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神奈川ビジネスUp To Date

神奈川ビジネスUp To Date

神奈川ビジネスUp To Date

12月19日放送分
「複合機から細胞まで!?リコーが挑む新事業の今」

ゲスト
株式会社リコー
取締役 専務執行役員 佐藤邦彦さん


【プロフィール】
1956年 長野県出身
1979年 早稲田大学卒業後、リコー入社
リコー関西、リコージャパンの代表取締役を経て
2012年 リコー取締役専務執行役員に就任


1936年に感光紙技術を主事業とする「理研感光紙株式会社」として創業、複写機やFAXといったオフィス機器のリーディングカンパニーとしてグローバルに展開するリコー。その製品開発を支えているのが、「神奈川でのものづくり」です。海老名駅前の大規模な研究開発施設「リコーテクノロジーセンター」のほか、設計・製造・販売の事業所が神奈川県内に集積され、事業を支える重要な拠点になっています。

内田
リコーは、神奈川にあらゆる事業を集約してきているということなのですけども、これはどういう位置付けになっているのですか?

佐藤
このテクノロジーセンターは2005年に開設いたしましたけども、ここに約5,000名の技術研究者がおりますので、本当にリコーの核になる場所でございます。そして、1971年から開設いたしましたけど、厚木の事業所がございます。元々は複写機の主力工場だったのですけども、今は生産技術の、いわゆるマザー工場として、いろいろな自動化へのチャレンジの拠点となっています。もう一つ、実は販売サポートの拠点も13か所この県内にありますし、コールセンターというのも川崎の方に2か所ございます。そういった歴史的な背景も含めて、私たちの経営基盤の資産になるということに加えまして、やはり神奈川県というのはいろんなものづくりの企業、事業所、拠点が多く、特にこれからのヘルスケア等の最先端の企業の方達が大変多い場所だと思っています。県の方でも産業ロボットですとか、産官学連携の支援もしていただいておりますので、そういった意味で、皆さんと力を合わせてやっていくにはとても大切な場所だという風に思っております。

内田
ものづくりのリソースがとてもある場所である、と。特にリコーさんは、研究開発というところの部門に非常に投資をしている会社だ、というイメージがあるのですよね。もう、揺るぎないというか。

佐藤
そうですね。技術と営業というのは両方大事ですけど、やはりものづくりは単なる箱ではないですけど、サービスも含めた研究開発、ものを作って、ということがリコーの力の源泉であるし、もっと言うと、ニッポンの源泉はものづくりにある、という風に思っておりますから、とても研究開発というのは大切な分野だと思っています。

内田
そういう中で、今のリコーというものが置かれている業界であるとか、グローバル経済の中で、どういう位置付けにあるという風に分析されていますか?

佐藤
私どもは創業80周年を迎えました。創業の時からの強みである光学の技術だとか、いろんな複合機での画像処理技術、こういったことを強みにしまして今までやってきました。この技術をベースにした、特にオフィス向けの製品やサービスということで、世界約200か国で今、事業展開をしております。ただ、この基盤事業にしていた、特にオフィスを中心とした事業、これは働き方がどんどん変わっていきますので、この数年、そしてこれから未来に向かってリコーは今、とても大きな成長への岐路に立っている、という認識をしております。

内田
私どものイメージというと、「リコー」イコール「複合機、コピー、FAX」を産み出したという、そういうことをやってこられて、しかも世界的なシェアもかなり高い会社である。そのビジネスモデルの成功がかなり大きかったと思うのです。リースで、しっかりとお金が自動的に入ってくるという仕組みを産み出したというのは本当に素晴らしいと思うのですけども、その成功が大きいだけに、新しいものを作っていく、次の収益源を産み出していく、というところも、一つご苦労があるのかなと思うのですけども、いかがですか?

佐藤
鋭い指摘を内田さんからいただきました。不思議なもので、人も企業も、成功体験を持ちながら新しいことにチャレンジ、とはなかなか出来ない。ただ、やはりそこをいかに大事にしながら、或いはある部分は強みも捨てながら、強みを活かす部分と捨てながら…

内田
捨てる?

佐藤
はい、それも大事かな、と。今まで強みであったオフィスだけに閉じこもるのではなくて、オフィス向けのサービスを研ぎ澄ますということと同時に、働いている方はオフィスだけで働いている訳ではありませんから、やはり産業の分野、社会の分野、この辺の繋がりを作っていってあげる、という発想をすると、いろんな画像とか光学の技術がいろんな場で使われる様に、その芽は出てきておりますし、どんどん広がっていくと思っています。


リコーが新規事業として挑むのは、リコーが持つプリンティング技術や、長年、研究開発や試作で3Dプリンターを活用してきたノウハウを提供する「アディティブ・マニュファクチュアリング」というサービス。新横浜、厚木に置かれた「RICOH Rapid Fab(リコー・ラピッド・ファブ)」は、自社やパートナー企業の3Dプリンターを展示するショールームとしての役割にとどまらず、ものづくり企業からの依頼を受けて実際に出力したり、生産プロセスの改善相談に乗るなど、顧客の声を聞きながらソリューションを提案する事業を展開しています。


リコーが得意とする3Dプリンティングの技術を活かして挑むのは「ヘルスケア」分野への参入です。再生・細胞医療の実用化・産業化に向けた重要な拠点として、今年8月、川崎市殿町にオープンした「ライフイノベーションセンター」に、リコーも研究施設を設置。薬の効果実験等に使用できる細胞を作製する、「バイオ3Dプリンター」の技術開発等を研究しています。

内田
新規事業の中で力を入れていらっしゃる一つに「3Dプリンター」というものがありますが、この狙いはどういうところにありますか?

佐藤
私たちは製造業を生業にして参りました。そうすると、実際に設計するとか、製造というのは私達自身が20年、30年間、3DのCAD(キャド)の技術であったり、3Dプリンターというのは実は使いこなしています。

内田
実際、自分たちでやっていらした?

佐藤
実際、それを使って仕事をしてきました。そういう意味で言うと、「モノ」というのもあるのだけども、3Dプリンターというものをどう使ったら、設計業務から実際にものを作るという、いろんなワークフローの中のトータルなノウハウが私達の中にはある。ですから、そこら辺を実際お客様にサポートしたり、コンサルティングさせていただくことがいろんな世の中の方のものづくり、イノベーションに貢献できる。そういう風に思っております。ですから、単なる装置を造るというよりも、トータルでのものづくりイノベーションの貢献がしたい、という位置付けで考えております。

内田
なるほど。

佐藤
そういう意味で言うと、厚木と新横浜に「Rapid Fab(ラピッド ファブ)」という、お客様の声を聞く、お客様と一緒になって造形する、という場所を開設している。そこで一緒に今、お客様の声を聞きながらビジネスモデルを作り上げているという状況でございますので、この2か所以外にも関西の方とか、海外の方でもそういった場所を開設することによって、お客様と一緒にビジネスを作り上げようという段階でございます。

内田
技術的には相当優位性がリコーにはあるし、「ライフサイエンス」というところにも技術が転用できると?

佐藤
IPS細胞など、それから再生医療とか、或いは薬の効果試験といった様なことをするために、やはり細胞の組織を作るということが大事になってくるので、ここでまた3Dプリンターの技術を使って、我々は「バイオ3Dプリンター」と呼んでいますけども、そういった基礎・基盤技術の研究も、あそこの研究所では今スタートしております。そういうヘルスケアの分野というのは、一つの塊は大きくないと思いますけども、いろんなプロセスの中で出来ることが、とても可能性があるという風に思っております。

内田
「バイオ」というところに、様々な会社さんが注目していますから。その中での知恵の融合というものも?

佐藤
そうですね。これもやはり、1社では…

内田
生まれない?

佐藤
私たちの技術をどうやって活かしてもらうかという時には、当然、いろんな材料にしてもそれぞれ強みを持った方がいっぱいいらっしゃいます。川崎のライフイノベーションセンターに入らせていただいて、他の企業の方達とも強みを、ある意味で言うと、「社外の方とのオープンイノベーションの場」だということで、本当に有効活用したいという風に思っております。


リコーが進める「オープンイノベーション」の中で、これまでにない取り組みの一つが「まちづくり」への参画です。再開発が進む海老名駅前に昨年オープンした「RICOH Future House(リコー・フューチャー・ハウス)」では、「ともに成長し、みらいを創る」をコンセプトに、様々な機能を持ったスペースを提供。ビジネスをサポートするコワーキングスペース「ROLE(ロール)」のほか、小学生向けに学童保育を実施。科学体験教室も開催するなど、リコーの製品や技術をアピールしながら、地域の声を集める場としての役割を担っています。

内田
「フューチャーハウス」に行ってきましたけれども、少しリコーらしくないというか、新しいコンセプトですし、少し贅沢な空間だと思いました。どのような狙いがあるのですか?

佐藤
「フューチャーハウス」は昨年の8月に開設いたしましたが、実は約5年前に、西口の街づくりに参画をするという活動をスタートしました。そういった活動を通じながら、やはり地域の皆さんと一緒になって、ある意味お客様でもあるし、パートナーでもありますから、その中で地域の課題、社会課題を一緒になって考えることが私達の新しい事業創出にもなるな、ということを気付かされました。

内田
気付きました?

佐藤
私たちは元々オフィスを中心にやってきまして、なかなか社会とか、公共に対するソリューションを考えていなかったです。そういった活動を通した中で、その核になる場所があればいいな、ということで「フューチャーハウス」を開設しました。

内田
例えば私のイメージだと、研究開発の部門というのは閉じた世界で、いかに外部の人を入れないで、自分達の企業秘密というか技術を守るか、というところにこれまで終始してきた、という歴史が日本のメーカーの中にあると思うのです。そうした方たちが表に出てきてコミュニケーションするというのは、そう簡単ではないのかな、と現実的には思うのですけど、いかがですか?

佐藤
確かに、単純に研究者同士、技術者同士が集まったら自然と新しいものが生まれる、ということはそう簡単ではないと思っています。ただやはり、技術者と技術者を結びつけるには、キーワードは「お客様」とか「営業」という、「顧客」そのものであったり、顧客に近い人たちが技術者同士を結び付けてあげると、1+1が3になると、私は今までの経験でもそういう風に思っていますし、そういうことが出来る場にしたいと思っております。

内田
むしろ、そういう形でものづくりというのは進めないと、これからは受け入れられていかない、ということかもしれませんよね。

佐藤
はい。ですから、「作りたい」とか「売りたい」という心構えは大事ですけど、「作りたい」「売りたい」ではなくて、やはりお客様が「何を欲しがっているか」「何に困っているか」というところに謙虚になるということだと思います。

内田
これからのリコーの未来の姿なのですけども、いろいろなスクラップアンドビルドがある中で、新規事業本部長ということで重責だと思いますけども、どの様な姿をイメージされていますか?

佐藤
私たちの長年培ってきた画像処理技術、光学技術、プリンティング技術という「技術の強み」と、グローバルでの販売サポート力、そして「ものを作る」という生産技術力の強さを活かしながら、従来のオフィスに加えて、産業、そして社会・公共というマーケットを広げて、新しい事業を育てていきたいという風に思っております。実は私たち、80周年を迎えますけども、創業の精神というのがございます。それは「人を愛し、国を愛し、勤めを愛す」という「三愛精神」。これは創業者の創業の精神でございますけども、「人を愛す」というのは、「人を大切にする、人のためになることをする」。「国を愛す」とは、「地域社会に貢献する、そして日本・世界に貢献する」という意味です。そして「勤めを愛す」というのは、「一生懸命仕事をする、そして常に新しい事にチャレンジし続ける」という。そういった創業の精神を大事にしながら、やはり皆さんの社会のために、ニッポンのために、或いは世界のために価値を創り上げて、新しいビジネスを創りながら社会に貢献していきたいという風に思っております。



tvkのYouTube公式チャンネルの「見逃し配信」では取材VTRも含め、インタビュー全篇をご覧いただけます。(視聴無料です)

特徴ある製品・サービスを紹介
「ビジネスのヒゲ」

独自の技法で金属板に絵画を描き出す工房
スタジオ タチバナ(真鶴市)

12月12日放送分
「昔ながらの手作りに拘る酒造会社の今とこれから」

ゲスト
泉橋酒造株式会社
代表取締役 橋場友一さん


【プロフィール】
1968年 海老名市出身
1992年 慶應義塾大学卒業後、証券会社勤務を経て、1995年に家業の泉橋酒造入社
2008年 代表取締役に就任


相模川のほど近く、田んぼに囲まれた中にある「泉橋酒造」は、1857年(安政4年)に創業。150年以上の歴史を持ち、神奈川県内に現在13ある酒造会社・蔵元の一つです。大手の日本酒メーカーが機械化を進める中、昔ながらの「手作り」の酒造りを行い、日本酒ファン、飲食店から高い評価を受けています。

内田
泉橋さんは、昔ながらの作り方に非常にこだわっているということなのですけれども、今の製造状況というのを教えていただけますか。

橋場
うちでは、地元のお米を大体130トンから140トンくらい使って、一升瓶換算で約10万本、1000石くらいで、全部純米酒を造っています。あと一部、海老名のいちごと、小田原の梅を使ったリキュールも少し造っているのと、少しだけお味噌を造っている、という状態です。

内田
造り方というのも、自分たちの造り方にこだわりがあるということなのですけど、これは?

橋場
日本にはたくさん酒蔵がありますけども、神奈川のこの海老名という場所で、地元のお水、それから地元でとれたお米を使って、なるべく手作りで昔ながらの自然な方法で酒を造る、ということを一番に考えてやっています。

内田
地元のものを使う、手作りでやる、ということで、何が変わっていくものなのですか?

橋場
酒造りですので、米を使いますよね?(米は)貯蔵も可能で、移動も可能ですから、あちこちのお米を持ってきて造ることも実は可能なのです。ただ、これからの時代というのはお酒もいっぱいありますよね。それでどのお酒を飲もうか、とかお客さんがいろいろ考える中で、できたお酒は買われるお客様のものですから、お客さんが自分のライフスタイルというか、生き方に合った様な、地元のお水でお米から作っていて、造り方も自然な、意味のある昔ながらの手作りでやっている。そういったお酒を提供して、お客さんがそういうものを飲んでいるのを良しとする。そういった深いところというか、ただ酔えば良いのではなくて、文化的な物語性みたいなものがすごく大事かな、と思っています。

内田
非常に手間暇がかかる作り方を、あえて選んでいらっしゃる。もう少し効率よくやれば、コストも下がるのだろうという風に想像するのですけども?

橋場
例えばお酒を絞るところで、酒袋にもろみを一個一個入れて積んで…

内田
それを押さえて、自然に造っていますよね。

橋場
あの機械は「舟」と言うのですけど、自動で絞る機械も実は持っているのです。持っているのですけど、うちの会社としては、自動の機械というのはフィルターの目が細かくて、空気圧でギュッと絞っている感じなのですね。それに対して、酒袋というのは袋で目が粗いので、最初はバーッとお酒が抜けるのですよ。それですぐに、袋の目が詰まってしまうのですね。そうすると、今度はもろみが袋の中で自分で濾過層を作って、お酒がもろみの中を通って絞れるのです。

内田
じわじわ出てくると。完全に味は変わる訳ですか?

橋場
違うのです。特にうちみたいに辛口のお酒を造っていると、絞り方が違うと味が違うことがもう分かっているので。

内田
コストとか採算とかの考え方というのは、酒蔵において、「本当にいいものを、正直なものを作るのだ」というところにおいては、あまり重要ではない?

橋場
うち自体は、米から農家さんと一緒に作っていますが、その米は決して安い訳ではないので、安い酒は造れないのですよ。

内田
原価から考えていくと?

橋場
そうです。会社が生きて、息をしているだけで、最低これ以上の値段でないといけない、というのがありまして。経済的なお酒というのは、実は一つも造っていないのですね。

内田
この体制は変えない?

橋場
設備投資もすごくお金がかかるのですけど、とにかく、あるものはどんどん再投資して設備を整えて、なるべく大事なところを手作りでやるために、機械でまかなえるところは機械を入れつつ。肝心なところを手作りでやれる様に、という風にしていますね。


泉橋酒造の一番の特徴は、自社で酒米を栽培する「栽培醸造蔵」であること。1996年から自社で酒米の栽培をスタートし、現在は「さがみ酒米研究会」と共同して、およそ42haの田んぼで5種類の酒米を生産しています。神奈川県でも産地指定銘柄に指定されている酒米「山田錦」は、そのほとんどが泉橋酒造と「さがみ酒米研究会」で生産されています。2006年には自社で精米機を導入し、「酒造りは米作りから」という姿勢にこだわりを持っています。

内田
こちらは「栽培醸造蔵」と言って、自分のところで酒米を作っている、ということなのですけども。この理由は何ですか?

橋場
一番は、この地域の歴史がある農地から出来たお米でお酒を造る、まず地酒であるということが一つですよね。それが第一番。もう一つは技術的なところで、地元で、目の見えるところで農業をやることによって、その年その年で気候が変わったりとか、天候の関係でなるべくいいお米を安定的に作るため。それから農薬をなるべく減らすため。そういったところは、結局農家さん任せではなくて、自らもしくは農家さんと一緒にやっていく、というところですね。

内田
でも、契約農家さんにお願いして、ということでも、ある意味地元のお米を使うということは叶うわけではないですか。敢えて自分がやる、というところはどういうメリットがあるのですか?

橋場
いいお酒を造るために、表には見えないところまできちんとやる、というところが、一つの自分達の酒蔵としての仕事の一つだと思っているので。農家さんとも一緒にやっているのですけど、農家さんに単に任せているのではなくて、農家さんと一緒に酒米研究会を作って、実は一体なのですね。常に一緒に、どれだけ植えるか、どういう栽培方法でやるか、それから夏場の田植えのお米の消毒から一緒に、農薬を使わないで消毒したり、毎年同じ時期にきちんと田んぼを見て成長具合とかを分析をしているので。それから土壌分析とかも全部やっていますので、実はものすごい蓄積があって、安定的にきちんとしたお米が作れる様になっていますね。

内田
逐一データを取る、いつ植えたのかとか、水温であるとか、そういうことも含めてですか?

橋場
そうですね。それと、育っている時の丈の長さとか、穂の長さ、その時その時の肥料がどれだけ効いている、効いていないとか、どれだけ分蘖して、数が増えている、増えていないとか。

内田
そこまで徹底してやらないと。やりたいのですか?

橋場
最終的に飲んでくれるのはお客様ですので、お客様が良しとしてくれれば、またいい方向になりますので。今のところは回っている。より上を目指してやっていきたいという風に思っています。

内田
酒造りは農業と一体である、ということなのですけども、一方で農業を見ると、日本の米作りというのは非常に厳しい状況に置かれていると思うのです。そういう中で、地域の米農家さんと一緒に仕事をやっていくというのは、どの様な意味があるのでしょうか?

橋場
20年くらい前なのですけど、米作りを始めた時に、「うちは地元のお米でやっていきたい」というところで、農家さんたち、実際は自分が入った消防団の先輩からなのですけど、仲間を集めてもらったのですが、農家さんたちも酒米を作ったことがあったわけではなく、初めての事業で。結果的に、うちも新しい取り組みをやって、農家さんたちも、酒米を作っていくという、新しい一つの取組みというか、事業だったと思います。それにお互い一緒に取り組んでいった、というのが正解で、単に農家さんが作っていたものを酒米に変えたわけではなくて、新たにやっていった感じですね。もう一つは、全国的にそうですけども、田んぼが空いてきますよね、農家さんで辞める人が結構いらっしゃいますから。実はうちの会社も、一緒にやっている農家さんたちも、いろいろな事情があって耕すのを止められる農家さんから借りて、拡大していっているのですね。なので、うちも含めて、皆さん完全に新規の事業として取り組んできている。農家さんたちもチャレンジをしていると思います。

内田
最初のきっかけが消防団の先輩で、自分たちは酒米が欲しいから、是非一緒にやりましょう、というお話をされたわけですよね?その時の反応というのはどういう感じだったのですか?

橋場
結果的には一緒にやってくれたのですけど、後で分かったのですが、うちの親父が「頼むよ」って言っていたみたいです。うちの親父が消防団の頼んだ人の先輩だったので。

内田
そうだったのですか。今はどうですか?

橋場
今は完全に「運命共同体」ですよね。夏場の天候次第で、収量が獲れる年もあれば、少ない年もあったりして。それによって、うちの仕入れ分も、農家さんの収入も変わるし。天候との戦い、ですね。


今年の秋に収穫された酒米から作った新酒ができあがり、出荷が始まっています。これから4月末まで仕込みが続きます。

内田
今年仕込んだ新酒が出来上がったばかりということで、出来栄えはどうですか?

橋場
スタートで出来たお酒は、全体的にキレイな、爽やかな感じが多いです。

内田
それは、毎年そういう感じなのですか?

橋場
年によっては、お米がすごく柔らかくて味が出る年とか、出ない年とか。今年は今のところ程よい感じの味の乗り方で、とりあえずスタートしてまずまずかな、といった感じです。

内田
(仕込みは)秋口から春先の本当に冬中心、という風に決めていらっしゃるのですね?

橋場
そうですね。やはり農業を夏場はしなくてはなりませんので。ですから逆を言うと、長い期間酒を造るのが不可能なので、とにかく、米が獲れた頃から次の田植えが始まるまでの間に酒造りは完結しなければならない、というのはあります。

内田
何かいいですね、自然で。自然と共にある、という感じがします。蔵も拝見したのですけれども、随分若い方たちが働いていますね?

橋場
昔は季節雇用で来られる方たちがメインでお酒を造っていただいていたのですけど、段々そういう人たちも減っていく中、自分も酒蔵に入ったり。それから、学校を卒業して「酒を造りたい」という人たちが結構いまして。

内田
そうですか。

橋場
大学から「酒を造るんだ」という風に決めていて。そういう人たちに、逆指名みたいな感じですよね。「僕はこれだけ酒を造るつもりでやってきて、泉橋に入りたい」みたいな。

内田
今、20代というのは酒離れと言われますけど、きちんと一定層「好きだ」という人たちがいるというのは、安心しますね。

橋場
そうですね。そういう人たちにとって、仕事場として、蔵が米からやっているとか、そこに自分たちが携わるとか、手作りの要素が多い蔵で、自分たちが考えながら手作りでやっていくというのは、楽しくないといけないのだろうな、というのはすごく思っています。

内田
今、他に力を入れていることはありますか?

橋場
農業の部分というか、製品なのですけど、中心で作っているのが「山田錦」というお酒用のお米なのですが、うちも含め、一緒にやっている農家さんも、少し栽培量的に上限に達しているのですよ。大体2週間くらいの間に稲刈りを終えなければいけない。刈る時期があるので。葡萄とかと一緒ですよ、「今、刈る」というのがあるのです。それが大体2週間くらいなので。

内田
2週間で刈れる量ではないとダメなのですね?

橋場
品質が悪くなる、ということです。農家さん達とも一緒に話してやっていて、山田錦は「奥手」といって、10月半ば収穫なのです。ですから、それより前に収穫できる品種であれば作れますよね。それで、今「楽風舞」という、日本でまだ本当に出来たばかりの新しい酒米をいち早く取り入れて、今やっています。あと、今年の7月からレストランを始めたのですよね。地元の農産物とうちのお酒を味わってもらえる場所が欲しい、というのが一つと、いろいろお客さんも来られますから、デモンストレーションで見せる場所、というのが一つと。うちのお酒はいろんな飲食店さんや居酒屋さんやレストランさんで使っていただいていますので、お酒を造る時に、食事との相性を、レストランを持っていれば自分で研究出来ますよね?そういう意味で、うちの酒をよりブラッシュアップしていいものにしていくために、レストランでお客さんと一緒にサービスしながらやることによって得られた、学習したものを酒造りに活かしたいな、と思っていますね。

内田
これから泉橋酒造がどの様な会社になっていくのかという、その未来の姿を聞きたいのですけど。

橋場
田んぼとか、農業とか、自然の気候風土とかありますよね、地元の。それは、預かっているものなのですよね。たまたま今、僕がこの時代で今預かっているだけで。次の世代のために、地元の気候風土を預かれる会社でありたいな、という風に思っています。

内田
次世代にしっかり繋いでいくためには、何が大切ですか?

橋場
一つはやはり、きれいな環境が地元にある、そういう環境を守っていく、ということが一つと、やはりもう一つはお酒がきちんと売れるというか、(お酒は)最終形態の商品ですよね、基本的には。完成体の商品ですから、それをきちんと理解して買ってもらえることによって、農業が回る、という風になっていますので。そこはやはり努力を惜しまずやるべきだな、という風に思っています。



tvkのYouTube公式チャンネルの「見逃し配信」では取材VTRも含め、インタビュー全篇をご覧いただけます。(視聴無料です)

特徴ある製品・サービスを紹介
「ビジネスのヒゲ」

高山植物用の植木鉢を独自に開発した企業
湘南テラコッタ工房(平塚市)

12月5日放送分
「名物・シウマイ弁当に隠された崎陽軒の伝統と革新」

ゲスト
株式会社崎陽軒
取締役社長 野並直文さん


【プロフィール】
949年 横浜市出身
1971年 慶應義塾大学卒業後、崎陽軒入社
取締役、専務取締役を経て、1991年 取締役社長に就任
横浜商工会議所・副会頭、日本鉄道構内営業中央会・会長 兼任


1908年、横浜駅構内の売店としてスタートした「崎陽軒」は、1928年に冷めても美味しい「シウマイ」を完成させ、横浜名物として大きく発展しました。その「シウマイ」を使用したもう一つの名物が、1954年に誕生した「シウマイ弁当」。経木の折には、シウマイを中心としたおかずがぎっしり。誰もが食べ方にこだわりを持っていると言われるほど、多くのファンをひきつけています。

内田
横浜を代表する企業と言えば、「崎陽軒」さん、ということでお待ちしておりました、という感じなのですけれども…

野並
ありがとうございます。

内田
野並社長から見て、「横浜経済」、「横浜という都市」をどの様にご覧になっているのでしょうか?

野並
横浜というのは、非常に歴史の浅い町なのですね。その一つの例が、神奈川県の県庁所在地であるにも関わらず、まともなお城がない。ということはやはり、歴史がないからお城がない。ですから、崎陽軒の歴史を辿ってみても、「歴史がない」ということについて非常に、先輩たちが苦労した部分があるのです。どういうことで苦労したのかと言うと、最初は崎陽軒という会社は普通の駅弁屋だったのですね。

内田
はい。

野並
ところが東京駅に近すぎるので、皆さん東京駅で駅弁を買って、まだ横浜駅を通過する時はまだ食べている最中。逆に大阪の方から上ってくる人は、あと30分で東京駅へ着く、というところで今更「弁当買って食べよう」という人はいないので、お弁当の売り上げがなかなか上がらなかった。そこで、どうしたら売り上げが上がるかというヒントになったのが、小田原に聞きますと、名産品の蒲鉾がよく売れている。静岡に聞くとわさび漬けがよく売れている、ということにヒントを得て「では横浜の名産品を売ろうではないか」と。当然そう考えたわけですけれども、先ほど申し上げました様に、横浜というのは歴史の浅い町で文化がない。文化がないということは名産品もない、ということですね。「では、ないのなら作ってしまおう」と。

内田
「作ってしまえ」と?

野並
そうですね。そこで当時の南京町、今の中華街ですよね。そこへ行くと、中華料理屋が2軒くらいあったそうです。

内田
2軒ですか?

野並
当時はそんなものだったらしいですね。それで、そこへ行くとシュウマイが突き出しに出されている。「ではそのシュウマイを折詰にして売ろう」ということになったのですが、シュウマイというのは豚肉料理ですから、冷めると不味いのですよ。独特の臭みが出ますからね。では、冷めてもおいしいシュウマイを作らなければいけない、ということで、当時「呉遇孫(ゴ・グウソン)」という中国人のコックさんに来てもらって出来上がったのが、ホタテ貝柱と豚肉を混ぜて作った「シウマイ」。これだと冷めても美味しい、ということで、それを売り出したのが昭和3年なのですね。

内田
昭和3年。

野並
ですから、そういった意味で横浜というのは食文化のない町であると共に、やはり開港によって国際性があるので、今の中華街、当時の南京町に中国人のコックさんがいたりという様なことが、崎陽軒の今日の発展の一つの礎になったという縁でもあるのですね。

内田
それからは、やはりずっと右肩上がりですか?

野並
もう、ほとんど右肩上がりですね。

内田
これだけロングセラーで、ずっと支持を受け続けるお弁当というのは、なかなか見当たらないですよね?

野並
そうかもしれないですよね。

内田
ずっと人気を持ち続けていて、しっかりとコストパフォーマンスというか、「いいもの」を「安く」提供するというのは、それだけ企業側が取る利益を抑えていく、ということにも繋がってくると思うのですけども、やはりそういう意味では、きちんとお客様に「いいもの」を提供する、という気持ちでやっていらっしゃるのですか?

野並
そうですね。どこにお金をかけていくかとか、どうやって安くするか、という中で、崎陽軒の営業の最大の特徴は「坪効率」がいいのですよ。いろいろなお店を出しますよね。それでうちのお店というのは間口一軒。

内田
確かにコンパクトですよね。

野並
最近は結構大型のお店が多いですけども、最低、この間口さえあれば商売が出来てしまうのですよ。

内田
なるほど。

野並
この間口で月に1000万円以上売るお店が、沢山あるのですね。それだけ坪効率が良くて。

内田
すごく効率いいですね。

野並
なので、いろんなショッピングセンターの中で、ほとんどが坪効率では崎陽軒が一番、という世界なのですね。

内田
なるほど。なので、あれだけぎゅっと凝縮された内容があれだけの値段で提供できていると。

野並
非常に、いろいろな意味で効率がいい訳です。なので、それだけ安く販売することが出来る。


横浜市都筑区にある横浜工場では、1日におよそ80万個のシウマイを生産。一方、現在1日におよそ2万1000食が販売され、売れ行きが増加する一方の「シウマイ弁当」を作っているのは、横浜駅東口にある本社工場と東京工場の2箇所のみ。そうした中、崎陽軒は横浜工場の生産設備増設を発表。およそ15億円を投資し、1日最大1万8,000食の生産能力を持つ新工場です。

内田
新工場の増設、ということで、1日最大1万8,000個が作れる。このご時世で新工場を作るというのは、すごいことだと思うのですけれども。

野並
去年からとても間に合わなくなってきたということで、現場の方からも何とかしてくれ、という声もあって。では工場を作ろうではないか、という計画を立てて、今まで、お客様へも品切れでご迷惑をかける部分が結構あったのかな、という風に思うのですけども。

内田
「売り切れました」という札がよくありますものね。

野並
ええ、申し訳ございません。

内田
すごいと思いつつ、もっと作れば売れるのではないか、とも思いつつ。

野並
「作れば売れる」というのが随分あったのですけど、チャンスを逃してきたのですよね。新しい工場が出来て生産能力が上がれば、そういうこともなくなるのかな、と思うのですけどね。

内田
「足りない」という様なことは、きっと今に始まったことではない様な気がするのですよね。でもここへ来て、「工場を作ろう」という風に決断された。これは何だったのですか?

野並
不安はもちろんありますよね。いずれ、横浜市の人口も少なくなってくる。そうすると、当然胃袋の数も減ってくるわけですから。その中で更に弁当の増産をする新しい工場を作ってどうなるのだ?というのはあるわけなのですけども、売れていて生産能力が足りない、という現実があるので、やはりこれは何とかしなくていけないだろうと。

内田
なぜ今、こんなに生産が間に合わないくらいにシウマイが売れているのか。ここはどの様に分析されていますか?

野並
正直なところ、よく分からない。自分なりには、「品質に裏付けられたブランド価値の向上が現在の売り上げの伸長に結びついているのだ」という様な言い方をしているのですけども、本当なのかな?と。ブランドというのは一つのイメージですから、一つの流行りというものもあるかもしれない。今はこういうものが売れている、今はこういうものが売れている。ところが、「品質に裏付けられた」ということになると、非常に強いのですよ。やはり、いつ行ってもあの味、いつ行っても変わらないあれが入っている、という信頼感の中にある「ブランド」ですから、そういった意味で非常に根強いものがあると。

内田
ロングセラーの商品というのは「ずっと変わらぬ味」だと。「伝統を守って」ということが言葉としてよく言われるわけです。でも実態として取材をして聞くと、世の中の時代の変化であるとか、消費者の方の舌の変化に合わせて、若干味を少しずつ変えているのだ、という様なことをおっしゃる経営者の方もいらっしゃるのですけど、崎陽軒のシウマイに関してはどうですか?

野並
それは、味は変えてはいけないのですよ。

内田
これは、変えない?

野並
変えない。やはり、経営で難しいのは「何を変えて」「何を変えないのか」。それを見分けるのが非常に難しい訳なのですよね。その中で、シウマイ弁当というのは、これは完成されたものですから、これは変えてはいけない。今まで、シウマイ弁当でも変えて失敗したことがいろいろあるのですよ。

内田
いろいろされたのですか?

野並
タケノコをエビフライに変えたら、全然、非難轟々でね、元に戻したりだとか。それから、あんずが入っていますよね。あんずをチェリーに変えたりしたこともあったのですよ。デザートだから、チェリーの方が美味しいのではないかと。これがまた評判が悪くて、すぐあんずに戻しましたけどね。

内田
完成しているのですか。

野並
完成したものですから、これはもう変えない。むしろ、「変えない努力」をものすごくしなければならない。例えば、お弁当箱が経木の折りに入れていますけども、経木の折りに入れるというあのこだわりは、絶対変えない様にしているのですね。あれが非常に上手く出来ているのは、材質はエゾ松なのですよ。ところがよく見ていただくと、同じ材質なのに、シウマイ弁当の底板とふたの木目が違うのですよ。何で違うのかと言うと、底板の方は、これが松だとすると、こういう風に(縦に)切っているのですね。それでふたの方は、大根のかつら剥きの様に(円周を)スライス、剥いているのですね。


チームの強化に欠かせない、ブースター拡大と地元との信頼関係。「ビーコル」との接点を増やすため、地元のイベントや学校などに積極的に関わり、身近な存在としてのアピールを重ねています。更に、他球団に先駆けて取り組むのは、独自の「スポーツイノベーション構想」。レンタルコート等の整備、プロ選手やチアリーダーを支える身体運動・健康管理等の高度なノウハウを事業化し、地元に還元していく構想です。

野並
底板というのは、お醤油をかけた時に、滲みだすと洋服を汚したりするので、滲みださないためにはそういう切り方がいい。ところがふたの方は、温かいご飯をそのまま入れますから、その余分な蒸気を逃がしていく、と。そのためには通気性のあるふた、ということで、こういう剥き方。同じエゾ松を使っても、木目の違うものが底板とふたとである。非常に、そういった意味で上手く出来ているのですね。

内田
考えられているのですね。

野並
こういうのは、変えてはいけないのでしょうね。


日本全国から特徴的な店舗が集まる東京駅の駅地下。11月に崎陽軒が新たに出店したのが「シウマイBAR(バル)」。売店と併せて、できたてのシウマイや食事、お酒が味わえる、イートインのスペースを設置し、全ての種類のシウマイを楽しめるメニューを用意。更に、あのシウマイ弁当の筍や鮪などもおつまみにいただけるなど、東京駅の新たなグルメスポットとして注目されています。

内田
東京駅の「シウマイBAR(バル)」。行ってきましたけども。

野並
ありがとうございます。

内田
これは、なぜ東京駅に出店を決めたのですか?

野並
今まで、東京駅でシウマイにしてもお弁当にしても随分売らせていただいたのですが、自前のお店というのが一つもなかったのですね。今回初めて、「こういう場所があるのだけどもやってみないか?」と言われて、「それは是非やらせてください」ということで、出店させていただくことになったのですね。

内田
自前のお店を東京駅に持つというのは、ずっと念願叶って、ということだったのですか?

野並
ある意味夢だったのですよね。

内田
「出店しませんか?」と声がかかって、どのようなコンセプトを思い浮かべたのですか?

野並
そこのコーナーというのは、いろんな地方のご当地ブランドを集めたコーナーなのですね。ある意味、何と言うか、ローカルブランド同士の甲子園。

内田
甲子園出場、という感じですね。

野並
甲子園へ行くと、それぞれの地域から代表校が来て、そういう中で「横浜の代表選手としてやらないか?」と言われて、「これは頑張らなければ」と。そういうことで、他の店に負けない様に頑張りたいと思っているのですけどね。

内田
野並社長が「新しく何かチャレンジしたい」ということはありますか?

野並
崎陽軒は明治41年創業以来、108年という年月が経ちましたけども、先輩たちがいろいろなご苦労をされて、今日の発展に結びついてきている。そういう中で、伝統というものは大事にしていけなければいけない、という風に思っているのですけども、「横浜には名物がない、名産品がない、ないなら作ってしまえ」ということでシウマイを生み出した。やはり、我々も新たな横浜名物というものを作っていきたい。これが夢なのですね。

内田
シウマイとはまた違う、横浜名物を作りたい?

野並
言葉で言うのは簡単なのですけどね。難しいのですよ。「シウマイ」というのがものすごく、ヒット商品どころか、満塁逆転ホームランみたいなものすごい商品ですよ。それと同じ様なものはなかなか残念ながら出来ない。そういう意味で、バントヒットくらいできないかな、と思っているのですけどね。

内田
日々、社長は考えていらっしゃる?

野並
いやいや、優秀な若い人が沢山いますのでね。そういう連中が、柔らかい頭で考えていますよ。ですから、やはり「チャレンジ精神」というものを会社の社風として持っているということが大事で。「多少の失敗はもう目をつぶろう」と。「絶対これがいい、と思ったことはどんどん行け」と。

内田
いいですね、社員の方が皆チャレンジできる会社。

野並
だからビジネスというのは面白いのですよ。



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