか?

徳山
耐久性。そうですね。例えば、自動車用のバッテリーですと「ウルトラバッテリー」という、やはり非常に耐久性と充放電に強い、そういう製品は、どこに出しても引けを取らない。そういう商品だと思っています。

内田
そうしたバッテリーの進化の変遷と共に御社の歴史というのがあると思うのですが、その中で、転機となった出来事というのがあったとしたら、何ですか?

徳山
この横浜の地で創業を開始して、それからこの地域も居住地域になってくるので、栃木の日光へ行ったり、福島のいわきに工場を展開したり、発祥の地から離れていく、その一抹の寂しさと、でもこれから成長していくためにはやはり思う存分拡大をしながら、今までなかったところに工場を持っていって、その地域の人と、雇用・モノ作り、そういったことをやはり提供していく。これは、移転してみないとなかなか感じ得ないところですよね。これは非常に、もう一度電池づくりを見直すという、そういう変換点ではありましたね。

内田
いわきに出ていらした時、工場を設立していく時の最前線にいらっしゃったという?

徳山
炭鉱のボタ山を工業団地にしたところに柱を一本ずつ立てながら、並行して従業員を現地で採用しながら、常磐炭鉱が閉山していて、そういった炭鉱の鉱夫の方を従業員として引き受け、それから200海里の規制が出て、遠洋漁業、サンマ船の人達が陸に上がらざるを得ない。そういう人たちと、僕たちの様な横浜から来た、これが三位一体となって電池を作っていかなければいけないのですよね。


古河電池を支えている重要な拠点が、福島県にあるいわき事業所。1978年に横浜から移転して設立され、自動車用バッテリーの生産をベースに電極である鉛の鋳造、充電、パッケージングまで一貫して生産しています。研究開発部門も備えたマザー工場として、更なる成長に向け稼働していた矢先に起きたのが、東日本大震災。工場設備からライフラインまで大きな被害を受ける中、従業員たちはすぐに工場の復旧に向かいました。その後、助成を受けて新たな設備投資を行い、自動車用バッテリーの生産性を高める他、災害時の浄水設備やソーラーパネルによる再生可能エネルギーの推進などを進めています。こうした復興への道のりの中、古河電池は水を入れるだけで発電するという、これまでにない「電池」を開発しました。

古河電池が開発した、防災用バッテリー「MgBOX(マグボックス)」は、「非常用マグネシウム空気電池」として、水を入れるだけで発電し、電子機器などを充電できるというこれまでにないバッテリーです。長時間の保存でも性能に劣化がなく、災害用の備蓄バッテリーとしてのニーズを満たし、大きな反響を得ています。

内田
東日本大震災で、工場が大きな被害を受けたということだったのですけれども、これはどの様な状況だったのですか?

徳山
陥没はしているし、設備は倒れて、配管は曲がっている、机のものは落ちているし、天井が落ちている。そういう状況だったのですね。

内田
敢えて聞きますけども、やはり福島という土地柄、原発の事故もありました。そこで、本当に引き続き工場を持っていくのか、どうするのかという判断と言いますか、そういう様なことというのはなかったのですか?

徳山
不安はありましたけども、でも形としては残っているし、原発の影響の範囲内からも外れていて、これは我々がやらなくて誰が起業するのだ、GO(ゴー)するのだ、という。なので、何が何でもやるのだという。それはもう、すぐに決心ができましてね。

内田
それは「いわき」という土地に対する執着ですか?

徳山
それも勿論あります。でも、あのプラントがおかしくなったら、オール古河電池、皆がおかしくなってしまうのですよね。

内田
それぐらいコアな、大事なプラントであったから、会社のために何が何でも直さなければいけなかった?

徳山
そうですね。やらなきゃいけない、ということですね。

内田
そういうことで工場は再稼働するに至るということなのですけれども、一方で震災がある、それで電力供給が止まった、ということで「バッテリー」というものがある意味非常に注目された、というところだったと思うのですけど。

徳山
そうですね。この「マグボックス」というのが一つありまして。「マグネシウム空気電池」という一次電池なのですけど。これは正に震災を経験したことで出てきた商品という位置付けですね。これは紙と水で発電できるという。ですから、環境に対しても非常に優しい。子供さんが使っても害はないし、女性が扱っても害がない。シンプルではないですか。

内田
ええ。お水を入れるだけで…

徳山
それで挿せば良いのだから。そんなに難しい、化学がどうのこうのとかではなくて。

内田
やはり「通信」という部分が、電力がなくなる、充電が切れてしまうと、連絡がつかなくなる。

徳山
いざという時はやはりそういうことがないと、対応できないというのはあるのですよね。特に集会所ですとか、工場の中でも長期間の停電になったりすると、どういう通信手段を取るのか。家族にはどう連絡を着けるのか。となると、やはりこれも備えが必要。それから、水を入れるまで劣化しないので。

内田
では、ずっと保管できる、ということですね?

徳山
そうですね。軽いし。

内田
これは古河電池の発明、と言っていいのですか?

徳山
古河電池と、凸版印刷さん。紙の部分、ですね。

内田
凄いコラボレーションですね。

徳山
そうですね、コラボレーションです。やはり異業種の方とお付き合いをしていかないと出てこない発想ですね。なので、今は異業種の方とどんどん交流する様に、自分を含めて、皆には伝えているのですけどね。やはりそういうところから、マーケットに必要なものというのはいろいろ出てくるし。お知恵もいただける、ということではないかと思います。


2010年、小惑星イトカワからの帰還を果たした探査機「はやぶさ」。小惑星のサンプルを採取して地球に帰還するという、世界でも類を見ないミッションの成功の陰には、古河電池が開発した特殊なバッテリーの存在がありました。「はやぶさ」に搭載された世界初の宇宙用リチウムイオンバッテリーは、交信の途絶や、幾つかのバッテリーがダメージを受けるという困難の中、「サンプル採取容器の蓋閉め作業」などの重要な役割を果たしました。実現の背景にあるのは、50年にも及び日本の宇宙開発を支えてきた古河電池の技術開発です。

内田
「はやぶさ」のバッテリーというのが、「古河電池」のものなのですよね。これは本当に凄いと思うのですけども、どういうプロセスで搭載ということになったのですか?

徳山
JAXAの方からいろいろお話があって。従来から、宇宙関係というのはいろいろ、ニッカド電池の時代からやっていたのですけど、「リチウムで」という話とかも来て、そういうミッションの中で、重さはこのくらいにしてくれ、とかそういう中で、研究者たちが試行錯誤して造り上げてくれてめでたく打ち上げまで漕ぎ着けて。それで打ち上がって、順調にいかなくて、途中行方不明になって。

内田
途中、行方不明になりましたよね。

徳山
科学者・技術者の執念。プロジェクトの執念だと思います。これ成功に導くという、決して諦めない。やはりそこが一番学ぶべきところであったかもしれないですね。

内田
非常に高精度なものを求められるわけですよね?しかも、様々な規制・ルールがあって、この大きさで、この形でと。それがやれたという、それを古河電池にお願いする、というね。それがまず凄いのだと思うのですよ。

徳山
ありがたいことですね。

内田
何故できたのですか?

徳山
やはり、それに携わっていた技術者と、会社も理解がないといけないのですよ。ところが、会社もいつもいいわけではないので、大体、困ってくると「そんなプロジェクトに金をかけているのか」ということになりますが、そこはやはり粘り強く。技術は、そこで止めたら継承・伝承はないですから、ここはやはり、今まで培ってきた先輩たちの技術を、次の世代にちゃんと繋いでいかなくてはいけない。これは、開発としてもあるし、会社としても、やはりそこのところはよく理解していかなくてはいけないのではないかと。

内田
今、「収益性」とか「効率」ということが経営でよく言われますけども、そういうことばかり考えていると、ああいう「はやぶさプロジェクト」の様なものはなかなかできない。何故なら、すぐに利益が出て儲かって、というお仕事ではないからです。でも、それを敢えてやる。

徳山
「宇宙」というのは「夢」ではないですか。子供さんたちにしても何にしても、やはりそれは「鉄腕アトム」の時代から、将来に対する夢。子供の夢ってあるではないですか。それは、我々もきちんと繋いでいって、更に進化させていく。これから宇宙を開発して活用できるかもしれない。そういう中に携わってきたという、これは誇りにしていいのではないかと思いますね。

内田
そして、「はやぶさ2」も古河電池のバッテリーを載せて旅立った。

徳山
そうですね。これが、2020年に帰還するのですよ。オリンピックもあるし、当社の中長期ビジョンの一つの節目でもあるし。そこに是非、3つの花が咲いてくれるといいな、と思うのですよね。まぁ、恐らく咲くでしょう。



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