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神奈川ビジネスUp To Date

神奈川ビジネスUp To Date

神奈川ビジネスUp To Date

3月19日放送
ものづくりの構造に革新 設備産業の注目ベンチャー

ゲスト
アペルザ
代表取締役社長 兼 CEO     石原誠さん


日本の基幹産業である製造業。中でも根底を支えるのは約23兆円とも言われる設備産業だ。ものづくりに必要なセンサー、モーターなどの膨大な種類が存在する「生産材」。この「生産材」の組み合わせ・活用によって工場や生産現場は大きな価値を生み出している。横浜市のアペルザはこの巨大市場にインターネットの力で革新。ものづくりのプラットフォームを見据えた事業モデルについて、創業者の石原誠CEOは「製造業のアマゾンを目指す」と語る。今後への期待が高まるアペルザのビジョンと組織に迫る。



内田
石原社長は「製造業に革命を起こす」ということで、アペルザを立ち上げた。今、日本の製造業は、インターネットを使っていろいろな素晴らしい技術を伝えるということが遅れている。そこを手伝いたい?

石原
その通りです。

内田
石原社長から見て、日本の製造業の素晴らしさ、特に注目されているのは「生産材」のところだと思うのですけども、これはどんな風景として見えているのですか?

石原
製造業の中でも我々は「設備産業」といわれるところにまず注目しています。日本には大体40万事業所、相当数の工場があるのですけども、この40万事業所の工場の設備を誰が作っているかと言いますと、工場の中で働いている人ではないのですね。工場の方々はその設備を社外に発注していて、その設備を作る会社があるわけですけども、つまりその40万事業所の裏には「設備を作る」という一大産業がありまして、この領域に関しては日本がまだまだ世界の中でも強いという風に見ています。

内田
例えば食品であるとか、エレクトロニクスの機械というものが日々量産されているわけで、その量産するための設備を専門的に作る人たち、ものづくりの現場を作る人たちに目を付けている。いろいろな設備を作っている人たちがお客さんとしてのターゲットであって、このお客さんたちが必要としているのは「生産材」であると?

石原
そうですね、「部品の生産材」のことですね。

内田
それでこの人たちと生産材を作るメーカーを繋げようと。

石原
基本的にメーカーさんは自社で営業組織を持って、直接そういった設備を作るような会社に営業をかけるわけではなくて、販売店さんですとか、商社さんですとか、代理店さんみたいな方々が間に入るのが一般的なんですね。全国に工場はありますが、全国にそういった商社さんもいらっしゃって、販売ネットワークを使ってメーカーさんは自社の商品をお届けするのが今までの流れだった。

内田
ですが、これからは違うのではないか、という問題提起ですね。

石原
今の時代はこの製造業の設備領域でも変化のスピードが早い。その設備を使う側のニーズが日々変わっていきます。このスピーディーに変わるニーズにメーカーが応えていかなければならないのですけれども、間に入る企業さんがいらっしゃいますと、なかなかこの声が届く速度であるとか、自分たちがついていくスピードに欠けるものがありますので、合理的に、いわゆる「ヘルシーな市場」にしていく必要があると思っています。

内田
アペルザのサイトにその商品を載せてもらうだけで、広くユーザーに繋がれるということ?

石原
はい、その通りです。生産材の部品というのは、ものすごくたくさんのものがあるのですが、これを整理してきた人があまりいなかった。例えば一口に「モーター」といってもいろいろなモーターがあります。このデータベースを誰かが作らなければ探す側は大変なわけで、それを我々が今やっているという。

内田
改めてお伺いしたいのは、それをアペルザがやることによって、誰が得をして、日本の製造業はどういう風になっていくのですか?

石原
売り手と買い手の両方に分けてお話をしていきますと、買い手にとっては「ものを選ぶ」という大変な業務、ある調査によりますと、そういう装置とか設備を設計する方の60%の時間は「もの探し」と言われていますので、この業務の生産性を一気に上げることができる。一方で売り手にとっては、日々刻々と変わるユーザーのニーズにダイレクトにアプローチし、自社の製品開発ですとか、販売戦略のお役に立てるという風に思っています。

内田
敢えてお伺いするのですけど、今までは限られた狭い世界の中でものを取引していたという世界で、けれども全てアペルザのサイトで「見える化」され、価格もオープンになり、良い製品が他にもあるということがわかってしまうと、非常に厳しい競争にさらされるんじゃないかという。

石原
ご指摘の通りだと思っています。短期的には、今までは比較検討されなかったものが明らかになってしまいますので、痛みは伴うものだという風に私は思いますが、ただこれを長期的に見ますと、そのメーカーさんにとっては、かけがえがない強みが養われていくんじゃないかという風に思っていまして。痛みを伴いながらも、自社の成長に必要なものを避けて通れないという時代になってきているので、嫌われ者になるかもしれないですけど、我々がやっていけば日本の製造業全体の成長が期待できるんじゃないかと思っています。


2016年7月に設立したアペルザ。製造業向けのカタログポータルサイト「Aperza Catalog」、工業用資材の価格検索サイト「Aperza」、「ものづくりニュース」、「オートメーション新聞」など、製造業に特化したインターネットサービスを提供している。ミッションに掲げるのは「ものづくりの産業構造をリデザインする」。膨大な数の生産材をまとめ、プラットフォームにすることで、ものづくりにおける「情報流通」「取引のあり方」「コミュニケーション」の変革をもたらそうとしている

内田
運営されているのが「価格検索サイト」と「カタログポータルサイト」ということで、今7000社ほど掲載されているということですけども、これはどういうビジネススキームなのですか?

石原
我々のサービスは大きく分けますと3種類に分かれます。これは購買側、買い手側の方の業務プロセスに応じてサービスを組み立てているからですけども、購買プロセスを大きく分けますと3つの段階、まず第1段目に情報を集めるという「情報収集」をして、その次に「比較検討」、最終的に「調達購買」するという3つのステップに分けて業務が進んでいます。例えば情報収集に必要なものといいますとメディアですね。そういった情報を掲載するようなメディアが必要になりますので、我々は「オートメーション新聞」という、これは経営統合して今一緒にやっているこの道40年ほどの歴史があるような新聞社で、ここでまず情報をご提供しています。2つ目のステップ「比較検討」でカタログのサービスが出てまいります。ものを選ぶ時に技術者の方がスペックをカタログでチェックして、「今回これが使えるぞ」とか、「今回はこちらの方がいいんじゃないか」という選定に必要なカタログを集めているのが、カタログのデータベースになっております。

内田
凄まじい数じゃないですか。何万もあるくらい。

石原
今7000社のメーカーさんを収録させていただいておりまして、これは地道に営業して集めてきた数なんです。そして3段階目というのが、先ほど「調達購買」と申し上げましたが、この業界では最終的にこれを買おうというものが決まった後も、相見積もりを取ってどこから買おうか、というのが商習慣として根付いているわけですけど、こういった相見積機能さながらの価格比較サイトをやっているんです。

内田
これが今7000社。目標としては何社ぐらいを?

石原
日本には8万社の生産材部品メーカーがあると言われていますので。

内田
8万社もあるんですか。製品でいうともっとですよね?

石原
もう気が遠くなるような、本当に星の数ほどありますので。

内田
それを全部、取りにいく?

石原
そうですね、願わくば。

内田
本当に「日本の製造業を応援する」という、理にかなっているビジネスだと思って感心するのですけども、その一方で、それをアペルザが全部やるということになると、今まで機能していた代理店、商社、卸しという人たちは、「何か勝手にアペルザがやってるぞ」ということで、ざわつくというところはありますよね?

石原
我々、商社さんとか、いわゆるミドルマンの方々を否定しているわけではないのです。もちろん、商社さんが今もなお、市場で必要とされる機能を提供していますので、例えば在庫はメーカーさんが持たずに商社さんが持ったりとか、あるいはファイナンスのファンクションになったりとか、そういった機能は今後も必要になってまいります。変化のスピードが早い市場を作っていくというのがテーマになってきますので、検索に必要な情報材料を集めていくためには、今の商社さんの方が圧倒的にその辺詳しいので、一緒に組んでやっていきたいと思っています。

内田
もう一つ聞きたいのは、メーカーが今まで商社、代理店とうまく関係を作ってきて、在庫を持ってもらったり、自分たちの代わりにどんどんものを売ってもらったりということで、持ちつ持たれつの関係があったわけじゃないですか。そういう人たちがいるのに、自分たちの製品をアペルザのところでどんどん売ってもらおう、eコマースの方に行くというのは、メーカーに葛藤はないのですか?

石原
3月にeコマースのサービスを新しく出したのですが、いわゆる「マーケットプレイス型」でサービスを作ったんです。これは楽天さんをお手本にして作っておりまして、我々自身が直接ものを仕入れて販売するというスタイルではなくて、あくまでeコマースのプラットホームをご提供し、そのプラットホーム上に商社さんですとか、代理店さんをお招きして、一緒にネットで販売をするような、そういう時代を作っていこうという試みなんです。

内田
そのプラットホームを構築するにあたって、アペルザとして、「ここは絶対に守っていく、外さない」という、貫いていくものは何ですか?

石原
一つ、とても大切にしていることがあるのですが、「フェアであること」です。我々のサービスというのはやはり中立的に運営されているからこそ市場で必要とされると理解しておりまして、我々自身の成長とか売り上げですとか、そういったものにこだわり始めてしまいますと、どうしても自分たちの都合のいいことをやり始めていくと思うんですね。そういったサービスというのは、世の中というか、市場から受け入れられないと自分たちの首を絞めることになっていくので、我々は少し先を見て、よく社内では「半世紀視点」ということを言っているのですけども、50年100年先を見て、そこでも必要とされ続けるような、そういうサービスを作る、そういう意気込みで、うちの社員はここに集まってきているんだという風に考えています。


アペルザが本社を構えるのは、横浜市中区の山下公園からほど近いオフィスビル。創業の地に横浜を選んだ理由とは。

内田
横浜で製造業のベンチャーっていうのは非常に珍しいですよね?

石原
ベンチャーの数そのものがそんなに多くないですよね。

内田
横浜に本社を構えた理由というのは何だったのですか?

石原
私どものこの「アパルザ」という会社の社名、これは英語のオープン、これの語源になったラテン語でアペルトという単語があるのですけども、つまり製造業をオープンにしたいという思いを込めて会社名を決めたんです。それでいろいろ考えた時に、「そういえば日本が開港した時、どこから開港したんだっけ」というのを考えた時に横浜の港が。

内田
そうですね。

石原
それで港の近くのオフィスビルを探しに行ったら、抜群に良いロケーションだったので、もう一発で気に入ってしまって決めたんです。ただ一番決め手になったのは、私の心の中ではですね、横浜の雰囲気だけじゃなくて、これから我々が大きくなって、それこそ世界で名だたる企業と戦っていくためには、実は東京のゴミゴミしたビル群の中で働いている環境よりも、横浜でのびのびと働ける環境の方がグローバルで戦っていくという環境にフィットするのかなという風に思っています。

内田
非常にセンスがいいなと思いますよね。立ち上げて2年という短期間でここまで急激に成長している理由は何だと思いますか?

石原
このスピードをどう担保できたかというお話をさせていただくと、先ほど申し上げたような「オープンにする」というのが実はキーワードだったのかなっていう風に思い返しています。とにかく我々は社内での情報の非対象を作らないように、かなり経営陣もケアしていまして、同じ情報を持ち合わせていれば、どの社員に明かして、会社の次の成長となること、最前線を張っていくようなことを任せられるわけなんですね。ITのサービスを活用させていただいているのですが、それだけではなくて、未だに、我々の社員が70名ほどになってきたのですが、全員を集めたミーティングを毎週やっているんです。全員の時間を週に1回とはいえ、1時間ロックするのはかなりの投資額になりますし、それでもやはり今、会社の中で、どの部署で、どんなことが起こっているかというようなものをそれぞれの社員が知っていることに今かけていますので、痛みを伴うわけですけれども。

内田
でもそこの投資は惜しまない?

石原
惜しまないです。


アペルザのビジネスモデル、ビジョンには多くの投資家が共感している。これまでにおよそ8億円の資金調達を実施。昨年3月には元ソニー会長の出井伸之氏をはじめとする3名のエンジェル投資家からの出資を受けている。アペルザの経営顧問を務める出井氏に、今の製造業の現状、アペルザへの期待を聞く。

内田
出井さんは様々なベンチャーにアドバイスをされている立場でいらっしゃるのですけども、数あるベンチャーの中でどうしてアペルザに注目をしたのですか?

出井
僕はずっとものづくりの企業に働いてきたでしょ。ですから生産材というか、部品というか、そういうようなものというのが、もう開発から、試作から、量産まで、あらゆるところまで絡むわけです。全部の窓をまとめて、カタログをネットで作って、それをやるというのは当然必要なわけですよね。だからそういう風に、オープンにしようという、今までクローズなものを開けましょうと、そういう意味で、名前も良いし、やっている人たちも元気だし、場所も横浜で良いところにいるし。

内田
出井さんからご覧になって、グローバルでご覧になっていて、日本の生産材というものの強みというか、良さというのはどういうところにありますか?

出井
それは部品が強みでしょう、やはり。例えばメーカーがこういう新しいものを作って、その為にこういう部品がいるという風に思うこともあるし、「この部品があるんだったらこんなものできるな」って思う時もあるし。それは時によって様々じゃないですか。

内田
今の日本の、製造業だけじゃないにしても、産業の現状がすごく変革期であると。

出井
そう思います。昔から「インターネットは隕石で、企業は変革しないと恐竜みたいに死に絶えて、ほ乳類が生き残りますよ」とか言っていたんだけど、今度はまた、第二の隕石が落ちてきて、そういう技術が、今度は隕石群なんですよね。インターネットだけじゃなくて、AIもあれば、ブロックチェーンもあれば、5Gもあれば、IoTとか。こういうような時には、やはり世の中が、ものづくりが早く変わる時代が寸前まで来ている。

内田
そこにはもう答えはなく、個々の企業がそれをどう取り込んで。

出井
そうです。だって2000年の頃、フェイスブックだとか、アマゾンとか、ああいうものがこれだけ伸びるとは誰も思わなかった。それと同じようなことが起きてきて、今の産業が、企業が継続的に伸びるということと、それから全く新しいビジネスモデルのイノベーションができてきて、そうすると日本はものづくりがいいから、IoTとかで、ただ技術じゃなくて、新しいビジネスモデルができるんじゃないかなと思うんですよね。アメリカの企業でも日本に研究所とかラボを作ろうという動きが、横浜なんかずいぶん多いじゃないですか。

内田
そうです、その通りです。

出井
そういう意味では、日本が再認識されると良いなと思うんですけど、ただそれが隠れたものじゃなくて、もうちょっと目をオープンにしなければ。だから「日本のアペルザ化」だね。


製造業に特化したプラットフォームを提供するアペルザ。サービス開始から1年、日本に8万社あると言われる生産材のメーカーのうち、すでに7千社が登録している。石原社長が見据える今後のビジョンは。

内田
ここまでくるのに様々な支援者がいて、ファイナンスも8億円、出資者もいるということで、それだけ皆さんが応援してくれる魅力があるということですけども、今のところは、そういった投資をしてもらっているものを使って、土台を固めているところですよね。

石原
そうです、投資ベースですね。

内田
そしてこれがIPOしていく、上場を目的、目標に掲げている?

石原
そうですね。マイルストーンの一つという風には捉えていまして。過去に海外の企業との取引で、会社がパブリックであると非常にスムーズにいくとか、やりやすさがあるというのを会社の経営の戦略としても考えていますし、やはり会社の経営を、透明性を持ってやっていくというのがとても向いているサービスなのかなと思っています。

内田
石原社長が見据えている、アペルザというのはこういう会社になるんだ、ということを改めて聞くと、どんな会社になっていくのでしょう?

石原
製造業をインターネットの力で活性化させるというのが、私たちが取り組んでいくことなので、常に製造業に新しいサービス、新しい考え方、そういったものを我々が持ち込んで、いろいろな角度で製造業を支援していくことができれば、そんな会社であり続けたいと思っています。



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3月12日放送
舞台芸術の本質と意義 「創造型劇場」の可能性

ゲスト
KAAT神奈川芸術劇場 
    館長 眞野純さん
    芸術監督 白井晃さん


2011年、神奈川県民ホールの別館としてオープンしたKAAT神奈川芸術劇場。舞台芸術に特化した「創造型劇場」をコンセプトに、演劇、ダンス、音楽、現代美術など多様な芸術が交わる場を提供してきた。質の高い作品の上演を続け、開館以来来館者は着実に増加。昨年は21万人を記録している。都市型の劇場として、舞台関係者や鑑賞者・地域とのつながりをどう広げていくのか。眞野純館長・白井晃芸術監督に文化芸術の拠点としての役割と取り組みを聞く。



内田
眞野館長は、館長ということですからこのKAATのリーダー、指定管理を受けてそこの責任者である。最初に自分が「館長やります」という時に、どんなミッションだと受け止めましたか?

眞野
財団という第3セクターが形を変えたもので、「公共劇場」というカテゴリーに入るわけです。「公共」という言葉がいろいろな意味でこの何十年間の間に色々と変わってきたと思うんです。その「公共」というのがものすごく変わっていくままに、演劇が本当に変われているのかなという風に思って。それでここの仕事の話が来た時に引き受けようという風に思った。

内田
演劇はもっと変わらなければいけないんじゃないか、という問題意識ですか?

眞野
普通、演劇というのはギリシャ悲劇やローマのお話を思い出すと思うのですが、それは神や生や死や愛というような、すごくでかいテーマを持ったものなのですね。その概念がお芝居の底を流れていて初めて成り立っている。ところが僕が10年ほど前に演劇界をざっと見渡して、そういう風な分厚いものが底にあるような演出家や作家たちがあまりにも少なかったので、公共性もへったくれもないような状態になっていた。公共が支援、あるいは助成をすべきカテゴリーに、劇場、演劇やその他その周りの表現が、そうなるべく、この小屋を1回引き受けてみようと思った。

内田
神奈川県の劇場であるという意味では、神奈川県民と切っても切れない関係性だと思うのですけれども、館長は神奈川県民、横浜市民をどう分析しましたか?

眞野
統計によると、来てくれるお客さんの住民に対する割合で、演劇は2%ぐらいです。

内田
2%?少ない気がしますけど。

眞野
少ないです。それにミュージカルやいろいろなものを要項に書き付けながら、それでも大して多くない。神奈川県の旗艦館になるためにはどうすればいいのかというのは今でも課題です。

内田
でも、観客動員数を見ていくと、緩やかに、でも確かに右肩上がりですよね?

眞野
右肩上がりなんですよ。怖い。

内田
これ、怖いんですか?何故怖いんです?

眞野
いつも自分たち自身を更新していかないと、この右肩上がりが続かないだろうという風に、いつも怯えているんです。自分たちが変わらないと今度また伸びないぞって。演劇というのは社会のちょっと先を予感的に孕んでいるものだった。だから若者たちが押し寄せるわけで、そういうことを私たちが作り続けられるか。そういう風な姿勢で私たちがずっといられるか。そのためには本当に非常に強い集中力と精神力と集団力がいるので、だから頑張らなければダメ、ということだけ。


KAAT運営の特徴の一つに「芸術監督」というポジションがある。作品の企画や上演、プログラムの選択などKAATの方向性を決める役割を担う「芸術監督」。 眞野館長が指名したのは、演出家・俳優として活躍する白井晃氏。


内田
演劇という箱の中で何をやっていくか。これをどういう風に決めるのか、基準というところを是非聞きたいです。

白井
演劇でもそうですし、ダンスやミュージカルや音楽もそうですけども、多種多様な表現がありますよね。この劇場が「芸術劇場」という名前を冠している以上、その芸術的な側面というものをきっちりと打ち出せるものを作っていきたいという風に思っているんです。

内田
単なるホールではない、「芸術劇場」なんだと。

白井
芸術と言えば何かという話になるのですが、それは見にいらっしゃったお客様、観客と、これを見せたいという自分の表現があるという表現者と、その二つが出会う場所ですよね。出会ってこそ芸術は成立するわけであって、そこで表現者の感覚とそれを受け取った観客の間に情動が起こるというか、心の感動というか、感情の揺れが起こる。それが芸術だという風に思いますし、劇場というものはやはり芸術作品があって、そこに人が来て、それを見る場所として、劇場というものは人類の歴史の中で生まれてきたものですから、出会わなければ意味がないわけで、そういう芸術と出会っていく場所として考えていきたい。そういうような作品群を提出していきたい、提示していきたいとなると、そういったことを作ってもらえるだろうと私が考えるところの方々、アーティストに目を配り、そしてお声がけをして、話し合って、こういう作品を作っていただきたい、そして今皆さん何を考えていらっしゃるかとかいうことをお聞きしながら作っていきたいと思うのですね。やはり演劇、舞台芸術というのは、世の中を映す鏡でもありますし、世の中で蓋をされているものの、蓋を取ってみるような役目もなければいけない。そういう風に考えた時に、そういうものに対して視点を向けているアーティストたちにできるだけ集まってきていただきたいという風に思っているんです。そういうところを自分の判断の基準として考えたいと思っているところです。


眞野館長からオファーを受けた白井晃氏。就任から4年、KAATという舞台に期待したこと、芸術監督の役割をどう捉え、舞台芸術・劇場表現を提供してきたのか。


内田
白井さんは演劇というものを本当に愛して、本質を考えていて、でも時代が変わるならばどう受け止められていくのかということを違うフェーズに乗せて考えている。演劇が本当の価値ではなく消費動向が基準になって評価されているという、やはりお客さんを集めなければいけない、ビジネスとして成立させなければ存続できないという中で、それは妥協なのか、世の中が難しい演劇を全然理解できなくなっているのか、そこはどう分析されていますか?

白井
世の演劇が多く考えなければいけないのは、やはり「表現」をやって、それが経済的に負債を負っていくと、「表現」は続けられない。その為にはお客様が入らなきゃいけない、観客が入らなきゃいけない。そこがビジネスになるかどうかということの基準は、どれだけそれを商売にしていけるか、そして利潤を上げられるか。それはビジネスかもしれませんし、ビジネスにしようと思えばできると思います。要するに収支のバランスを考えていけばいいわけで、そういうようなお客様が、例えば10万人入るような演目を考えて、それを消費動向と僕は言いますけど、一番買ってくれるだろう、消費者が手を伸ばすであろうというものを基準に考えてものを作っていく。そうするとやはりスタータレントの皆さんや、そういう方に入っていただくことによって、よりたくさんのお客さんが見てくださるということで、言ってみれば消費をしてもらうため、よりたくさんの人に見てもらうための方法とていうものを基準にどうしても考えていく。民間は特にそういう風になっていかざるを得ないところがあります。まあ商売でやっていますから、民間の場合は。だからこそ僕のひどい言葉を使えば、演劇表現までが棚卸しされていく。商品を並べて、売れないところは降ろしていく。そして売れるものに変えていくという行為でどんどん消費されていってしまう。飽きたらこれはもうお菓子でもおにぎりでも何でもそうですよね。何かこうコンビニに並んでいるものもどんどん変わっていくじゃないですか?

内田
そうですね。

白井
そうやってどんどん変えていくことによって、ビジネスとして成立するようにしていくということが、今の状況の中では普通になってしまっている。僕はそのことを決して否定しようとは思いません。それはその理屈があるから。ビジネスとして演劇、舞台表現というものを成立させていくためには、ビジネスになるための方法、それを追求していくやり方はきっとあると思います。しかしここで僕がこの芸術劇場であるKAATの役割は何かっていった時に、ビジネスにはならなくても表現者が表現しなければならないこと、表現衝動に駆られてどうしても表現しなければならないもの、それを見て感化される人たちもいる、やはり僕たちはそこに視点を置かなければならない。こうやって公共の劇場として神奈川県がこの場所を、我々は管理させてもらっているわけですから、そのためにはそういうビジネスではない部分の表現者たちの表現というものをできるだけ救い上げる機会を作っていく。そういう劇場、出会う場所を作っていく。お客様、観客の皆さんに出会ってもらって価値があるものにしていかなければいけないので、ただ我々が集めてきて自己満足で終わっていてはいけないので、観客の皆さんにちゃんと還元できなければならない。

内田
そういう意味では、KAATというのは、「演劇はビジネスになるのか」ということを問うとすると、「そうじゃない」と。KAATではそこは追求しない?

白井
ただ我々がこの劇場を存続させていくためには、マイナスばかり作っていたんじゃ存続できない。僕が劇団をやっていた時に思っていたことですけど、自分たちの表現を作りたい、だからお客さんに見てもらわなきゃいけない。なぜならば、見てもらわないと継続できないんですよ。継続させていくためには自分たちの観客を作っていかなければいけない。同じ発想です。だからそういう人たちを集めていくのだけど、同時にそれを見てくださるお客さんたちにも、できるだけ接触していただけるチャンスを作る。ちょっと言葉が悪いかもしれませんが、そういう観客を作っていかなければいけないと思うんですね。それによってこの劇場が支持されていって、我々が思っているような方向を持続していけるという風に思うので、その部分も決して忘れてはならない。

内田
はい。

白井
演劇や劇場の表現芸術というものに対して、一番の大切なところっていうのは、もちろん中身もある。感動する中身もあるんですね。でもそうじゃない。一番大切なのは、「その劇場に、あの時、私はいた」っていうことです。それが自分にとって一番記憶として残っていく。SNSで見たものなんてすぐ消えちゃう。でも私があの席に、あそこまで行って、なんぼか払って時間を費やして見たっていう、それで感動したならば、もしくは本当にブーイングしたかもしれない。もう「何で1万円だ」って怒ったかもしれない。でもその感動した自分、それから怒った自分がそこにいたっていうことは10年先になっても忘れないかもしれない。そうやって人は自分を作っていくわけじゃないですか。それが一番価値のあることなんだ。それをもう一回見直して、ここで何ができるって、僕らは考えるべきではないかと思っているんです。

内田
私も白井さんが舞台に立っていらっしゃる姿を、もう20数年前に拝見して、今でも覚えています。その時は闘牛士の格好をされていて、こうやって、「パッション!」。覚えてます?

白井
はい、もちろん覚えていますけど、それは覚えていただいているわけでしょ?

内田
そうです。もうあれ、家に帰って何度も真似しましたよ。

白井
いや、もう恥ずかしいですけど、でもそうやって覚えていただいているっていうことと、そして私もやっている本人ですから覚えているわけですよね。あの時に、確かそれは本多劇場だったかもしれませんが、演劇に対する記憶とか、自分があそこに足を運んで、「なんじゃこりゃ?」と思ったこととか、ばかばかしいと思って笑ったこととか、それから涙流して感動してしまったこととか、もう嗚咽が止まらなかったっていうことも含めて自分を作っていくので。

内田
真実を発信する、じゃあ何が本当のことを伝えているのか、どんどんわからなくなっていると思うんですね。情報過多で、気薄になって、何が本当のことなんだろう、何が本質なんだろう、これはどういう意図を持って誰が情報発信して、誰がそれでお金儲けをしているんだろうということがさっぱりみんなわからなくなってきているという中で、劇場の中で発信されることは本質であり、真実であり、信頼感であるとか、そういう風にみんなが何か言いづらくなっている、窮屈な感じになっている中で、劇場の中では自由にいろいろなものが発信される。

白井
そうですね。発信されて、そこで賛同を得る人、賛同してくれる人もいるかもしれないし、それに対してNOを。

内田
NOでも良い。そうです。

白井
そこでそういう人と作品が出会う場所であり続けたいと思う。それは本当だから。その場所にいればね。

内田
KAATの中でそういう尖ったものをやっていく。そういうものにすごく期待したいと勝手に思っていて。

白井
そういう風に先鋭的な劇場で在り続けたいと申し上げましたけど、「じゃあ先鋭って何よ?」って話にもなるので。それはやはり今の我々が当たり前だと思ってしまっている現状に疑問を投げかけるところが先鋭だという風に思っているので、「KAATであれ見た?何か変なもんだったんだけど凄かったんだよね」とか、「もうとんでもないことやってるよ」でもかまわない。「でもあそこに行かないとちょっとわからないんだけどね」って言えるようなものを作り続けたいですね。


オープンから8年、舞台芸術の拠点として評価を得ているKAAT神奈川芸術劇場。眞野館長が考えるこれからの展開、KAATの姿とは。


内田
これからKAATを支援してもらいたいという企業に対してのメッセージであるとか、市民県民に対してKAATが提供していくことというのはどういうものになっていきますか?

眞野
素晴らしい作品を作らないとスポンサーは付かないですよ。やはり人がたくさん見にきて、それぞれ喜んで、楽しんで、そういう経験をすることが複数回ずっと行われているということを通じて、スポンサーをお願いするということでないと。

内田
良いものを本当にやっていく。「すごいでしょ?KAATって」。もう寄付したくなる。そっちの流れ。

眞野
私たちを無視できないほど市民や県民の皆さんに支持される。おのずと良識ある経済人は基本的にうちを支えてくれると思う。それは間違いなくそうだと思う。

内田
そういうやり方でやっていきたいですよね。

眞野
今でもいっぱい作品を作っていますが、これから先はそれの精度を高めていきたい。一番大事なのは、KAAT神奈川芸術劇場というのがこの県にはあって、「これは日本でもすごい小屋らしいぜ」っていう風に、みんなに何となく震えがいって、そいつがある日突然、その町へドンと入ってくる、というようなのがやりたいな。



tvkのYouTube公式チャンネルの「見逃し配信」では取材VTRも含め、インタビュー全篇をご覧いただけます。(視聴無料です)

3月5日放送
ものづくりと地域をつなぐ 社会を温める町工場の挑戦

ゲスト
株式会社スリーハイ
    代表取締役 男澤誠さん


「産業と地域を温める町工場」を特集。横浜市都筑区で産業用ヒーターを製作するスリーハイ。インフラなどの凍結防止、工場での保温など、多様な業界のニーズにオーダーメイドで応えている。現在は業績好調のスリーハイだが、かつては倒産の危機もあったという。状況を好転させたのは、わかりやすく、会社の温度が伝わるホームページの徹底活用、そして地域への深いアプローチだった。ものづくりから街に広がる新工場など、独自の経営手法を男澤誠社長に聞く。



内田
我々、「ヒーター」と聞くと、家電のヒーターを思い浮かべるのですけれども、工業用のヒーターというのは「こんなものなんだ」という。

男澤
ほとんどが、私たちがお客さんに提案するというよりも、お客さんが「こういうヒーターが欲しい」、それを「1個から作ってくれないか」という相談からはじまるヒーターなんですね。今日お見せしたヒーターも全てそうで、例えば内田さんの方から見るとこれ、四角く見えますか?

内田
四角?はい。

男澤
これは「四角い配管を外側から温めるというヒーター」になっているんです。こういったものは既製品のヒーターではなかなか無くて、お客さんのところに伺って、現場を見て、採寸をして、いつまでに何個、ということで打ち合わせをしながら作っていく。だから最初は形がないヒーターなんです。そのゴムのシートとシートの間に発熱線をサンドイッチして。「シリコンゴムヒーター」と呼んでいるんですけど。

内田
なるほど、この間に入っているんですね?

男澤
1枚自体が厚さ0.8ミリの柔らかなゴムシートの中に発熱線が入っているので、非常にフレキシブルで、お客様の現場に合わせた形で3次元に組み立てていく、というのが一番得意としているところです。

内田
これはどんなお客さんのお悩みがあって温めなければいけないということなんですか?

男澤
今だと凍結防止が非常に多いです。特に富山とか新潟からの電話は鳴り止まない状況で。

内田
なるほど。

男澤
最初に父からこの会社を受け継いだ時は、冬の製品だと思って私も勉強し始めました。夏になると売上げが下がり、冬になると忙しい。どうしたらこれを平坦化できるだろうかということで悩んでいたのですけれど、最近は夏でも生産の忙しい工場ではどうしても熱源を使う現場はあって、そこと繋がっていきますと、まだまだヒーターを使うところがたくさんある。

内田
非常に業績は好調と?

男澤
おかげさまで去年、一昨年ぐらいからですかね。やはり半導体業界になりますけど。

内田
今、半導体業界がものすごく絶好調で、ヒーターもその恩恵があるというのは非常に面白いですね。

男澤
我々も今だから「忙しいです」と言えるのですけれども、父がこの会社を作った時から半導体の業界に携わっておりまして、その時は「下請け」みたいな形で、その会社の製品作りを一生懸命やっていたのですね。そこがずっと繋がっていて、今またちょっとその波が来ているという。


ユーザーの環境に合わせたオリジナルヒーターをオーダーメイドで製作。商品は300種類以上、取引先は全国に4,500社にもなる。近年ではセラミック製の世界最小ヒーターを独自開発、1円玉よりも小さいサイズだが、160度まで加熱できるという。

新たな商品としてドラム缶や一斗缶を温める「ゴエモン」を開発、これまでにない機能性で売れ行きも好調だ。多くの業界から評価を集めるスリーハイだが、社長就任後には、倒産の危機にまで陥った状況があったという。

内田
振り返ってみると、非常に経営が厳しいところを乗り越えてこられているとていうことで、2009年に社長になられた時というのは、リーマンショックのまさに大底というところだったのですけど。

男澤
そうですね、その時でした。

内田
それはどういう状況だったのですか?

男澤
我々も下請けで仕事をしている以上は、その渦に巻き込まれてしまって、ワークシェアリングという、従業員の方は、働いてもらっていいのだけど、働いている時間を少し短くするとか、働いている日数を減らすとか。そうすると、よくなかったのでしょうけども、従業員の中で「この会社は大丈夫か」とか、「転職活動した方がいいんじゃないか」という話が出て、私の思わないところで人が去っていくっていう。

内田
「人が辞めてしまってどうしよう」という風に、経営者として非常に悩まれた時期があった?

男澤
そうですね。そこからが試練ですよね。いよいよ売り上げもない、利益もない、会社としての財もない中で、どうやって這い上がってくか、みたいな。

内田
そういう意味では「ゼロ」から?

男澤
「マイナス」ですね、もうゼロというか。

内田
「マイナス」から引き継いでやった。今は非常に順調、好調ですけども、まず何をやった?倒産を免れた理由というのは何だったのですか?

男澤
とにかく削減できるところは削減をして。それでもまだまだというところもありましたので、経営塾に通って「社長業とは何なのか」というのを、正直全然わからなかったので、それを勉強しに行った。1年ぐらいですね。社長というのは、ただ稼ぐだけじゃなくて、会社の中をちゃんと見ていかなければいけないし、事業の領域も広げなきゃいけないし、そういったことを1年通して学んで、今になるんでしょうね。

内田
そういうもので自分自身が変わって、従業員の皆さんに対する態度であるとかも意識的に変えていった?

男澤
もちろん意識的に変えなければいけないと思って変えるわけですけども、その当時を振り返ると私だけが一生懸命勉強しているわけですよね。私にはものすごい知識があって、やりたいことも見えてきて、方向性も何となくわかってきた。それを会社に持ち帰って従業員の皆さんと共有しようとした時に、共有できない。私が考えていることというのは、従業員の方から見れば、数年先の思いとかビジョンだったりするものですから、それを今、目の前に置かれているヒーターを早く綺麗に作らなきゃいけないという従業員にとっては、「言っていることがわからない」という。

内田
ゆっくりと語り合いながらやった。じわじわと温めていった部分が?

男澤
その通りです。僕がどんどん先に行ってしまったので、やはり社長が従業員から離れてしまうと、もうただただ遠い存在になってしまうので、「社長が一回戻ってこないとダメだよ」ということも、ある方からアドバイスされて。従業員と社長はゴム紐で留っている、繋がっているというか、だから社長がどんどんビジョンを掲げて、遠くに行けば行くほど、そのゴムはやがて切れる。切れた時はもう離れるだけという。そのゴムが切れないように、もう一回社長が従業員の元に戻って、一個一個丁寧に、ゴムが切れないように連れて行くっていうのが正しい経営なんじゃないかということを言われてですね。「ああ、その通りだな」と思って。


こうした状況を救った取り組みの一つはホームページ戦略だった。わかりやすいビジュアルと製品紹介、社員の顔・会社の温度が伝わる構成など、専門の業者以外からも好評だ。スリーハイの業績をも支えるという、ホームページ活用のノウハウとは。


内田
本当によくできていると感心しました。数あるホームページを拝見してきているのですが、私の中では製造業のホームページではダントツです。非常に温かみを持って、すごくわかりやすく「見える化」されている。

男澤
多くのウェブを見ますと、やはり自分たちの製品ありきで、スペックが載っているのはもちろんですけれども、それを使って何ができるのかというのがちょっと分かりづらかった。ドラム缶を温めるヒーターとか、レールの下に敷くヒーターとか、そういうものを実績として、イラストにして載せることで、そのイラストを見たお客さんが、「うちの現場にもこういうところがあるんじゃないか」と。イラスト、動画、フリーダイヤル、もうやれるところはとにかくどんどんやって、お客様から引き合いをいただく間口をぐっといつも広げておく。

内田
中小企業だけではなく、ホームページをどう作るかということをみんなが悩んでいて、ほとんどの会社が成功していないように見える。中小企業に限定すると、どういう考え方、位置づけ、アドバイスが?

男澤
きちんとそのホームページに頑張ってもらう、頑張って営業してもらうことが非常に大事です。営業してもらうためには、人であれば「頑張ってるね」とか「今日もよくやったね」とか声かけるじゃないですか。労をねぎらうということですよね。ホームページも同じことが必要で、やはり手をかけていかないとダメなんです。毎月更新をするとか、それが多少お金掛かってでも、そのホームページくんが頑張って、1年間、すごいですよ。だって365日24時間フル稼働で常にお客さんを待っている状態ですからね。人件費と比較してもそんなに高いものじゃない、むしろ安い。

内田
大体どのぐらいのコストをかけて運営していますか?

男澤
ホームページのコンテンツ全体を入れ替えると、やはり200万円、1年間でかかると思います。維持費用とかもありますし、それを考えると月20万円くらい。ただ月20万円で働き方改革も考えずに24時間働いてくれる従業員がそこに立っていると思えば、それは優秀な社員ですよね。

内田
200万円かけて、ペイしているわけですか?

男澤
そうですね、そうだと思います。「稼ぐホームページ」ですね。


スリーハイが目指すビジョン「温かさをつくること」は、製品だけではない。2012年頃から始めた地域貢献活動では、小学生を集めた工場見学や、防災マップの作成などを展開。街に開かれた工場、街の役に立つ会社として様々な取り組みを行ってきた。その活動を支える拠点が、2017年に完成した「DEN」。第2工場としての役割も兼ねたコミュニティカフェを同じ工業団地内にオープン。運営は一般社団法人「横浜もの・まち・ひとづくり」が担い、様々なプログラムを展開している。


内田
すごく素敵なカフェ。でも「ファクトリー&カフェ」ということで単なるカフェじゃない。それで「DEN」という名前。これは何で「DEN」なんですか?

男澤
「DEN」というのが元々「隠れ家」であったり、「書斎」という意味があるんですね。当然私たちの工場なんですけれども、使う人にとっても隠れ家だったり、あるいはお仕事のする場であったりすれば良いんじゃないかっていうことで、愛称として「DEN」と。

内田
そもそもは第2工場だと考えていた。でもカフェにしても良いんじゃないか?という。これはどんなところから始まったのですか?

男澤
元々僕たちの活動がものを作るだけではなくて、地域の活動というのも平行してやっているんです。そうすると地域の活動には必ず「場」があった方が良くて、「場」となった時に、これまで本社にはそういった機能がない。当然ですけれど。この場所が交差点の角地であるということと、東山田準工業地域の入り口であるというところが絶対良いなと思って、「工場の一部をカフェにしてみたらどうなるんだろう」という仮説を立てたわけです。

内田
スリーハイの製品を実際に作っていて、その横にはカフェのカウンターがあって、という融合?

男澤
合い重ならないようなところに「面白い会社」という取り組みがすごく出ていると思うんです。実際にものを作っている傍で、地域の方々がお茶をしたり、子どもたちが遊びにきたりする場面がいっぱいあって、そうすると仕事をしている方に近付いていって、「何を作っているんですか?」と聞くんです。

内田
いいですね。

男澤
その時に仕事している方が、「今、こういうのをやっているんだよ」というところに、普段は出会わない人たちがそこで出会って。私たちは町工場の中で何ができるかというのを考えて、つい自分たちがやっていることの中だけでやろうとするのですけれど、少し地域に目をかけると、「こういう建物を作ろう」とか、「一緒にこういうものを作ろうじゃないか」っていう話になったりするんです。こういったことをどこかの製造業が見て、「俺も何か面白いことやってみよう」と、横浜だけじゃなくて、いろいろな地域でできてくると、「日本ってまだまだイケるよね」とか「製造業が盛り上がってきたね」というのを外の国から見られて、「まだまだイケるな」って、勝手に思ったりするんです。だから製造業を盛り上げる意味でも、何かやっていないことをやりたい、という気持ちが僕はすごく強いんですよね。


自社にとっても大きなメリットをもたらしているという地域貢献活動。スリーハイが生み出す、温もりのある好循環とは。


内田
これから町工場が生き残っていく、中小企業が生き残っていくというのは大変で、でもどうしたら生き残っていけるのだろうか、100年200年という風に会社の火を灯し続けられるのだろうか、と思った時、男澤社長はどう思われますか?

男澤
僕は今それを探している感じです。正解がないので結局トライ&エラーの繰り返しだと思っているんですよね。だけどトライして「ダメだ」と言って諦めてしまっては、そこに何も意味がないので、何がダメだったのか、じゃあエラーの中からもう1回トライできるところが1つあるんじゃないか、と探し続ける。それを止めないことですね。足を止めたら最後なので。例えば「DEN」にしても3年後にどうなっているかわからない。わからないなりに次の展開を考えていかないといけない。考えていかなきゃいけないということは、頭が動いている、体も動いている、活動も広げているということで、やはり足は止めていないわけですよね。我々はやはり何だかんだ言っても、足下の地域課題を解決しながら地域と共に歩む会社を目指しているので、そこを忘れてしまうと日本を変えられないし、業界を変えられないし、世界も変えられないじゃないですか。やっていることはすごく地味で、地域を温める、いろいろな人と繋がりたい、温めるを作る、繋がる。そこだけは忘れないように、従業員とともにステップアップしていくというのには気を付けています。



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